2022.11.21 16:05
1日目の記録
歩行ルート図と標高グラフ
最高点の標高: 148 m
最低点の標高: 4 m
累積標高(上り): 523 m
累積標高(下り): -477 m
山行の詳細
まずは早朝にホテルから近鉄の宇治山田駅まで歩く。なかなか雰囲気のある駅舎だ。駅前には伊勢出身の大投手、沢村栄治の銅像があった。コインロッカーに重いザックを預けて、サコッシュだけの身軽な出で立ちで内宮までバス移動
文明の利器で内宮へワープ(冒頭の写真)。内宮はおよそ10年ぶりだ。まずは参拝に向かう。内宮は右側通行の札が立っている
写真撮影はここまで。階段を上がり、道中の無事をお参りする
朝の空気が清々しい。今日も素晴らしい天気だ。実行を早めたことで、紅葉にはまだ早い
いよいよ熊野古道の伊勢路編の始まり。全長170キロの行程を7日間かけて歩く。最初の3日間(11/12-11/14)を序盤としてまとめた。1日目は伊勢から栃原(とちはら)までの29キロ。そのほとんどは一般道を進むことになる。出発点である内宮宇治橋の鳥居の上からご来光。太陽の光が強すぎてハレーションの写真となってしまった
おはらい横丁を抜けて行くが、朝8時なのでほとんどのお店はまだ閉まっている
今日は土曜日。この週末、おかげ横丁では何かイベントがあるようで、太鼓などの設置準備中だった
おはらい横丁を抜けてすぐに猿田彦神社の前を通過。こちらにも参拝した
伊勢路沿いの多くの民家が紫色の暖簾を掲げていた。玄関にはこの地方ならではのしめ縄「笑門」をかけている家がほとんどだ。伊勢市だけでなく、伊勢路の前半辺りまでは「笑門」を見かけた
途中、宇治山田駅でザックを回収し、外宮にやってきた。伊勢路ナビのルート通りに進み、外宮の中を抜けて行ったが、前日に参拝したのでお参りはしなかった
伊勢市街ではこのような古民家を見かけることが多い
度会橋(わたらいばし)で宮川を渡る
伊勢路の所々でこの道標を見かける。新宮まで162キロ。反対側には伊勢まで8キロの表示。つまり全行程170キロ。これが最初の道標だったと記憶する
伊勢から田丸城跡までやってきた。お伊勢参りを済ませた人たちは、この田丸の街で巡礼衣装に改め、熊野を目指して旅立ったとか
伊勢路最初の峠、女鬼峠(めきとうげ)。標高120mの峠だ。車の通る一般道を外れてほっと一息。女鬼峠の名前の由来はいくつかあるようだが、どれも漢字が想起させるようなストーリーのものが多い
岩を削って作られた道。往時の荷車などの車輪の跡が岩盤に轍となって残っている。舗装道ではなく、こういう道をずっと歩きたい
切通しを通過する。道を作るのも大変だっただろうな・・
女鬼峠を越えると長閑な光景の中を進む。茶畑や田畑の間を抜けて今宵の宿がある栃原へと向かう。この日は古くから伊勢路を歩く旅人の宿として親しまれてきたこじんまりとした旅館に宿泊。宿主の高齢化に伴い、朝食のみの提供となる。夕食は近くの国道沿いにあるレストランを利用するのだが、1か月ほど前に廃業したとのことで、その近くにある喫茶店一択となった(駅近くに小さな居酒屋も一軒あるようだが・・)
この喫茶店ではオムライスやカレーなどはあるが、定食のようなものはない。なぜか吉田拓郎などの40-50年前のフォークが延々と流れる喫茶店だった
2日目の記録
歩行ルート図と標高グラフ
最高点の標高: 279 m
最低点の標高: 52 m
累積標高(上り): 776 m
累積標高(下り): -709 m
山行の詳細
2日目の朝。朝霧の中、宿を出立する。栃原から伊勢柏崎まで30キロ強を歩く。三瀬坂峠を越えていくが、1日目と同じく一般道路歩きが多い
この日の天気予報は曇りのち雨。計画段階では小雨程度の予報だったが、悪い方に変化して、しっかり降る予報に変わってしまった。一週間も旅すれば、雨に当たるのもやむを得ない。旅館のある小さな集落を抜けるとこのような道。側道なので静かだ
すぐに「馬鹿曲り」という名前の付いた脇道に入る。宿のご主人から、「階段を下りたらしばらく谷を歩き、その後に林道を進む。ちょっと分かりずらいので注意して」とアドバイスされた
階段を下りて沢沿いに進むと藪漕ぎになった。こんな道かよ、と思いながら、アドバイス通りしばらく藪漕ぎして谷を進み、あるべき小さなトンネルを探すも見つからない。土手の上へと薄い踏み跡をたどると行き止まり。いくら何でもおかしいと思い、GPSで現在位置を見ると随分外れている。来た道を引き返す
何と、階段をおりたすぐ背後に進むべきトンネルがあった。階段を前向きに下りて、そのまま前方の谷を進んだのが間違いで、後ろを振り返ってみるべきだった。トホホ・・(泣)
側道とJRの線路の下を抜けて行く。中腰姿勢でスマホのライトを付けて左側の金網状の上を歩く。雨が降った後は水量が増して水に浸かるので要注意
トンネルを抜けるとほんの少し(「しばらく」ではない!)谷沿いに歩き、林道に出る。徐々に谷を下の方に見るように緩やかに登りながら林道をしばらく歩くと、この橋に出る。左には撮影スポットの標識がある
標識につられて土手を下ると、このアングルで写真を撮影できる。なお、雨降りや直後は土手が滑りやすいので、ここへ下りない方が良い
土手を上がり橋を渡って林道を進むと、国道の橋の下を抜けて、国道へと上がる。国道ができたときに、馬鹿曲りの名前の由来となったくねくねと曲がる古道が通れなくなり消失したようだ
野暮な国道歩きになるものの、すぐに右方向の側道に入る。右方向の側道へ入る手前約50mあたりで、伊勢路ナビは民家の庭を抜けていくように表示されているが、これは間違い。ちょうど民家の奥様が庭に出ておられたので尋ねると、50mほど先に見える標識のところを右へ曲がって進んでくださいと教えてくれた(行政には修正依頼をされているようなので、そのうちナビは更新されると思われる)
側道を進むと、左側に細い山道のような分岐がある。これを進むと舗装道路に再び出て、明治時代に作られたレンガ造りの神瀬橋(通称、めがね橋)の上を通る。以前はめがねのように二つのアーチがあったようだが、すぐ横を通る線路を作る際に一つ(写真右手側)が隠れてしまったとか・・
写真の奥から眼鏡橋を渡ってこちらに歩いてくると、写真左の幟と案内板がある。この反対側(写真右側)から眼鏡橋の撮影スポットへの下り口がある。撮影スポットから眺めた橋が、ひとつ前の写真だ。
これが撮影スポットへ下りていく道。ちゃんと整備されて安全に下りられる
しばらく国道42号と並行する側道を歩く。茶畑などが広がり長閑だ。それにしても今にも雨が降り出しそうな空模様だ
国道と並んで並行するのがJR紀勢線。国道などの幹線道路を歩き続けても新宮へは行けるし、この線路を歩き続けても新宮へ行ける(線路内は立ち入り禁止。念のため)
そういえば35年位前だが、スティーブン・キング原作をもとにした「スタンド・バイ・ミー」というアメリカの映画があったな。少年4人が寝袋を持って一泊二日の旅に出るのだが、線路の上を歩いて旅するシーンが出てくる。50年代、60年代のアメリカンポップスが次々とバックに流れ、少年たちが旅する姿がとても印象的な映画だった
映画の主題歌はベン・E・キングの「Stand By Me」。4人の少年のうちメガネをかけている男の子の弟が、映画「ジョーカー」を演じたホアキン・フェニックスだ。蛇足だけど・・
しばらく側道を歩き続けた後、国道に合流して進むと、前方にお城のような建物が見えてきた。近づくと、とある宗教団体の本部だった(笑)。高奈という集落だったが、何でお城の格好かねぇと眺めつつ前を通過
変なお城の前を通り過ぎた先で側道に入って進むと、下三瀬(しもみせ)の街に入る。昔は「三瀬の渡し」といって、宮川を渡し舟で渡ったようだ。最近になって地元の保存会の方々が、渡しを復活させたそうだが、予約制であること、一定の人数以上であることが条件らしい。伊勢路の地図やナビにあるように、歩いて大きく迂回するしかない
JR三瀬谷駅近くまで迂回路を歩いてきたら、初めて踏切で足止めを食らった。伊勢路では何度も踏切を渡ったが、信号待ちはこの一回だけだった。この辺りで、雨がパラついて傘をさした
三瀬谷駅の裏側にある道の駅。懐かしい。大杉渓谷から大台ケ原へ歩いた際に、列車で三瀬谷駅まで来て、道の駅にあるこのバス停から予約制のマイクロバスで大杉谷の入口へと移動した。4年前のちょうど今頃、11月下旬の三連休でバスの運行が終了する直前だった
ここでトイレ休憩していると、雨が本降りに変わってきた。レインパンツをはき、スパッツを付けた。蒸し暑くなるのでレインジャケットは着ずに傘をさして歩き続けることにした。小辺路から中辺路を繋いで大雲取越えを歩いた時も、大峰奥駈道で弥山小屋から深仙小屋へ歩いた時も同じスタイルだった
長細いU字型に大きく迂回する先端部分で宮川の橋を渡る。もう少し時期が遅ければ、紅葉に挟まれた宮川を見られたかな?
ここからU字型を戻るように、宮川の反対側を三瀬坂峠へ向けて進む。右手奥の三瀬坂峠方面には低い雲がかかっている。ひょっとしてガスガスの峠越えか・・
三瀬坂峠の麓の集落まできた。これから進む右手方向は雲の中。気が滅入る
気を取り直して三瀬坂峠に踏み込む
伊勢路2番目の三瀬坂峠(256m)に向かう。静かで雰囲気のある峠だ。舗装道路から解放されて、足もほっとしている
三瀬坂峠を越えて反対側に下りてきた。「いとう」というジビエ料理のお店があった。お昼ご飯をここで食べたかったが、濡れたスパッツやレインパンツを脱いだりするのが面倒で、お店に入ることを諦める。このお店の看板に気を取られ、手前で側道に入るところを国道沿いに進んできてしまった
伊勢路ナビは側道に入るようになっているが、地図上は国道をそのまま進むようになっていて、分岐には標識も幟もなかった。この辺はおおらかに考えた方が良い
分岐まで戻って側道をしばらく歩くと先ほどの国道に出る。国道を進み、今度は反対側の側道に入っていくと、突如として大木が両側に並ぶ厳かな雰囲気の広大な森に入り込んだ。どうやら瀧原宮の敷地らしい
瀧原宮は伊勢神宮ができるまで天照大神を祀っていたところで、伊勢神宮の元の神社とか。雰囲気は内宮に劣らず、佇まいもどこか似ている
参道を深く進み参拝した。この後は、ひどくなった雨の中を黙々と3キロほど歩き、JR伊勢柏崎駅の先にある民泊宿に向かった。後から振り返って写真を全く撮る余裕がなかったことに気が付いた(笑)
3日目の記録
歩行ルート図と標高グラフ
最高点の標高: 355 m
最低点の標高: -4 m
累積標高(上り): 565 m
累積標高(下り): -719 m
山行の詳細
3日目の朝。前日の雨はすっかり上がって完璧な青空。雨の中を歩いて鬱々とした心もすっかり晴れた。紀勢自動車道を見上げながら宮原の集落を抜けて行く。この日は伊勢柏崎から古里(ふるさと)の集落まで約21キロを進む
澄んでとてもきれいな大内山川沿いの道を進む。川底や川の中を泳ぐ魚がくっきりと見える。このあたりまで来て、宿に帽子を忘れたことに気づく。20分ほど歩いて宿に戻ると女将さん(お婆さん)がいない。あきらめて再出発しようかと思案していると、お婆さんが車で戻ってきた。帽子を私に届けるため探しに出かけてくれたが、国道の方を探したため見つからず戻ってきたとのこと(私は伊勢路ナビに従って上の写真のような側道を歩いていた)。お婆さんに感謝感謝だ。私の不注意で、とんだご厄介をお掛けしてしまった。
仕切り直して再出発し、大内山川に沿ってヒノキ林の林道を進む。その後、国道に合流したり、集落を抜ける側道を歩いたりを繰り返し、下里(くだり)の集落へと進む。下里の集落にあるJR梅ケ谷駅のすぐ手前で、伊勢路は荷坂峠越えの道とツヅラト峠越えの道に分かれる
古より伊勢と紀伊の国境だった荷坂峠が江戸時代初期より伊勢路の本道になったとのことで、それ以前の熊野街道開拓時はツヅラト峠が本道だったとのこと。荷坂峠には全く石畳はないとのことで、昔の本道のツヅラト峠を進むことにした
下里の集落を抜けてツヅラト峠の登山口に向かう林道に入った途端、この捕獲装置が設置してあった。猪用?それとも熊用?ここからツヅラト峠を終えるまで、用心のため熊除け鈴をならしながら進んだ
峠の入り口まで気持ちの良い林道歩きだ
ツヅラト峠の入り口には木の枝で作られた杖がたくさん置いてあった。ツヅラトとは九十九折が語源とのことで、このあと急峻な登りの山道で実感することになる
ツヅラト峠は標高357m。ちょっとした里山越えと同じくらい。登山道と同じような道だ
野面(のづら)乱層積みという石垣が組まれ、古道の崩壊をしっかりと防いでいる。丁寧な先人の仕事に守られ、古道は今も残っている
主な峠には、このような道標が100mごとにあり、とても助かる。「05/18」ということは1800mの峠道を500m歩いてきたということ。上りと下りで歩行距離が異なるので、必ずしも「09/18」のように数字の中央が峠というわけではない。ツヅラト峠の場合、06辺りが峠だった
これが峠の展望台からの眺め。伊勢路を歩いてきて、初めて熊野灘が見えた瞬間。思わず「おぉー」と声を上げていた。右下に見えるのは紀伊長島の街だ。峠を下り始めると樹林帯に入るため、再び眺望はなくなる
ツヅラト峠を越えて下っていくと、初めて石畳が現れた。古道の雰囲気がいっぱい
反対側の登り口まで石畳は続いていた。熊野古道の雰囲気が溢れる。こちら側から登る人とのすれ違いが多いのが理解できる
置いてある杖の数が圧倒的に少ない。つまり、こちらで杖を調達して、私が登ってきた向こう側に返す人が多いということ。このことからもこちら側からの登山者が多いのが見て取れる
ツヅラト峠を終えたところにある道標。新宮まで98キロの表示。伊勢から72キロ歩き、残り100キロを切った
結構な急登、劇下りのツヅラト峠を終えたところにトイレ棟がある。その入り口の上にかかっていたのがこの歌だ
「いにしへの 熊野詣の つづら坂
往くてに馬越 八鬼山峠」
ツヅラト峠は序の口で、この後にもっとつらい馬越峠(まごせとうげ)や八鬼山峠(やきやまとうげ)があるぞという予告のような歌
ツヅラト峠を終えた先に新しいキャンプ場があった
志子奥(しこおく)の集落を抜けて紀伊長島の街へ向けて進む。街路樹が紅葉し始めている
紀伊長島の海。伊勢路で初めて海に出た
紀伊長島の街からさらに進むと加田の集落を通る。その先に一石峠(73m)があり、峠から加田方面(と思う)を振り返る
一石峠に続く平方峠を抜けて下っていくと、今宵の宿泊地の古里(ふるさと)の集落が見えてきた
午後3時前で宿のチェックイン時間には早いので、宿のすぐ先にある海岸まで下りた。夏は古里(ふるさと)海水浴場になる。静かできれいな海だ
伊勢路に入って3日目で初めて波に触れた。今日の宿は名前に「漁亭」と謳っているので、料理が楽しみだ。「うまし国」三重の魚料理に舌鼓を打ちながら、おいしいお酒をいただくとしよう。まずは24時間入れる温泉に直行し、3日間の足の疲れを癒したい
歩行タイム
1日目 山行
6時間57分 休憩 26分 合計 7時間23分
着時刻 地点 発時刻
S 宇治橋 07:47
07:55 おかげ横丁 07:58
08:28 伊勢古市参宮街道資料館 08:29
09:49 渡会橋西詰 09:50
10:48 伊勢本街道/熊野街道分岐 10:51
10:55 田丸駅踏切 10:56
12:59 女鬼峠入口 13:01
13:13 轍跡 13:16
13:24 女鬼峠展望台 13:36
15:10 栃原泊
2日目 山行
8時間40分 休憩 5分 合計 8時間45分
着時刻 地点 発時刻
S 宿泊地 07:40
08:05 バカ曲り
08:35 神瀬橋
08:44 殿様井戸
09:10 川添駅
10:20 大谷不動明王
10:51 道の駅奥伊勢おおだい
12:26 三瀬坂峠
13:18 道の駅奥伊勢木つつ木館
13:45 瀧原宮13:50
16:20 高尾登山口
16:25 伊勢柏崎泊
3日目 山行
7時間29分 休憩 16分 合計 7時間45分
着時刻 地点 発時刻
S 宿泊地 07:03
07:45 坂津登山口07:46
08:50 大山内駅08:53
09:44 定坂公園
10:12 ツヅラト峠大紀町側登り口 10:13
10:32 ツヅラト峠 10:38
10:50 野面乱層積 10:51
11:14 ツヅラト峠紀北町側登り口 11:17
12:09 花広場
13:09 魚まち 13:10
13:56 長島造船
14:48 古里泊