西国百名山ツアーを終えて

山の記録

2021.12.24 08:50

25年間やめていた山を本格的に再開したのが2014年。若い頃は意識もしていなかった百名山に登ろうと思い立ち、山愛好家のSNSサイトの「ヤマレコ」に記録を残すことにした。現役時代は休日にポツポツと登り、少しずつ数を増やしていった

引退してこれから一気に登るぞと思った途端にコロナ禍が始まってしまった。残っている百名山は、現役時代には行けなかった四国や九州、北海道など遠方の山ばかり。コロナで遠征を自粛していたら、この2シーズンは1座も先に進めなかった

やっと光明が見えたのは、ワクチン接種を終えて、かつ第5波が落ち着いてきた今秋。この機会を逃したら、また次の波が来ていけなくなると決心し、西国ツアーに出かけることにした。残っているのは、本州では最西端の伯耆大山、四国の2座、九州の6座だ

残念ながら個人的には登頂している阿蘇山が噴火により入山できなくなったこと。ヤマレコ上での百名山登頂を目指すためには、入山規制が解除されたタイミングで再訪するしかなくなった。というわけで、西国に残る百名山8座をめぐる山旅とした

以下の方針を立てて出発した

・悪天以外は多少の雨でも登る

・とはいえ、年なので無理はせず安全登山を心掛ける

・観光はせず登山に集中する(二兎を追う者は一兎も得ず)

以下がオリジナルの計画と実際との対比表:

日程計画実際
12/04(土)   剣山 剣山
12/05(日)石鎚山石鎚山
12/06(月)移動日祖母山
12/07(火)移動日韓国岳
12/08(水)屋久島ー1   屋久島ー1   
12/09(木)屋久島ー2屋久島ー2
12/10(金)屋久島ー3屋久島ー3
12/11(土)開聞岳開聞岳
12/12(日)韓国岳九重山ー1
12/13(月)祖母山九重山ー2
12/14(火)九重山ー1伯耆大山
12/15(水)九重山ー2実家へ移動
12/16(木)伯耆大山
12/17(金)実家へ移動

12月6日、7日に移動日を計画していたのは、6日がフェリーで四国から九州へ渡って宮崎へ移動、その夜に岐阜の高山で2年ほど一緒に仕事をした仲間が転職して某会社の宮崎工場長で赴任しているので、久しぶりに大いに飲んで旧交を温め、翌7日は二日酔いを想定してゆっくり鹿児島へ移動し、屋久島縦走の準備に充てるための日程だった

結局、12月4日から14日までの11日間、毎日山を歩いたことになる。幸いにも好天に恵まれ、レインウェアを着なければならないような天候に当たらなかったこと、祖母山の天気予報が好転し、無理をして深夜にフェリーで四国から九州へ渡り、宮崎へ移動する途中に祖母山に登頂できたこと、同じく韓国岳の天気予報が快晴になり、前夜のお酒を程々にしたことで、宮崎から鹿児島への移動途中に韓国岳登山をしたことにより、当初の計画よりも2日間早く終了することができた

この2日間の短縮により伯耆大山の登山が好天に恵まれた。1-2日遅れていれば、寒気団の到来による悪天の期間にぶち当たり、大山の登山を断念せざるを得なくなっていた。幸運以外の何物でもない

本来は、3回ぐらいに分けて実行する計画であることは承知している。しかしながら遠征ともなると、移動に要する費用、時間、労力は小さくなく、可能な限り移動回数を減らしたいところだ

山を再開してから、現役時代は休日登山が主だったので、勢い弾丸登山的な山行が多かった。完全引退してからは、時間に余裕ができたので、縦走登山が多くなっている。元々、自宅から登山口までの移動が苦痛だったので、一度の移動で多くの登山を楽しむというスタイルが性に合っている。まして遠征になれば、なおのこと

今回、マイカーで走った距離は、千葉の自宅から中継地点とした尾張の実家までの往復約800キロを含めて、3310キロだった。とてもこれを2-3回繰り返す気にはなれない。一度でほぼ済ますことができたのはラッキーだった

残る阿蘇山は、飛行機とレンタカーを使い、熊本や周辺の観光と合わせて、カミさんを連れてのんびりやりたいと思っている。快く今回の山巡りに行かせてくれたカミさんへの恩返しも含めて・・・

さて市中ではオミクロン株の感染がじわじわと広がりを見せ始めている。諸外国の状況を見れば、第6波がやってくるのも時間の問題だ。このタイミングで西国の山々を巡ることができ、感謝感謝である

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