熊野古道 大峯奥駈道編② 序盤:吉野から弥山小屋(2020/11/05-06)

山の記録

2020.11.12 23:06

大峯山あるいは大峰山というと、百名山的には最高峰の八経ヶ岳を指すことが一般的だが、宗教的には山上ヶ岳を指す。百名山を選出した深田久弥はどちらの山を意味したのか分かりづらい。山上ヶ岳から最高峰の八経ヶ岳まで歩き、満足して山を下りたようであるから、どちらともいえる。

そもそも大峯山という名前の山はない。古来、奥駈道が通る山々を総称して大峯山系と呼ぶ。深田久弥の選出基準からすると、標高だけで選出するのではなく、山容や歴史的な背景を含めて選出しているので、少なくとも山上ヶ岳から八経ヶ岳までを含めた山系を百名山としたのではないかと個人的には思う

冒頭の写真は山上ヶ岳山頂にある大峯山寺。毎年5月3日の戸開式から9月23日の戸閉式まで開廟される。今年はコロナ禍でずっと閉山されていたようだ

歩行ルート図と標高グラフ

合計距離: 20985 m
最高点の標高: 1707 m
最低点の標高: 390 m
累積標高(上り): 2308 m
累積標高(下り): -1072 m

山行の詳細

まずは2日目の朝。朝食代わりにお弁当をお願いして、薄暗いうちに宿を出立。宿の目の前が奥駈道で写真の標識がある。この道標は奥駈の山中に、次々と現れるので助かる

第72番靡の吉野水分神社(みくまりじんじゃ)。どんどん坂道を上がって標高を上げていく

車も通れる舗装道を上がっていくが、このトイレの左側へ入って高城山に寄っていく

山頂にある立派な展望台

高城山展望台からの眺め。右端の低いのが二子山。昨夜の宿で私が泊った部屋の名前が二子山だった。この山の名前からきていることに気づいた。中央右が葛城山、中央左が金剛山。近畿の人にはなじみの山なのだろうな

展望台からの下りの道。このあたりの紅葉は見事だった。アマの写真家の方が写真を撮っていた。道に紅葉の葉がもう少し落ちていると良いのだが少し早いな、と仰っていた

修行門。いよいよ林道を離れて山に入る

金峯神社。この先から土の山道に入る

弘法大師もここを通って高野山を見出したとか。ここまでで六田駅から標高700mほど上がってきている

一旦林道に出て、四寸岩山(しすんいわやま)へ向かう標識。ここから本格的な山道に入る

最初の山道の登りで、400m弱の急登を経て四寸岩山の山頂に到達

すでに山深い。小辺路を歩いた時も感じたが、こういう自然が残っていることに感謝

紅葉を愛でながら進む。標高1000m辺りが色づいている

四寸岩山から200m下げて二蔵小屋。無人小屋だが、11月1日から4月30日まで閉鎖とのこと。小屋前で幕営可。トイレあり。水場は小屋から10分との標識があった

大天井ケ岳へは資材搬送用レールに沿って進む。ときどき跨いで左右入れ替わる

二蔵小屋から約300mの急登で大天井ケ岳。なかなか厳しい登りが続く

大天井ケ岳から200mほど下げて五番関の女人結界門。2週間前に来られた方の写真では「女」の文字が削り取られた痛ましい状態だったが、新しく修復されている。宗教的な理由とは言え、女人禁制を続けることには、反対意見も少なくない

まぁ、それはそれとして、この結界門の中で出会ったのは女性二人だった(笑)。一人はトレランの女性で、結界門から山上ヶ岳までピストンして戻ってくるところだった。もう一人は若い尼僧で、昨年に続き2回目の奥駈だそうだ(後記:尼僧ではなく納棺師と判明)

私と同じ逆峯で進まれるとか。テントを持たずに歩いているとのことで、序盤や中盤は小屋が多いので大丈夫だが、終盤は小屋がないので昨年同様、野宿になるだろうとのこと。寒さに体調を崩すことなく、天候に恵まれ無事に完遂されることを祈るばかりだ

蛇腹と呼ばれる鎖場。見た目ほど難しくないが、慣れない人は鎖に頼って腕で体を引っ張り上げず、しっかり自分の足で登り、鎖は念のため掴む程度にされるのが良い

結界門から200mを登って少し下ると洞辻茶屋。ここで休憩中の若い尼僧に出会った(後記:後に納棺師(送り人)であることを知る)。茶屋はすべて休業中

さらに二つの茶屋を抜けて上へと進む道が二つに分かれる。右は階段で、左は鎖場を通過して、上で合流する。左の道も最初は階段の登り

寒いはずだ。道端にはつらら。私としては、汗をかかなくて助かる

「油こぼし」と呼ばれる鎖場かな。こちらも先ほどの鎖場と同じ要領で鎖は補助程度に

通過してきた尾根を振り返って。中央下に茶屋の一つが見える

有名な西の覗(のぞき)。ロープを両肩にかけて確保してもらい、岩の先に上半身を乗り出す荒行。確保者はあえてロープを緩め、落ちる恐怖を与える。閉山中で誰もいないので、自分ひとりじゃ試しようもない

頂上直下の宿坊はコロナ禍ですべて休業

大峯山寺の等覚門。大峯山と言えば、百名山的には最高峰の八経ケ岳だが、宗教上は山上ケ岳

冒頭の写真。この少し手前で、ご年配のソロの男性の方に追いつく。ここでお話をしたところ、今宵の宿は同じ小笹の宿であることが分かった。山上ヶ岳から洞川温泉(どろかわおんせん)方面へ明日下山されるとか。小屋が小さいので、この方も念のためテントを担いできていた

先に山を下って小笹の宿に着くと、先着者が一人。小屋は3人泊まれるが、密になるのと、後からやってくる年配者に譲る配慮も兼ねてテント泊することに。結局、年配の方もテント泊に。小屋は私のテントの左後方。先着者が焚火中

歩行ルート図と標高グラフ

合計距離: 15961 m
最高点の標高: 1890 m
最低点の標高: 1403 m
累積標高(上り): 1556 m
累積標高(下り): -1339 m

山行の詳細

3日目朝。峠を越えて阿弥陀森の分岐にある反対側の結界門まで下りてきた。こちらも修復されていた

最初の大きなピークである大普賢岳を目指して登り返す。山腹の紅葉がきれいだ

大普賢岳山頂。2年前に和佐又から入り、大普賢岳から弥山、八経ケ岳を通り、天川川合へ下りた。何だか懐かしい

大普賢岳から進む尾根を眺める。右下から手前の尾根を左奥へ進み、折り返して真ん中の尾根を右奥に進み、尖がった八経ケ岳へ向かう。そこから奥の尾根を左へ進み、左奥の釈迦ヶ岳へと進む

国見岳から行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ)の水場までは、このような鎖やロープのトラバースが続く。序盤の肝の部分

鎖の下り。下りも鎖を頼りすぎない。左右に体が振られるので危険。しっかりと自分の足で体重を支えつつ、鎖を補助的に持って下りる

下りのトラバース。大きなザックで荷物が重いので、バランスを崩さないように注意しながら下りていく

鎖のトラバースも同じ要領。基本は自分の足でしっかりと下る。万一に備えて、鎖を常に掴んでおく

鎖のトラバースの下りを終えると、稚児泊と呼ばれる靡に出る。このように標識も何もない靡も多いが、護摩木が木や岩に奉納されているので靡と見て取れる

左端が大普賢岳。山肌の紅葉は今がピーク

鎖の岩場を登ってくると七曜岳。山頂標の後ろが大普賢岳

七曜岳からの急な下り。濡れているときはスリップ注意

この下りの急な階段は難儀した。2年前よりもさらに傷んだような・・

行者還岳直下の分岐標。ここに荷物を置いて、空身で行者還岳山頂まで軽くピストン

分岐標から急な階段をいくつか下ってくると、「行者の雫」と呼ばれる水場

雫ほどではないが、水は細い。水をためるのに時間を要するが、貴重な水だ。ここから5分程で行者還小屋に着く

行者還小屋(ぎょうじゃがえりこや)。2階建ての立派な小屋。トイレもあり、行者の雫の水場も近い。きれいで快適な小屋だ。ここで昼食にした

本日のゴールの弥山(みせん)が近くなったが、まだまだ3時間以上を要する。大普賢岳から弥山、八経ヶ岳の間は、日帰りの登山者が多い

行者の顔だね。上手く作るもんだ。このあたりから弥山への300mほどの登り返しとなる

登り返しの途中で振り返る。左端の大普賢岳から中央の尾根を右端へ進み、そこから手前に尾根を上がってきた。今宵の宿の弥山小屋までもう少しだ。頭の中は「ビール、ビール、ビール」(笑)

弥山に到着。やれやれ

立派な営業小屋の弥山小屋。定員150名。今シーズンの営業は明日の夜の宿泊まで。部屋は多いはずなのだが、テレビ大阪の撮影クルー3人と私を入れて宿泊者6人は全員同じ部屋だった。分散してほしいところだが、明後日小屋締めなので、仕方ないな・・。残りの二人は沖縄から来られたご夫婦で、夏を北海道で過ごし、車で南下中にここに寄られたとか

撮影クルーは小屋締めの様子を撮影しながら、滞在中に自然を撮影したり、登山者を撮影したり。NHKに72時間という番組があるが、何だかコンセプトが似ていなくもない。というわけで、私もあれこれと聞かれた

明朝向かう八経ヶ岳。大峯山系の最高峰。左奥に三角の釈迦ヶ岳山頂。あそこが中盤の核心部

弥山小屋からすぐ上に山頂の神社

撮影クルーと一緒に夕日の撮影。ここでインタビューを受け、カメラ撮影。「なぜ奥駈をやるのか?」と、問われてもね・・。番組ができたらDVDを送ってくれるとのこと。関西のTV局でよかった。住まいのある関東でも実家の東海でもないので、誰も知り合いは見ないだろう(後記:11月25日夕方の『やさしいニュース』という番組の特番コーナーで紹介された。私の尺が2分もありちょっと驚き。DVDを見て、洞辻茶屋でお話ししたのが尼さんではなく、納棺師と知った)

明日の4日目は山に来る前の予報では、朝が雨でその後晴れる予定だった。ところが、小屋でネットに接続すると、予報は悪い方にずれて、終日雨予報に変わってしまった。小屋に停滞して1日じっとするか思案。何せ明日に向かう釈迦ヶ岳は、鎖やロープの急な上り下りがある中盤の核心部

念のため、最後に予定している湯の峰温泉の宿に電話して、1日後ろにずれても大丈夫か確認したら、部屋は開いているので大丈夫とのこと。Go Toもそのまま使用できるとのこと。雨の中を歩くのは、私が一番嫌いな山行。明日をやり過ごせば、天気は回復するので、小屋の最終日までお世話になるかと思案。まぁ、悩んでも仕方ないので、明朝の様子を見て判断することに・・

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なお、本山行の詳細については、以下の記録を参照されたし

熊野古道 Part2。大峯奥駈道(逆峯:吉野→熊野) ☜ ヤマレコの記録

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