木曽の御嶽 古からの参拝道を行く(2020/08/29)

山の記録

2020.08.31 11:50

大好きな御嶽。独立峰としては富士山に次ぐ大きな山。私の登山の原点ともいうべき山だ。中学1年の時に親父に御嶽に連れてきてもらったのが、本格的登山の始まり。中学2年の時は仲の良い友達の家族と我が家と一緒に登った。3年の時は、友達5人で濁河温泉にテントを張り、飛騨山頂を目指した。すべて濁河温泉からだった。

社会人になってからは、木曽福島にある会社の山荘を利用して会社の仲間と長野県側の王滝から3回登った。内2回は4月初旬の雪山登山だった。王滝からの登山はすべて20代で、1979年の有史以来初の噴火の後だ。30歳で山をやめるまでに、濁河から2回、王滝から2回、山頂の剣ヶ峰に立った

長いブランクを経て、再び御嶽に向かったのは、飛騨の高山に単身赴任していた直近2年間だ。季節をかえて、濁河や胡桃島から2年間に合計5回足を運んだ。剣ヶ峰への入山規制が解除された後も、御嶽への郷愁が強すぎ、なかなか剣ヶ峰に行く踏ん切りがつかなかったが、やっと出かけることができた

冒頭の写真は、八合目の女人堂から朝日を浴びてモルゲンロートに輝く御嶽。ご来光に間に合ってよかった

まずは自宅から。ひと眠りしてから深夜0時に千葉の自宅を出発するつもりだったが、早々に寝床に入ったものの、なかなか寝付けずほとんど眠られなかった。起きだして23時に家を出て御嶽登山口に向かう

順調に走り、午前3時に黒沢口の登山口に到着。さっと準備して、ヘッデンを点けてスタートした。残暑どころか、温暖化直撃の真夏の猛暑が続いているので、少しでも涼しいうちに登ろうと考えたが、期待に反してこの標高、時間でも暑い。樹林帯の急登を登り始めるとすぐに汗が滴り落ち始めた

黙々と我慢の登りを続けて1時間半。振り返れば、夜の帳が明け始める。黎明の空の変化を楽しむためには、早く樹林帯を突破しなくては・・・

八ヶ岳方面の空。木の枝が邪魔をしないポイントを見つけ、すかさずカメラを構える。一生懸命固定してシャッターを押すも、露光が足らず開放時間が長くブレてしまう

空が白みだす。右側の中央アルプスから中央の八ヶ岳連峰、左の浅間山系までが白に包まれる。手前の雲海がしっかり見え始めてきれいだ。ブレないように岩の上にカメラを静置して写すも、水平に置けておらずやや斜めになってしまった。横着せずに、ザックに括りつけてきた三脚を出せばいいのだが、早く樹林帯を突破したいと焦り、手間を省くからこういうことになる

八合目の女人堂に到着すると、ぽっかりと樹林帯を脱した。南八ケ岳の全山容と左手に北八ヶ岳の天狗岳が連なる。ザックの軽量化のため、代替として持ってきたコンデジ用の弱々しい三脚にデジイチを取り付け、その瞬間を待つ

北八ツの縞枯山や横岳の左には蓼科山が存在感を出している。こちらの方が明るい。ご来光は北八ヶ岳からか・・

北八ヶ岳の左方向には浅間山系。浅間山上空の雲が、浅間山から噴煙が上がっているかのように見えてしまう

ご来光。麦草峠あたりからのお出まし。女人堂で待つこと15分。樹林帯を必死に上がってきて良かった。苦労が報われた瞬間

そして冒頭の一枚。山頂を見上げればモルゲンロートに輝く。手前のナナカマドの葉が赤く色づくのも間もなくかな

女人堂からはハイマツ帯に変わり、展望も開け風も通る。別世界だ。標高を上げると北側に乗鞍岳とその右奥に穂高連峰がきれいに見えた。奥穂高岳から前穂高岳への吊尾根が美しい弧を描く。中央の雲の上に槍ヶ岳の穂先も見える

九合目の石室山荘が見えてきた。素晴らしい青空だ

石室山荘の直下で登山道は二つに分岐する。まっすぐ登るルートは、石室山荘の中を抜けて行く。登山客を誘導して休憩スペースを提供しつつ、登山者に飲み物や食事を注文してもらうマーケティング戦略。なかなかのアイデア

小屋を抜けて少し登ると覚明堂に到着。中央アルプス越しに、富士山と南アルプスの塩見岳が見える。富士山も見えるとは上出来だ。景色を愛でながらコンビニおにぎりの朝ご飯を食す

手前が中ア。左から空木岳、双耳に見える南駒ケ岳、仙涯嶺から越百山への稜線。その背後に左から荒川三山、赤石岳、聖岳と続く南プスの稜線。昨年の夏は中アの稜線をつないで歩いた。今夏は久しぶりに南プスの稜線を歩こうと計画していたが、コロナ騒ぎで今年は入山規制されてしまった

二ノ池への分岐まできた。右の畔には二ノ池山荘。小屋と反対側の斜面には万年雪があったのだが、温暖化によりとっくに消えてなくなってしまったようだ。私が見た万年雪は、何せ50年くらい前のことだから。そして何より変わったのは、青いきれいな二ノ池が火山灰で埋め尽くされてしまったこと。見るに忍びない姿になってしまった

感傷に浸っていると、ガスが湧き始めた。まだ朝の7時だというのに・・・

反対側を振り返れば、八ヶ岳方面にもガスがかかり始めている。予報よりずいぶん早い

山頂に向かって急ぐ。左下の王滝頂上山荘を見下ろす(上にあるように見えるけど、眼下です)。今年は、王滝登山口からあそこまで入山できるようになった。あそこから剣ヶ峰までの八丁ダルミは依然として入山規制となっている

噴火で亡くなられた登山者の遺族の方が、自力で遺骨を見つけるべく許可を取ってこの日から八丁ダルミの捜索を開始されたという記事が翌日の新聞に載っていた。早く見つかることを祈るばかりだ

剣ヶ峰直下のシェルター。2年前に御嶽のピークの一つである摩利支天山に登った時に、ヘリコプターが部材を何度も荷揚げするのを見たことがある。剣ヶ峰への入山が解除される2か月くらい前だっただろうか。これが無用の長物となることを願う

最後の階段。70段くらいか。トレランの人はこの階段を駆け上がっていた

山頂につくとガスはさらに厚くなり、八ヶ岳、南アルプス、中央アルプスは見えなくなってしまった。石室山荘の少し上の覚明堂で朝ご飯をのんびり食べていたのが失敗だった。まっすぐ山頂へ向かっていたら、間に合ったかも。あとの後悔ってやつだな

反対側の祠の上空はまだ真っ青なんだけどな・・・

山頂標と一緒に記念撮影。まだ息が乱れているトレランの人にシャッターを押してもらった。ガスがなければ、バックには乗鞍岳と穂高連峰があるはずなんだけど

社務所には神主さんが2人いた。御祈祷をしてもらえる。この時間にいるということは、ここに泊っているのだろう

噴火口を見下ろし、しばし合掌。さて下山するとしよう。時刻は7時半

二ノ池の分岐まで下りると、さっきまでクリアに見えていた二ノ池が全く見えない。今日はこのまま下山するとしよう

痛恨の朝ご飯を食べた覚明堂休泊所。絶好の天気と眺望で、ちょうどここが日陰だったのだ

それにしてもこの小屋はどうするんだろう。近い将来には朽ちていくと思われるが、倒壊すれば下の登山道はひとたまりもない。補修するか撤去するかした方がいいと思うのだが

復路は中央下に見える石室山荘の下を巻く道を通っていくことに。時々ガスが薄れ、眺望が広がる

これくらいのガスならいいアクセントなんだけど。まぁ、いい時間帯に山頂まで行けたと満足しよう

ご来光を見た八合目の女人堂まで下りてきた。どんどん人が上がってくる

山頂周辺は相変わらずガスがかかっている。登るときは真っ青な空だった。早出して正解だった

それにしても山頂へ向かう多くの登山者が休憩している。分かるな、ここで休憩したくなる気持ち。ここまで暑い樹林帯の中の登りだからね

七合目の行場山荘まで下って来た。登りの時は、まだ閉まっていた。名物のちから餅は、暑くて食べる気がせず素通り。ここまで、ものすごい数の登山者とスライドした。御嶽って、こんなに人気の山だっけ?最近はいつも岐阜県側の濁河温泉から登っていたが、滅多に人に合わない静かな山なんだけどな・・

行場山荘のすぐ下にロープウェイとの分岐。登りはこの看板に気が付かなかった。下から来ると、看板より行場山荘に目が行き、見落としたようだ。ロープウェイが動き出したので、多くの登山者が一斉に上がってきたんだろう

ロープウェイとの分岐からはめっきり登山者が減った。樹林帯の中に木で作られた登山道は所々湿っていて滑りやすい。登山口の上段の駐車場まで下りてきた。木曽福島駅からの路線バスも停まっている。上段は満車

中段の駐車場も、私の車があるこの下段の駐車場も満車。先の方の路肩まで駐車してある。山は早くスタートするに限る。それにしても長野県側の登山口の混雑は凄いな。県独自の非常事態宣言が解除された愛知県の実家に向かう途中に寄ったので、今回は長野県側の登山口になったが、やはり私には岐阜県側の登山口が性に合っている

本日は10時前の下山。夏の日帰り登山はこのパターンだな。さぁ、温泉によって汗を流して実家に向かおう

今回は通算12回目の御嶽登山だったが、初めて黒沢口登山道を使った。最も古く伝統のある参拝道で、よく整備された登山道だが、変化に富む濁河ルートに比べ、ストレートに山頂を目指す「ザ・参拝道」という印象だ。おなじ直球タイプの王滝ルートよりもきつく感じたのは年のせいか・・

濁河からのルートは、五ノ池山荘が瀟洒な小屋になったことと、スタート地点の濁河温泉の雰囲気や取り付きの登山道が変わったこと以外は、三ノ池・四ノ池・五ノ池など以前と変わらぬ姿なのだが、二ノ池の変わりようには正直愕然とした

三ノ池と同じようにきれいに澄んだ池で、池には万年雪があったのだが、まったく変わり果ててしまった。これも自然の営みということか。万年雪の消失は自然というより、温暖化という人災というべきかもしれない

もう一つの大きな違いは、御嶽講の信者の登山者をほとんど見かけなくなったこと。1979年の最初の噴火以降、杖を持ち笠をかぶった白装束の信者の姿がぐっと減った。最近は信者の老齢化による参拝者の減少も加速しているのだろう

自分世代もそうだけど、若い人たちのほとんどは宗教的なものには関心がない。初詣とか受験など何かの時の神頼みくらいだ。致し方ないことではあるが、日本の山岳信仰的な風習や文化も次第に失われていくのだろう

さて、グダグダ書いてしまったが、36,7年ぶりに剣ヶ峰に立つことができ、感慨ひとしおだ。実家に向かう途中の登山ではあったが、寄り道して良かった。早朝登山にしたことで、山頂直下までは素晴らしい眺望にも恵まれた。山の神様に感謝感謝!

なお、この山行の登山ルートやタイムなどの詳細については、以下のURLの記録を参照されたし

山行記録: 木曽の御嶽。黒沢口より古からの参拝道を行く ☜ ヤマレコの記録

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