熊野古道 中辺路編③ 後半:熊野本宮大社から那智大社、速玉大社へ(2024/1/25-26)

山の記録
合計距離: 58270 m
最高点の標高: 885 m
最低点の標高: 3 m
累積標高(上り): 3247 m
累積標高(下り): -3295 m

熊野本宮大社から請川バス停まで小一時間歩き、中辺路の後半に進む。まずは小雲取越の山越えをして小口の集落に下りる。そこから大雲取越の山越えをして熊野那智大社へと下りる。この日は30キロ超で一番距離が長い上に、二つの山越えを繰り返す最もハードな部分になる。

歩行ルート図と標高グラフ

合計距離: 31451 m
最高点の標高: 885 m
最低点の標高: 55 m
累積標高(上り): 2309 m
累積標高(下り): -2104 m

山行の詳細

4日目の朝。この日は前日よりも距離を歩くので、ヘッデンをつけてスタート。写真が暗くて分かりづらいが、白い標識のごとく左の橋を渡ると大峯奥駈道の入口へと向かう。約3年前に吉野から本宮へと歩き、この橋の少し上流側で熊野川を渡渉して本宮大社に向かったのが懐かしい。雲が少なく青空が見えているので天気は良くなるだろうか?


請川のバス停まで約3.5キロを歩いてきた。ここが本宮大社と那智大社を結ぶ中辺路の後半の始まり。取っ掛かりは民家の横や玄関先を歩いていくので、ここで合っているかと不安になるが、標識はそのように進むようになっている。

古は舟で本宮から速玉大社へ川下りし、那智大社を回って本宮大社へと歩いて戻ってきた。那智大社から本宮大社への道のりは、この入り口が最後の54番標識になる。つまり、請川から那智大社まで約27キロの道のりということ。

最初の小雲取越(こぐもとりごえ)はよく整備された道で、とても歩きやすい峠越えだ。

ビュースポットの百間ぐらまで登り上げてきた。400mちょっとくらいの標高。こちらはあまり雪が降らなかったようで、雪がうっすら状態。ここから奥深い紀伊の山並みが見えるのだが、雪雲がかかっているようで遠くが見渡せない。

右方向(北西)は小辺路の果無山脈だが、完全に雪雲に覆われている。あちらは今日も雪だな。

正面は昨日歩いた中辺路前半の山々。今日も雪雲がかかっている。どうやら本宮大社の背後辺りの山々が雪雲の流れの境界のようだ。

左側(南西)は大塔山脈。こちらは雪雲の流れから外れている。ということは、南東方向の小雲取越も大雲取越も雪雲の流れから外れているということか・・。これなら行けそうだ。

桜茶屋跡の休憩所で休んでいると、反対側からオーストラリアのご夫婦がやってきた。前夜は小口に宿泊し、そこから大雲取越に向かう計画だったが、峠越えの標高が高いので断念し、小口から小雲取越を戻って本宮大社へ引き返し、バスで新宮の速玉大社へ行き、那智大社へ向かうという。私と同じ那智の宿を予約していたので、再会を約束して別れた。互いに、Good luck! See you later!

31番の道標の上に不思議なケルン。

ここらは能登の地震で揺れなかったのか? それともあの後に積まれたのか?

小和瀬の渡し跡にある橋まで下りてきた。ここから小口の集落を抜けて大雲取越へと向かう。

小和瀬の橋にある案内板。桜茶屋跡と円座石の間に位置するので、請川からここまで14キロ、ここから那智大社まで18キロ、合計32キロ、10時間。本宮大社から請川まで3.5キロなので、今日は35キロ強を歩くという計算。しかも2つの峠越え。本来はオーストラリアのご夫婦のように小口で一泊が常道。

こちらが小口自然の家。宿泊者のほとんどが外国人という宿。ここは10日前の予約をポリシーとしているので、直前に実行を決める私のスタイルには合致しない。テン泊は予約不要で風呂にも入れるらしいが・・

この民家の左側の石段を進んで大雲取越に進む。計算では16時半ごろには那智大社に着けるはず。『頑張りまーす』

円座石(わろうだいし)

4年前は苔で覆われて梵字がかすかに見てとれただけだったが、今回はしっかりと3つとも見える。

云われはこの案内板を

さらに進んで、今回もこの休憩所を利用。ここの水場を当てにしてきた。

左側は凍結していて出ない!?。焦って右側を一杯ひねると、ポトポトから始まって少しずつ流れ出し、一気に出てきた。やれやれ。凍結防止のため少し出したままにしておこうかと思ったが、横の看板に、使用後は必ず蛇口を閉めること、とあったので弱めに閉めて置いた。それにしても標高300mくらいなのに・・

長い登りが続く。雰囲気はいいのだが、ひたすら登りは辛い。そういえば、前回(2020年2月)は小口から雨になり、大雲取越はずっと傘をさして黙々とひたすら歩いたな。今回は時々風花が舞うことと、寒風が厳しいことを除けば、石段に腰を下ろして休めるだけいい。

やっとこさ越前峠。870m。前日の山々よりはるかに標高が高いが、雪はうっすらしかない。どうやら心配は杞憂に終わった。

越前峠から一旦下ると、4年前に歩かされた迂回路の分岐に出た。迂回路は30分ほど歩くのだが、今回は道の修復が終わり本来の石倉峠越えが歩けるようになっていた。通過15分とガイドブックにはあるが、峠越えなので結構きつい。

本宮から那智の道は、近代の歌詠みたちの石碑が続く。

豪雨で土砂に埋まっていた石倉峠の先の下り。復旧されてはいるが、被害の痕跡は一目瞭然。復旧に感謝御礼。

石倉峠から下ってきて、きれいな沢を渡るとすぐに地蔵茶屋跡に着いた。本来はここでのテント泊を予定していた。

自販機2台は生きていたが、トイレ棟は凍結のためだろうか、使用不可になっていた。ここでのテン泊を計画する際は、必ず携帯トイレを!

立派な地蔵茶屋休憩所。4年前に昼食休憩をした際に利用させてもらった。雨にぬれずに快適な小屋の中で休憩できて生き返ったことを思い出す。周囲の草地は格好の幕営地。

中は相変わらずきれいだ。電灯もつく。あちこちにコンセントもある。水道は凍結していたが、小屋前の沢で水を汲める。小屋の前に沢があることがすっかり記憶から抜けていた。水道が凍結していても、水の調達には困らずテン泊できたな。

地蔵茶屋のあたりは雪はないが寒い。石段の道を水が流れ、凍結していて危険。濡れているのかアイスコーティング状態なのか分かりずらいので要注意だ。

地蔵茶屋跡から登り返して舟見峠の展望台。

峠の名前の由来がよく分かる眺望。前回はこのあたりが一番風雨が強く何も見えなかったが、今回は良く見えて良かった。ここから那智へと一気に下る。

自分の想定より峠からの下りの開始時間が押していたので、ペースを上げて一気に下りてきた。那智高原公園側の入り口に到達し、大雲取越終了!

目の前は那智高原公園。公園内は中辺路の道標を見失わないように進む。

最後の1番の道標。請川から那智大社まで27キロ。小和瀬の案内板の距離と合わないな・・。小和瀬の看板の数字が膨らましてあるようだ。

二山目の熊野那智大社にお参り。

ご神木の御大楠。樹齢850年。大楠の胎内くぐりは今回パス。

すぐ横の青岸渡寺にもお参り。実際は中辺路で本宮から那智にやってくると、青岸渡寺の裏手に出るので、先にこちらの前を通って那智大社に入る。

定番の写真。美滝山荘には16時半過ぎにチェックイン。さすがに疲れた。お風呂から出てくると、オーストラリアのご夫婦が到着。お互いに再会を祝す。

美滝山荘はリノベーションで1階の部屋やお風呂や食堂がきれいになっていた。食事の提供ができなかった理由も判明。料理を担当していたご主人がしばらく腰を痛めて休んでいたとのことで、その間に近くの仕出し料理屋からのケータリングサービスに変更になったとのこと。ご主人のおいしい料理が食べられなくなったのは残念だが仕方ない。「立て込んでいて料理提供ができない」との説明は、仕出し屋の方が対応できなかったということのようだ。

オーストラリアのご夫婦は日本に1か月滞在したとのこと。子供4人も一緒に来て、最初は東京で4日過ごし、子供たちは北海道にスキーに出かけて帰国したとのこと。自分たちは旅を続けて、最後に中辺路にきたそうだ。翌日には関空に移動して帰国するとのこと。

本来の予定では、大雲取越の地蔵茶屋跡でテン泊し、那智大社には翌日(つまりこの日)の9時半ごろに到着して、宇久井の休暇村に宿泊し、27日に速玉大社へゴールする予定だった。

テン泊をやめて前日に那智大社まで歩いたので、この日のうちに速玉大社にゴールすることにし、予約通り休暇村に宿泊して一人打ち上げ会をすることにした。

歩行ルート図と標高グラフ

合計距離: 26806 m
最高点の標高: 268 m
最低点の標高: 3 m
累積標高(上り): 938 m
累積標高(下り): -1189 m

山行の詳細

朝食後に那智の滝を訪れた。この日も良い天気で、素晴らしい中辺路の締めくくりができそうだ。

神社を後にして宿に戻ると、オーストラリアのご夫婦が出発するところだった。那智大社や青岸渡寺を回ってから歩いて那智駅へ向かい、関空へ行くとのこと。Have a safe trip back to Australia! 

結局、宿泊したのは我々3人だけだった。パッキングしておいた荷物をピックアップして、一足お先に那智駅方面へ歩き出す。

今回も右側の車道を進んでしまい、ヤマレコアプリの道間違い警告で引き返し、左側の小道を下って大門坂へと進んだ。

下ってきた大門坂を振り返って。まだ観光客がいなくて静かな古道歩きを楽しめた。

那智の最後の王子跡。九十九王子は速玉大社へと続く。

立派な夫婦杉の大木を抜けていく。ここから先は舗装道路歩きがメイン。途中でバス道ではなく、集落の中の道を抜けていき、さらに古道は霊園に上がって、奥にある北条政子の尼将軍供養塔の前を通る。ちょっと薄気味悪い湿った林の中を抜けていくと、再び集落の道に出る。

那智駅すぐ近くまで下りてきて補陀落(ふだらく)山寺にお参り。ここも世界遺産に含まれる。

古来、ここは補陀落渡海の出発地だった。即身仏の海版のようなもので、この小舟で自らを犠牲にする献身行の航海に出たとか・・

すぐ横の浜の宮王子。

こちらも立派なご神木。ここからは海沿いに速玉大社に向けて歩く。大狗子(おおくじ)峠、小狗子(こくじ)峠、高野坂(こうやざか)の3か所を除けば国道歩きだ。歩道のない部分も少なくないので、車に注意しながら路肩を歩く。路肩の関係で、左側通行が多くなる。

大狗子峠の下りは一部で道が荒れ放題。世界遺産の看板が泣いている。

大狗子峠を下りてくると、ここに出る。前回は大狗子峠に上がる看板を見過ごし、トンネルを抜けてこちら側に来てしまった。大狗子峠を通ったからと言って、眺望があるわけではない。雨が降っていたら、トンネルを抜けてきた方が良いだろう。

国道から外れ、今回も小狗子峠を通過した。

三輪崎の街中を縫うように進む。今回も一応ルート上を歩けたようだ。ヤマレコアプリのルート表示のおかげ。

海岸線沿いを歩く。きれいな海だ。東京湾の浦安界隈もこのような海岸だといいのだが・・

高野坂へ進むと桃の花が2分咲きくらいだった(ひょっとして河津桜?)

雰囲気が残る高野坂。最高点で65mくらい。こちらは通っていくことを薦める。

王子ヶ浜を眺めながらお地蔵様の横でランチ休憩。といってもカロリーメイトと羊羹。

高野坂を下りてきた。新宮の街は近い。

浜王子跡。新宮の市街地に入った。

阿須賀神社(阿須賀王子跡)に立ち寄ってお参り。

速玉大社にゴール! 熊野三山巡り完結。

門をくぐって社の前へ。

熊野速玉大社にお参り。中辺路の熊野三山掛け無事終了! よく歩いたよ。

歴代の熊野御幸の碑

神倉神社にも立ち寄った。熊野権現が降り立ったところとか。

この急な石段を繰り返し上り下りしている地元の方に声をかけられた。シニアの格好のエキササイズ場になっているようだ(笑)。でもこの上り下りを毎日繰り返したら、相当な健脚になる。シニアの方の中には登山靴を履いている方もいた。

重いザックを下において来ればよかった。神倉神社の社に到着。横はご神体のゴトビキ岩。

社の前から新宮の街を見下ろす。さて今宵の一人祝賀会の会場「休暇村南紀勝浦」に向かうとしよう。新宮駅から3駅で宇久井駅に戻る。そこで予約しておいた送迎バスで宿に移動する。

温泉後の生ビールの後は、おいしい料理と冷酒「熊野三山」4合に酔いしれた。部屋から満月(ウルフムーン)を眺める。この後、宿が催す星空観賞会に参加した。天気は良いのだが、満月なのであまり多くの星は見えないが・・

三脚なしのスマホ撮影なのでこれが限界。でも冬の大三角形は見えている。

ちょっと手を加えてみた。オリオン座の左上にあるペテルギウスを頂点の一つにして、その真っすぐ下にあるシリウス(おおいぬ座)とシリウスから左斜め上にプロキシオン(こいぬ座)を結ぶ三角が冬の大三角形だ。

テラスにいたのは15分少々だったが、寒くて酔いが一気に醒めた。温泉に入り直して、缶ビールと缶チューハイでぐっすり寝た。

小辺路(+中辺路後半)、大峯奥駈道、伊勢路と歩いてきた熊野古道シリーズは、今回の中辺路一気通貫が第4弾となる。残りの紀伊路と大辺路は一般道歩きが多いのでやらないつもり。というわけで、今回の中辺路が古道の仕上げとなる

中辺路は6つある熊野古道の中では最もポピュラーで、春から秋はハイカーが多く、とりわけ外国人に人気が高い。宿もなかなか取れず、まして直前の予約はほぼ不可能といっていい。比較的人出が少ない冬であれば、宿の予約も容易で自由度が効く。これがこの時期に古道歩きをする一つ目の理由。もう一つの理由は、南紀の低山ゆえに春から秋は暑くて、汗かきの私にはとても歩けない。

というわけで、この季節を選んで天気予報とにらめっこ。1週間ほど天気が持ちそうな予報になったので、出発数日前に宿と切符を手配。すんなりと予約できた。ところが警報級寒波の南下により、本宮大社の前後の予報が小雨に変わり、それが霙から雪予報へと悪化した。南紀なら積もってもうっすらだろうと高を括って履き古したトレランシューズで出かけたのが誤りだった。

登山靴を履いていけばどうということもない積雪量なのに、トレランシューズの靴底は凸凹がほとんどなく、登りはともかく下りで滑ること滑ること、特に木の根っこや石畳の上に数センチ積もった雪に神経をすり減らした。

これを除けば、雪化粧の中辺路歩きという思ってもみない幸運に恵まれ、はからずも南紀の山でプチ雪山歩きを楽しませてもらった。初日の月曜午後だけは、汗をかきながら一般道歩きをしたが、その後は一気に気温が低下して、寒いくらいで快適に歩くことができた。

外国人が多いとは聞いていたが、実際に中辺路を歩いてみて8割程度が外国人だったことには正直びっくり(冬だったせいもあるかも)。数か月前にニュージーランドのミルフォードトラックをカミさんと歩いたときに、ツアーの9割が自分たち外国人で、ローカルのニュージーランド人が1割程度だったのと似た状況だ。

山ですれ違う時の「こんにちは」の挨拶も、「ハロー」とか「ハイ」になり、ちょっとシュールな日本の山歩きという感じだった(笑)。これまでの熊野古道歩きは外国人どころか日本人にもほとんど会わず、自分の世界に没入しながら黙々と歩いたのだが、今回は随分と趣の異なる古道歩きを楽しんだ。

さて、蘇りの旅とも振り返りの旅とも言われる熊野古道を4本歩いてきて、何か変わったかと問われるとちょっと心許ない。きっと私の煩悩が強すぎるのだろう(笑)。これにて熊野古道歩きはおしまい。心に残る山旅の一つになったことは間違いない。

毎度、快く送り出してくれたカミさんありがとう。そして熊野の神々に感謝御礼!

熊野古道 中辺路編① プロローグに戻る ☜ クリック

熊野古道 中辺路編② 前半に戻る ☜ クリック

タイトルとURLをコピーしました