今回の里山歩きについて
尾張の実家に行った際に時々歩く里山コース。今年二度目のハイク。東海自然歩道の一部で、小学生のころには良く歩いた
特段の用事がなく、雨が降らなければ、実家にいる時は毎日のように成田山名古屋別院(通称、犬山成田山)から継鹿尾(つがお)観音へと歩き、継鹿尾山山頂(273m)の展望台まで登って同じ道を帰ってくる
時々、継鹿尾山から東海自然歩道の里山歩きを楽しみながら、鳩吹(はとふき)山(313m)まで足を延ばしている
犬山側から鳩吹山に至る登山道は6本ほどあり色んなルートが楽しめる。ただ暑さが苦手なので、里山歩きは晩秋から早春まで気温の低い時期限定だ
今回は、折しもNHK大河『豊臣兄弟』第5話と第6話に出てきた史跡を眺めながら歩くコース
第5話「嘘から出た実(まこと)」
第6話「兄弟の絆(きずな)」
山行記録
最高点の標高: 334 m
最低点の標高: 58 m
累積標高(上り): 791 m
累積標高(下り): -775 m

まずは成田山の名古屋別院に立ち寄っていく。本堂裏手の大仏様。今日は春のような陽気だ

大仏像の横から木曽川と犬山城を眺める。犬山城の背後は伊木山。数週間前のNHK大河『豊臣兄弟』第5話と第6話で舞台になったところ。信長が尾張統一に向けて犬山城を攻め落とすべく画策する
背後に木曽川が流れる犬山城は後堅固の城。木曽川の対岸は美濃の国で斎藤家が支配する。信長は犬山城の不意を衝いて陥れようと、美濃側の鵜沼城と伊木山城を抑えるべく秀吉に調略を命ずる(続きは後段にて・・)

成田山の裏手を回り、モンキーパークの北入場門の横を抜けて継鹿尾観音に進んできた。別名「寂光院」、もみじ寺としても有名。654年建立の古刹
上の写真は継鹿尾観音の奥の院。長い階段を上ると、継鹿尾山の中腹にある。信長が清須城を築城した際に、鬼門を鎮護するための神社仏閣を探し、白羽の矢を立てたのがこの寺だ。廃寺になりかけていたが、信長の庇護により再興した
そういえば京都一周トレイルを歩いた時に、2泊目の大原にも「寂光院」という寺があったな。たまたま同じ名前の寺かな?

継鹿尾山(つがおさん)山頂展望台からの眺め。濃尾平野がこのあたりから広がるのがよくわかる。蛇行する木曽川の左が尾張で右が美濃
写真中央奥から左に続く山並みが養老山脈と鈴鹿山脈。写真の右4分の1あたりには伊吹山が見えるのだが、低い雲で隠れている。その右斜め前の山並みに金華山があり、斎藤道三が建てた岐阜城がある(のちに信長の居城)。金華山は、手前の斜面が削られた低い山のすぐ右後ろで、肉眼では山頂に岐阜城が見えている
写真には写っていないが、写真左手側には小牧城の小牧山と名古屋の高層ビル群も見える

少しズームアップ。豊臣兄弟の第5話、第6話で出てきた大沢次郎左衛門の鵜沼城跡が赤丸で囲んだところ。黄丸が現存する国宝犬山城
鵜沼城主・大沢次郎左衛門ってどんな武将?(←参考サイト)
大沢次郎左衛門の妻が斎藤道三の娘ということは、同じく道三の娘の帰蝶(濃姫)を娶った信長と大沢次郎左衛門は義兄弟ということか・・
『豊臣兄弟』では描かれなかったが、犬山城の背後(写真では上方)にみえる伊木山も手中に収め、木曽川対岸の二つの要衝にある城から圧をかけて犬山城を手に入れたようだ。犬山城と鵜沼城は織田家臣の池田恒興に与えられた
犬山城はもともとは信長の叔父の信康が築城した二階建ての城で、家康の時代に城主となった尾張藩の付家老、成瀬正成によって唐破風より上の部分が増築されたといわれている
犬山城については、今後の『豊臣兄弟』において、家康と戦った「小牧・長久手の戦い」あたりで、再登場するかもしれない

歴史はさておき、継鹿尾山の山頂から奥へと進む。上りも下りも東海自然歩道の一部なのでよく整備されている

何度かアップダウンを繰り返して石原登山口に下りてきた。ここから鳩吹山方面に登り返す

途中にある二つの鉄塔の一つ。上空は快晴で、日差しがきつく気温も高い。すでに汗がしたたり落ちている

西山休憩舎に到達するも雪で白くなった御嶽(おんたけ)山の姿は低い雲に隠れて見えない。この日は低い雲に遮られ、中央アルプスも南アルプスも見えず残念

鳩吹山山頂直下から美濃加茂方面の眺め。木曽川上流の蛇行

鳩吹山山頂。低い雲があったものの良く晴れて春のような陽気で汗びっしょり。一足早く春山のような里山歩きを楽しんだ
この日は鳩吹山山頂からぼーっと下っていて分岐を通り過ぎてしまった。カタクリ群生地の登山口へ下りて、そのすぐ先の「湯の華アイランド」で汗を流して、生ビールと食事を済ませて帰ろうと思っていたのに・・
下りてきた大脇登山口から一般道で湯の華アイランドへ戻ろうかと思ったが、面倒くさくなってそのまま可児川駅へ歩いて電車で帰途についた。母親はデイケアに出かけた日だったので、帰宅後は実家で速攻シャワーと缶ビール、おつまみ。
春のような陽気だったけど多分カタクリはまだ開花していなかっただろう。次回帰省予定の4月初めころだとカタクリにはちょっと遅いかな・・・
余談/城山(鵜沼城跡)について
大沢次郎左衛門の鵜沼城があった岩山は、私の地元では「城山」(じょうやま)と呼ばれていた。子供のころからそう呼んでいたので疑問も持たなかったのだが、よく考えてみれば、その昔に「城」があったので「城山」と名付けられていたのだろう
この「城山」は昭和初めになって、とある華族(愛知の実業家)の所有となり、山頂に別荘が建てられた。すぐに実業家が亡くなり、犬山城近くの木曽川河畔にいくつかあった旅館の一つが買い取って別館とした
その後、第二次大戦後に日本を占領した米軍に接収されて、米兵のクラブになり、10年くらい後に日本人が取得して料理旅館・城山荘になった。そのすぐ後に生まれた私は、小学生の頃に成田山の裏山から見た城山荘の姿を覚えている
城山荘は20年ほどで火事により焼失し、一旦は近くの紡績会社の所有となったが、経営不振により地元の各務原市が購入して所有するに至っている(2000年頃)
以降、市による再整備・再開発が行われることもなく、なぜか廃墟のままの状態が続いている
この城山は、日本ライン下りが終着するあたりで、夏には鵜飼い船による鵜飼いが行われるあたりだ。城山荘があった頃には、木曽川の川面のすぐ上あたりに作られていた城山のテラスから、鵜飼いの様子がすぐ目の前に眺められ、鵜舟も接岸して乗り降りできるようになっていたと記憶する
川下に犬山城を眺められる抜群のロケーションなのだが、なぜか歴史的には恵まれない運命にあるように思う
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