前半の歩行ルート図と標高グラフ
最高点の標高: 716 m
最低点の標高: -2 m
累積標高(上り): 4114 m
累積標高(下り): -4046 m
1日目の記録(2024年1月22日)
この日は東京6:00発の新幹線で新大阪へ行き、特急くろしおで紀伊田辺駅に移動。正午少し前から古道歩きを開始する。一般道歩きがメインで、午後の半日で可能な限り先へと距離を稼いでおき、バスで田辺駅に戻り宿泊する。
歩行ルート図と標高グラフ
最高点の標高: 141 m
最低点の標高: -2 m
累積標高(上り): 706 m
累積標高(下り): -627 m
山行の詳細
重いザックは駅のコインロッカーに預けて、アタックザックの軽装で正午少し前に駅をスタート。世界遺産の一つになっている闘鶏神社によって中辺路へと向かい、暗くなる前に可能な限り一般道路歩きを先に進む。途中で熊野本宮大社から紀伊田辺駅行きのバスを捉まえて、この日の宿がある田辺駅に戻る。
舗装道路歩きをできるだけ先に進めることに心が急いて、紀伊路(きいじ)・大辺路(おおへち)・中辺路(なかへち)の3本の熊野古道の分岐点にある道分け石のポイントを通り損なってしまった(泣)写真は駅から1キロほど来た所にある会津川を渡る歩道橋。
中辺路の最初の王子跡(秋津王子跡)。王子(おうじ)とは京都から熊野三山に至るまでの途中に設けられた休憩所であり熊野権現の御子神を祀る分社でもあったとのこと。
市街地を離れ長閑な道を進む。どことなく私の生まれ故郷に似た光景だ。曲がり角には中辺路の案内標識がある。
梅が7分咲きだった。紀州だな。梅干しの製造場のような建物をいくつか通り過ぎた。
熊野古道の標識が現れ始めた。通過点の王子を指し示している。
こちらの標識は、矢印の角度がポイント。
矢印の角度は右側の坂を上がれということを意味している。
ほとんどの王子跡にはこのような青い説明碑がある。じっくり読んでいる余裕がないので、さっとスキムしながら通過する。
ところどころ山道を通りながらも、大体は舗装道路を通って進む。右に流れるのは富田川で、昔は岩田川と呼ばれていた川。
稲葉根王子前にある水垢離場。この先にもいくつかの水垢離場があった。身を清めながら熊野大社へと進んだようだ。
説明文を読んでいただければと・・
水垢離場にある西行の歌碑。西行に関するものは奥駈道でも見かけた。2年程暮らした小さな小屋が出発点の吉野の山中にあった。熊野にはあちらこちらに出かけたり住んだりしたようだ。
明治22年の大洪水で富田川を流されてきた樟(くす)の大古木。この水害で熊野一帯は大変な水害にあったようで、熊野川の川岸に鎮座していた熊野本宮大社も現在の場所に移された。
鮎川まで来ると今度は藤原定家の歌碑。後鳥羽上皇にお供したときの歌とか。石碑は後年に作られたもの。実はこの鮎川のあたりをこの日の目標にしていたのだが、まだバスには時間があるのでさらに先へ進むことにした。
鮎川の先は部分的に舗装道路ではない道を歩く。この方が舗装道路歩きよりも足には負担が少なく、風情もあっていい。
だいぶ日が傾いてきた。そろそろ注意しないと田辺行のバスとすれ違ってしまう。時計と時刻表を睨めっこしながらこの日のゴールを決断する。
ここのポイントで中辺路は左下へ進み、311号線の橋の下を通るが、私は右側にある「この道は熊野古道ではありません」の標識方向へと進み、橋のすぐ近くにある蕨尾橋バス停を目指すことに。
カーブミラーのところから出てきた。手前側に下っていくと311号線に合流した。ラッキーだ。橋の下から土手を攀じ登らねばならないかと心配したが、すんなりと橋の横に出た。100mほど先の蕨尾橋バス停16:37発の紀伊田辺行のバスに乗る。待ち時間は10分ちょっとで、定刻通りにバスが来た。これを逃すと次便は約2時間待ち。この日は予定よりバス停4つ分先まで進むことができた。軽装のおかげだな。
2日目の記録(2024年1月23日)
2日目は紀伊田辺駅前6:17分発の始発バスに乗り、前日の蕨尾橋バス停まで戻り、中辺路歩きを再開する。滝尻王子から本格的な古道歩きになり、この日のゴールは近露の集落。
歩行ルート図と標高グラフ
最高点の標高: 716 m
最低点の標高: 63 m
累積標高(上り): 1848 m
累積標高(下り): -1595 m
山行の詳細
蕨尾橋バス停から前日の分岐ポイントまで戻り、左下に進む古道歩きを再開。まだ7時前で薄暗いのでヘッドライトを点けて歩く。それにしても昨日半日かけて歩いた距離をバスはたったの30分だった。
中辺路は311号線の北郡(ほくそぎ)トンネルの上を峠越えしてこの吊り橋に出てくる。舗装道路歩きの再開。この先で清姫の墓を通って、また311号線に合流する。清姫の墓についての由来はじっくり読んだが、日本昔話に出てきそうなちょっと怖くて悲しいお話だった。
滝尻の熊野古道案内所が見えてきた。8時半オープンだが、準備中のお姉さん二人が中に入れてくれた。お姉さんに滝尻王子からの中辺路のアクセスについて確認。ガイドブックやヤマレコの山行記録、岳人の特集記事などで読んだはずなのに、すっかり忘れていた。お姉さんに聞かなかったら、舗装道路をどんどん進むところだった。「危ない危ない」って私の記憶力が一番危ないな。
滝尻王子前の熊野古道の石碑。同じような石碑がこの先の中辺路にいくつか出てくる。このような石碑は、小辺路の果無(はてなし)峠にもあったし、大峯奥駈道の玉置神社の手前にもあった。
滝尻王子。鳥居の左側を奥へ進むと山道の急登が始まる。滝尻は熊野の聖域の入り口で、ここから中辺路をスタートする人が多い。
急登を登っていくとすぐに胎内くぐりの岩。体もザックも大きいのでスルー。
胎内くぐりのすぐ上に乳岩。
後世の作り話だと思うが、ちょっとあり得ないストーリーだ。
滝尻からはこの道標が500m間隔で熊野本宮大社まで続く。急登に喘いで下ばかり見て登っていたので1つ目の道標を見逃したようだ。
急登の終わりにある飯盛山の展望台からの眺め。奥深い紀伊の山並みだ。ここで中国から来た3人連れの親子にあった。それにしても風が冷たくて体温を奪われる。
高原熊野神社。熊野三山の神々を祀っている。
立派なご神木だ。高原の集落に入って古道は舗装道路になり、写真の裏側を通る。立派な大木に目が留まり、回り込んだらこの神社があった。
境内の休憩所にチェーンソーで製作された龍の木彫りがあった。スタンプラリーをやる人は立ち寄ること。スタンプ台はここにある。
神社からすぐ先にある高原霧の里休憩所のテラスからの眺め。目の前の棚田が美しい。
中央やや右奥が小辺路(こへち)の果無(はてなし)山脈。4年前に歩いたのが懐かしい。
鯉のぼりで分かる通り、冷たい風が吹きつけて体温を奪う。上の写真を撮った後、休憩所に逃げ込んでしばし休憩。無料Wifiもある。自販機で暖かいハチミツレモンを買って飲み、体の中も温める。レインジャケットの下にウルトラライトダウンを着こみ出発。ここで台湾のソロ男性の若いお兄ちゃんとお話した。
古道っぽい石畳の道。伊勢路に比べると中辺路や小辺路の石畳は少ない。
すべての枝が南の方角、すなわち那智山の方角を指しているといわれる樹齢800年のご神木「野中の一方杉」が有名だが、このあたりも皆一様に一方杉だ。こちらは人為的に枝打ちしたものかな?それとも自然にこうなるのかな?
大門王子跡
祠の中には美しい雛人形があった。入れ替えたばかりだろうか?とてもきれいな状態だ。
十丈王子跡。ニュージーランドからきたブルースとは石畳のあたりからここまで同じようなペースできた。11月にミルフォード・トラックをカミさんと歩いたと話すと盛り上がった。
ブルース曰く、フィヨルドの海は海水と淡水が二層になり、上が山から流れてくる淡水で、数メートル下に海水があるとのこと。ロブスター獲りでダイビングをするらしいのだが、上の層は土砂などが運ばれてくるので濁っていて、海水の層になるとクリアな海になるとのこと。
似たような二層に分かれる現象は、三重の銚子川の河口近くでも見られ、上が淡水で下が海水になり、境界が「ゆらゆら帯」と呼ばれる層になる、というのをNHKの何かの番組で見たことを思い出した。
彼は7回目の日本とのことだが、熊野古道は初めて。以前に熊野古道を歩いた職場の女性に進められて熊野古道歩きを選んだとのこと。6~7月にはフランスからピレネー越えでスペインのカミノ・デ・サンティアゴを歩くそうだ。約800キロの聖地巡礼の旅だ。羨ましいが、私には800キロはちょっと無理だな。
道の駅「熊野古道中辺路」でちょっと休憩。手前は牛馬童子の石像。花山法皇の行幸の姿とか。花山法皇って「光る君へ」に出てくる即位した花山天皇だ。ちょっとキャラが違うな・・
こちらが少し先の山中にある本物の小さな牛馬童子像。近年、首が折れて頭が落ちてしまったようだが、修復してあった。2回発生したので、悪質ないたずらと疑われたが、最近になって寒暖の温度差で亀裂が自然に入って折れたことが判明したとのこと。柔らかい砂岩系の岩で作られているので、脆いそうだ。
今宵の宿のある近露(ちかつゆ)の街が見えてきた。集落に下りて、まずはAコープに寄り道。夕食と明日の朝食・昼食を調達。古道に戻って宿に向かうと、定休日の酒屋の前にある自販機の横のベンチでブルースが柿ピーをつまみに缶ビールを飲んでいた(笑)。一緒に飲もうかと思ったが、私の宿はまだ1.5キロほど先なので我慢した。
私が泊まったアイリスパーク女神の湯のバンガロー。チェックイン後に早速温泉に入って、その後に洗濯機・乾燥機を回しながら、Aコープで調達した巻きずしとサラダを夕食として食べた。この夜はよく寝た。
3日目の記録(2024年1月24日)
この日は近露から熊野本宮大社を目指す。中辺路でも一番ポピュラーなパートで、外国人のハイカーも多い。
歩行ルート図と標高グラフ
最高点の標高: 677 m
最低点の標高: 55 m
累積標高(上り): 1560 m
累積標高(下り): -1806 m
山行の詳細
3日目の朝6時半に出発。寒波襲来で近露のあたりもうっすらと積雪。
新雪を踏んで進むことになるとは・・。これはラッキー。
1時間ほど歩いてくると、おぉー、継桜の集落の桜並木が満開だ(笑)。ここで脇道から上がってきた台湾からのソロ女子と挨拶を交わす。
雪が降りつけてきた。傘をさしたり畳んだり・・
山道に入り、熊瀬川王子跡まで登ってきた。ここで上海からのソロ男子が追い付いてきて先に行ってもらった。
今度は私が彼の足跡をたどる。さらにこの後の急登で、台湾からのご夫婦と、アメリカからの若いカップルに抜かされた。
1時間ほど歩き、迂回路の終点にある蛇形地蔵に着いた。本来の古道は2011年の台風の豪雨で地滑りが発生し、古道が塞がれているとのこと。ここまで雪道を上ったり下ったり繰り返した。伊勢路と同じく6年程履き古した靴底の凸凹がないトレランシューズで来たので、下りが滑ること極まりない。雪に隠れた木の根や石畳が特に滑って危険。
標高がここより倍近く高い大雲取越のためのストックや万一のためのチェーンアイゼンを、テン泊道具一式と一緒に自宅から本宮の今宵の宿に送ってしまった。大いに悔やんだが、あとの祭り。スリップに注意して下るよりほかない。ローカットのトレランシューズへの雪の進入はゲーターで防いだが、やはり登山靴で来るべきだったな・・。
三越峠に登り返すと車道に出た。車道を少し進むと立派な休憩所。ここで先に到着していた中国、台湾、アメリカの5名と一緒に休憩。皆さん宿で作ってもらった日本的な弁当を食べていた。私はレーズンパンとスニッカーズ。ガスコンロはザックに入っているが、湯を沸かしてコーヒーを飲むほどの時間的、心の余裕はない。
車道を少し戻って古道に再突入。到着順に出発したので私が最後(笑)。ここからの下りもスリップとの闘い。スリップさえなければ、快適な雪道歩きなんだがな・・
三越峠を下り終えると雪の量も減ってきた。ここからは多少のアップダウンはあるが、本宮大社へと徐々に標高を下げていく。
一旦、発心門王子へ登り返して水呑王子辺りだったろうか、雪が降ってきて傘をさして歩く。茶畑とミカン?の木も寒そう。このあたりから果無山脈が近くに見えるはずなのだが、雪で霞んで見えなかった。
伏拝王子跡にある休憩所。ここで無料コーヒーがあるはずなのだが、定休日なのか、この季節はやっていないのか、そのようなサービスはなかった。ここから熊野本宮大社までは1時間くらい。
ここで翌日の大雲取越の山中テン泊を逡巡。標高がこの日に超えてきた山々の倍近い800mほどあるので、雪の状態が読めない、老体には夜の寒さがこたえる、テン泊する地蔵茶屋の水道凍結の恐れがあることなどから取り止めを決断。
小辺路に続けて中辺路の後半を歩いた時と同じように、那智大社まで一気に抜けることにし、その時に宿泊した那智の美滝山荘にここで電話を入れる。宿は受け入れ可能なのだが、夕食提供はできないとのこと、また近くの食堂は夕方5時には閉まるとのことだったが、テン泊用の食材もコンロもあるので宿泊をお願いした。美滝山荘のおいしい夕食を食べられないのは残念だが、備長炭で沸かしたお風呂に入れるのは魅力だ。
しばらく歩くと、この橋に出た。小辺路を歩いた時は、この橋の下を左方向から来て橋の右側の階段を上って合流した。本宮大社は近いぞ。
小辺路と合流後、古道っぽい道を下っていくと本宮の街の裏手の端に出て、75番の道標があった。これが最後の道標だった。つまり滝尻から37.5キロ歩いてきたということ。ここから熊野本宮大社まで残り500m。
すぐ先に熊野本宮大社の裏門があった。明治期に熊野川沿いからこの場所に本宮大社の社が移設されたので、小辺路と中辺路は裏手からアクセスするようになってしまった。
裏側から横を通って表に回り込む。雪化粧の本宮大社を期待したけど屋根に雪はなかった。ちょっと残念。
熊野本宮大社に到着。ポリシーが変わって門の中の撮影も個人の思い出としての撮影はOKになっていた。門の内側の撮影が禁止されていた時も、外国人のみならず日本人も撮影していたから、現実に合わせて柔軟にポリシーを変更したようだ。ただしSNSやブログ投稿は禁止とのことなので、横の外側から撮影した一つ上の写真を本殿の写真とした。
①から⑤の参拝順序を再確認して門をくぐり参拝した。ここで先に到着していた台湾からのご夫婦の写真撮影のシャッターを押してあげたが、自分のを取ってもらうのを忘れた。
正面の階段を下って表の鳥居に向かう。
本来はこちらから石段を登ってお参りするんだけどやむなし。
大斎原(おおゆのはら)の大鳥居。この位置に本来の熊野本宮大社が鎮座していた。明治22年の大洪水で本殿は災害を免れ、現在の場所に移された。
鳥居のエンブレムはおなじみのカラス。さて今宵の宿「ゲストハウス結」にチェックインしよう。今日は雪の中よく歩いたよ。宿で自宅から送った宅急便の荷物を受け取り、チェーンアイゼンや缶詰、アルファ米などの食材等を取り出し、残りをそのまま送り返しにヤマト取り扱いの近くの酒屋へ持っていき、ついでにアルコールとつまみを調達した。
素泊まりの宿なので薦められた近くの宮ずしに出かける。他には選択がないそうだが、お手ごろな値段でおいしいボリューム満点の定食料理が食べられ、一択がここで良かったと感激。カウンターで酒をちびちびやりながら刺身やすしなどを食べたかったが自重した。宿に帰って、酒屋で買ったアルコールを飲みながら洗濯や翌日の準備をした。
これにて前半終了。明日から後半戦に突入。後半部分は以前歩いたことがあるのでイメージはつかめているが、積雪の状態が気がかり。最初の小雲取越(こぐもとりごえ)の様子を見て、厳しそうなら本宮に引き返すことにしよう。