熊野古道 伊勢路編④ 終盤:二木島から新宮へ(2022/11/17-18)

山の記録

2022.11.21 15:55

伊勢路も余すところ40キロ弱。海沿いの峠越えもあと4つを残すのみ。この4つを越えれば、以降は海岸線沿いに進み、ゴールの新宮市にある熊野速玉大社にたどり着く。6日目と7日目午前の1日半で完歩できる見通し

冒頭の写真はゴールの熊野速玉大社。伊勢路終盤は七里御浜など美しい海岸を歩くコースが多い

 

6日目の記録

歩行ルート図と標高グラフ

合計距離: 23794 m
最高点の標高: 297 m
最低点の標高: 2 m
累積標高(上り): 1064 m
累積標高(下り): -1050 m

山行の詳細

まずは6日目の朝。この日は宿泊した熊野市駅周辺の宿から、前日に古道歩きを終えた二木島駅まで列車で4駅もどり、古道歩きを再開する。目標は熊野市駅を通過して4駅先の阿田和駅。JRの8駅分、約25キロの道のりだ


二木島駅に朝7時頃に到着し、山沿いの民家の軒先を躊躇しながら通過したり、廃屋となった民家の敷地内を通過しながら国道311号線に上がる(ショートカットではなく、これが伊勢路ナビの示す古道ルート)


ちょうど太陽がリアス式海岸の岬の上に昇ったところだった。今日も良い天気に恵まれそうだ。国道を数百メートル先に進むと、二木島峠、逢神坂峠(おうかみざかとうげ)への登り口がある

まずは石畳の道を登って二木島峠(240m)へ。この日は前夜宿泊した熊野市駅近くにある宿に連泊するので、大半の荷物はザックとともに宿に残し、アタックザックの身軽な格好で歩くので足取りも軽い

続いて山道を進み、逢神坂峠(290m)を通過。伊勢と熊野の神が出会う場所ということで「逢神」という地名になったとも、狼がよく出没したので「おおかみ坂」になったという説もあるとか

逢神坂峠から新鹿湾(あたしかわん)へ下る途中の石畳。二木島峠への上りから石畳がずっと続く

新鹿の集落を抜けて山道に入る。部分的に国道に合流するが、その後も山道を抜けて行く。民家が立ち並ぶ前の小道を進んできたのだが、とても車は入れない。おそらく下の方に駐車場があって、そこから歩いて家まで上がってくるのだろう。日常生活には大変だが、万一の東海地震の津波の際には、かなり高台なので安心だ

山道を進み、波田須(はだす)の集落の上で国道を横切ると徐福茶屋がある。入り口横の黒板に11月の営業日が書かれているが、3日のみの営業ですべて平日の午後だけ。かなり気儘なオーナーのようだ(笑)

勝手に徐福茶屋のテラスにお邪魔して撮影させてもらった。素晴らしい眺めだ。きっとオーナーは茶屋を営業するためではなく、自分がこのテラスで海を眺めながら自由な時間を過ごすために茶屋を開いたのだろう


写真中央下に、こんもりとした枝ぶりの大木が見える。あれが徐福神社らしい。時間があるので寄り道することに

これが徐福神社。秦の始皇帝に不老不死の薬を探すよう求められ、蓬莱山のある島を目指して東シナ海に出航した徐福だ。なぜ徐福神社がここにあるのか?数年前に伊勢路を紹介したTV番組にこの神社も出てきたが、徐福がたどり着いてここに住み着いたという伝説が残っており、村人たちにいろいろ教えたらしく、死後ここに祀られたとか


作り話だろうと侮ってはいけない。この神社の宮司の家には、代々伝えられている貨幣がたくさん残っていて、それがまさに秦の時代の硬貨なのだ。事実は小説よりも奇なり、ということか・・

徐福なのか、部下の船員たちだったのか、いずれにせよ秦時代の中国人がたどり着いたことは間違いなさそうだ。当時(紀元前200年頃)の日本は弥生時代に入ったばかりで、まだまだ文明と呼べるような世の中ではない


数百年にわたる春秋戦国時代を経て、秦という統一国家を築いた当時の中国の国情は、日本で言えば戦国時代を経て統一を果たした秀吉、家康の時代(1600年頃)と似たような状況だ

徐福神社から離れる際に、徐福茶屋から見下ろした大楠を撮影。立派な大木だ

波田須の集落から大吹峠(おおぶきとうげ)へと向かう山道より海を見下ろす。リアス式海岸もこの辺りで終わる

大吹峠(205m)で、猪垣の隙間を抜けて行く。垣の向こう側に右手に進む観音道への分岐がある。峠道も観音道も大泊の街へ下りていく

大吹峠からの下りの石畳道。実は峠から少し下ったところで、課外授業なのか遠足なのか、100名を超える地元の中学生の一行とスライドした。伊勢路をずっと歩いてきて、こんなに大勢の人とすれ違うのはこれが初めてだった(笑)。恐らく、峠から観音道へ進んで大泊へ周回するのだろう

立派な長い猪垣が続く

大泊海岸に下りてきた。ここも波が穏やかできれいな海水浴場だ

大泊からすぐ先に松本峠(135m)への入り口がある。これが伊勢路最後、16番目の峠だ

たまには峠にある案内板の写真を。ここを越えて下れば熊野市に入る

松本峠からの下りの石畳道。伊勢路の数多の峠道は石畳が多く残っていて、古道感が溢れている。3つ目のツヅラト峠の後半から石畳が現れ、以降、ほとんどすべての峠に石畳が残っていた


もちろん全ての石畳がこの状態で残されていたわけではなく、土や草に覆われて埋もれていた石畳も多かったようだ。三重県が音頭を取ったのか、世界遺産登録などに向けて地元の人たちの地道な活動で掘り起こされて復活した石畳や古道も多いと聞く。自分で歩いてみて、これら関係者の方々には感謝の念が絶えない

松本峠から下ると熊野市の街中に入る。風情のある街並みを抜けて行く

市街地を抜けると海岸線に沿って歩く。松本峠や鬼ケ城(おにがじょう)方面を振り返る。鬼ケ城は寄り道しなかったが、本日の行程終了後に時間があれば立ち寄ってみよう

前日とこの日の夜に連泊する宿はこのすぐ近く。道路から下りて海岸を歩いてみたら、砂利でなかなか進めない(笑)

獅子岩まで海岸を歩いてきて、ここで国道に復帰した

新宮まで残り22キロ。熊野市の外れにある花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)まで到達。まだ正午なので、さらに残りの距離を縮められるだろう

花の窟神社への参道を進む

高さ45mという巨岩が窟(いわや)で御神体、日本書紀にはイザナミノミコトがここに葬られたと記載されているとか・・。古事記では、広島と島根の県境にある比婆山(ひばさん)に葬られたともある


花の窟神社は日本最古の神社とされており、世界遺産にも登録されている。日本最古の神社って、奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)とか、阿蘇の幣立神宮(へいたてじんぐう)とか、淡路島の伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)とか、他にもあったような・・


それはさておき、神社の前にある道の駅でお昼ご飯にした

花の窟神社から先へ進む。有馬町から御浜町(JR有井駅からJR紀伊市木駅)にかけては、伊勢路が海沿いの堤防の上や右横の防風林の中の道を進むようになっている


堤防の上は海を眺め、波の音を聞きながら、海風を感じて進めるのだが、日差しをまともに受けて暑い。日陰を歩きたいとき、風が強い時などは、防風林の中を歩くのが良い。ただし、サル出没注意の看板あり(笑)


紀伊市木駅の先あたりで国道をしばらく歩き、御浜町役場の前で再び堤防沿いを進み、黒潮橋の歩道橋のところで国道を渡ると、この日のゴール、JR阿田和駅に着いた。午後3時少し前、ここで本日の古道歩きは終了


国道沿いにバス停があり、行き先が鬼ケ城となっていたので、ちょうどやってきたバスに乗り、素通りしてきた熊野市の外れにある鬼ケ城に向かうことにした(乗車30分弱)。以下は鬼ケ城散策の記録

バスで鬼ケ城センターに到着すると、この予告看板。何とこの時期に花火があり、その準備作業のため11月13日の17時から11月18日24時まで通行規制され、半島の先をぐるりと反対側へ通行できないとのこと。この日は11月17日で通行規制に嵌ってしまった

とりあえず行けるところまで行くことに

まずは千畳敷と呼ばれるポイントに

そのすぐ先で行き止まり。ここからが断崖の壁にへばり付くように進む面白いところなのに行けない。仕方ないのでUターンしてセンターに戻り、30分程歩いて駅前を抜けて獅子岩近くの宿に向かった


素泊まりなので、前夜もこの夜も近くのイオンで寿司パックやつまみ、アルコールを調達。明日は、いよいよ最終日。伊勢路のゴールまで残すところ約13キロ。ゴール到達を確信し、部屋で前祝いの一人宴会

 

7日目の記録

歩行ルート図と標高グラフ

合計距離: 11362 m
最高点の標高: 67 m
最低点の標高: 1 m
累積標高(上り): 157 m
累積標高(下り): -171 m

山行の詳細

最終日、7日目の朝6時45分頃。宿を出立し海岸から昇るご来光を眺めながら駅に向かう。すると途中で電話。宿のフロントから宿泊費の支払いがまだとの連絡。チェックイン時に前払いしたと思い込んでいたので、ルームキーをボックスに返却して退出してしまった


6時55分発の列車に乗るため、慌てて宿に戻り支払いを済まし、小走りに駅へ急ぐ。列車にはギリギリ間に合った(汗)

熊野市駅から4駅進み、前日に到達した阿田和駅から古道歩きを再開。この日はほとんど舗装道路歩き。道路には、このような塗装がしてある。でも最後まで気を抜かないよう伊勢路ナビを併用して確認しながら進む

しばらく進むとこの道標。いよいよカウントダウンの始まり(道標は1キロごとにあるわけではないが・・)

分岐には進む方向が明示されている

中にはこのようなややこしいものも。この道をまっすぐ進んでもいいし、左へ曲がって国道に合流して進んでも良いという意味かな

この辺りは、「年中ミカンの育つ街」と看板にあった

紀宝町のJR紀伊井田駅のすぐ手前から海沿いの道を離れ、山側の麓を進むようになる。ちょっと高台を進むので、海がきれいに見えて楽しめる

この分岐には進む方向を示す案内がなかった。伊勢路ナビを見ても、どちらか良く分からない。右の道の奥に看板が見えたので、それに釣られて進むと、里山のハイキングコースの案内板だった。ここまで戻って左手に進む

先ほどの間違った道を進むと、あの山に登るようだ。それにしても、最終日もこの快晴。とても気持ち良い

途中、自動車道建設工事のため、古道が一部通れない箇所があった。伊勢路ナビをチェックしていると、ショベルカーを運転していた人が下りて来て、「熊野古道歩きですか?」と声をかけてくれた。「工事で古道は進めないので、こちらから迂回してほしい」と説明してくれた

迂回路を進んで古道に復帰し、しばらく進むと、あと2キロの標識。あと2キロでゴール。うれしいような、何だか物足りないような・・

熊野川に達した。速玉大社は3回目だが、新宮市にこちらから入るのは初めて。これまでこの建物を反対側の街中から眺めて何だろうと思っていたが、大手宗教団体の施設だった

熊野川を渡る。この先で和歌山県新宮市に入る。伊勢神宮からここまで三重県を歩いてきたが、伊勢路の最後の最後で和歌山県に入る。伊勢路の約170キロのうち、最後の約5-6百メートルだけが和歌山県ということになる

新宮市に入ると道路の古道標識はこのようになる

ゴールが見えてきた。この道の突き当りに石柱と赤い鳥居が見える

ゴール!よく歩き通したよ

参道を進み、本殿へ

無事に歩き通せたことを感謝して御参りした

歴代の御幸。大河「鎌倉殿の13人」に登場する後鳥羽上皇は29回も熊野詣を行っている。何かと忙しく動き回った方だったようだ

10時頃には熊野速玉大社にゴールできたので、近くの神倉神社にも立ち寄った。3回目の速玉大社参詣で初めての神倉神社。大岩がご神体。ここに登ってくるまでの石段が驚くほど急で、お年寄りや幼児は転落しないように特に気を付けた方がいい

神倉神社の御由緒はこちらを

境内からは新宮の街と太平洋がきれいに見えた

海岸沿いを走る列車の車窓から海を眺め、感慨ひとしお。素晴らしい旅だった。一週間以上の伊勢路歩きに快く送り出してくれたカミさんに感謝。そして無事に歩かせてくれた伊勢や熊野の神々に感謝感謝だ

旅を終えて

熊野古道の中でも伊勢路は長いこと、舗装道路歩きが多いこと、並行して列車やバスが走っていること、実家の尾張から比較的近いことなどから、何回かに分けて歩くつもりでいた。しかしながら、計画しているうちに気が変わり、一度に歩き通すことにした


一番の心配は舗装道路歩き。坂本龍馬脱藩の道を土佐から伊予まで130キロ超歩いた時には、長い舗装道路歩きで足裏には大きなマメができ、足指の爪がいくつもやられた。伊勢路を歩き始めてみると、最初の2日で同じようなダメージを受け始めて不安が増したが、3日目以降は峠越えが増えて来て、足へのダメージがそれ以上悪化しなかった

石畳の峠越えは古道の趣が溢れ、とても楽しめた。こんなに石畳が残っているのかと、正直なところ驚いた。また「伊勢路ナビ」をはじめ、「伊勢路図絵 令和の熊野詣」や「伊勢路ガイドマップ」など、伊勢路歩きをサポートするツールも用意され、伊勢路を大切にしていこうという三重県の行政機関や地元の方々の熱意のようなものを強く感じた

一般道によって古の道が分断され、古道を辿ることはとても難しい。龍馬脱藩の道のときは、伊勢路ナビのようなナビツールもなく、冊子になった地図などもなかったため、道路に所々ある「脱藩の道」の標識を頼りに歩いた。事前にグーグルのストリートビューで、脱藩の道をチェックしたりして膨大な時間をかけたのだが、今回は特にナビのおかげで、容易に辿ることができ、関係者には感謝したい

峠越えの度に見える美しい熊野灘やリアス式海岸の変化に富んだ景色に癒され、山の稜線歩きとは異なる感動を受けた伊勢路歩き。是非とも多くの方に楽しんでもらえたらと思う。上述したように、列車やバスが並行しているので、うまく区切ってゆっくりと景色を楽しみながら歩かれることをお薦めする

また、日帰りだけでなく、温泉や美味しい海の幸を楽しめる宿を手配して、「うまし国」を味わい尽くされるとよいと思う。必ずしもゴール地点に宿泊する必要はないので、列車やバスを利用して移動し、ここぞと思う宿に宿泊されることをお薦めする

さて、町石道から小辺路、さらには中辺路の後半を繋いだ最初の古道歩き、次には修験道の大峯奥駈道を歩き、今回は伊勢路を完歩できた。いつになるか分からないが、最後に中辺路を通しで歩いて、熊野古道の仕上げにしたいと思っている

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歩行タイム

6日目 山行

7時間16分 休憩 31分 合計 7時間47分

着時刻 地点 発時刻

S        二木島 07:03(泊地の熊野市駅から電車で仁木島に戻る)

07:36 二木島峠 07:46

08:02 逢神坂峠 08:03

08:38 新鹿海岸

09:46 文字岩

10:07 大吹峠

10:37 大泊

10:46 熊野古道松本峠道 大泊登り口 10:49

11:02 松本峠 11:04

11:07 松本峠道展望台 11:08

11:14 熊野古道松本峠道 木本登り口

11:38 獅子巌 11:47

11:53 花の窟神社 11:58

14:49 跨線橋

14:50 JR阿田和駅(バスで熊野市に戻って泊)

7日目 山行

2時間42分 休憩 1分 合計 2時間43分

S          宿泊地 07:12

08:07 紀宝町ウミガメ公園

08:38 首なし地蔵 08:39

09:51 熊野速玉大社

09:55 ゴール地点G

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