2020.02.26 01:08
小辺路編④の山行概要(中辺路:熊野本宮大社~那智大社~速玉大社)
中辺路(なかへち)は熊野古道の中でも最も人気が高く、雑誌やTVの紹介でも一番よく出てくるコースだ。小辺路(こへち)が高野山から熊野本宮大社(ほんぐうたいしゃ)へと紀伊半島を縦断気味に南下してくるのに対し、中辺路は紀伊半島下部を横断していく。紀伊半島の左側の田辺から本宮大社を経て紀伊半島の右側の那智にある那智大社、さらに新宮にある速玉(はやたま)大社へと続く
本来は速玉大社から那智大社へ進み、大雲取越(おおくもとりごえ)と小雲取越(こくもとりごえ)を経て本宮大社に向かうのが順路なのだが、小辺路からの続きの関係で、今回は中辺路の右側半分を逆に歩いて、本宮大社から那智大社、速玉大社へと向かった
冒頭の写真は那智の滝と三重塔。青空になっているが、実はこの日は低気圧の前線の通過で雨だった。大雲取越は強い風雨の中を抜けてきた
5日目の山行(熊野本宮大社~那智大社)
歩行ルート図と標高グラフ
最高点の標高: 891 m
最低点の標高: 62 m
累積標高(上り): 1888 m
累積標高(下り): -1702 m
山行の詳細
まずは前日に戻って熊野本宮大社。ここまでは小辺路を辿ってきたが、ここからは中辺路を進む。本宮大社から少し先に大斎原(おおゆのはら)の鳥居。高さ34m、幅42m。日本一の大きさとか。かつては熊野川の中州に本宮があったが、明治22年に大水害にみまわれ、奇跡的に災害を逃れた社殿を現在の場所に移したとのこと。この鳥居は元の場所に再建されたもの
大斎宮から一般道を進み、請川(うけがわ)バス停まで車道歩き。途中のこの橋は、奥駈道(おくがけみち)へ続く分岐。橋を渡って奥の山へ入っていくと本宮大社と吉野山の金峯山寺を結ぶ修験の道「奥駈道」になる。いつかきっと・・
請川バス亭まで歩くと、その横から古道の小雲取越に続く山道への入り口があるが、翌日の行程だ。請川からは今宵の宿がある川湯温泉へ向かう。宿に電話して歩くとどれくらいかかるか尋ねると、車で迎えに来てくれるという。川湯温泉までの道は熊野古道から逸れた一般道なので、歩き通すことに拘る理由もない。ということで、ご厚意に甘えてピックアップしてもらった
河原にある仙人風呂。川湯温泉の名前の由来だ。河原を掘ると温泉が出るから川湯温泉。宿にチェックイン後、私も入ってみた。水着着用がルールで混浴。宿で水着を貸してくれる。入ってみると確かに底から温泉と水がぷくぷくと出ている。でも私にはちょっとぬるめで、しかも石についた藻のようなにおいも気になる。早々に出て、民宿の温泉に入り直す。こちらは源泉かけ流しの熱いお湯だった。
宿の美味しい料理をいただく間に洗濯を済ます。この日も地酒の太平洋の冷酒を2本飲み至福の夜。
翌朝、宿を5時に出立。朝食代わりに弁当を用意してもらった。玄関に置いてある弁当を取りに行くと、女将さんが出てきて車で請川まで送ってくれるという。申し訳なく思うも、ありがたく送ってもらった
この日の天気予報は、この旅を始める直前には夕方一時雨の予報だった。それゆえ、旅をスタートさせたのだが、次第に予報が悪い方へズレて、午前中から雨予報になり、午後は強い風雨となってしまった。ただし、雨は夕方には上がるとの予報
普段の私なら、このような予報の時は滞留して温泉に浸かりながら翌日の晴れを待って動くのだが、今回は思うところがあって、人生も悪い時期があるのだからと、悪天を受け入れて計画通り進むことにした
まずは小雲取越。ヘッデンを点けて真っ暗闇の中を歩くこと1時間余り。徐々に白みだした。標高も400m近くまで上げてきた。そこからは写真のような緩やかなトラバース路のアップダウンが続いた。まだ暗いので露光が足らず、シャッター開放時間が長いのでピントがぶれてしまう
百閒ぐらからの眺め。小雲取越の最高地点だと思う。幾重にも重なる山並みが紀伊山地の奥深さを感じさせる。うっすら薄日も差していて、行けそうかなと期待して進む
残念ながら、小雲取越をかなり下りてきた頃にはガスガスに・・。小口の集落に下りてきて東屋に着くと小雨が降り出した。予報通り9時だった。東屋でレインのパンツをはいて雨支度。ジャケットを着るとすぐに蒸れて汗をかくので、上はあえて着ないで傘をさして歩くことにした
小口の一般道を少し歩くと、大雲取越へ入る古道の入り口が左手にある。雨の中、山道を進む。この写真は円座石(わろうだいし)。神様3人が座って談笑した跡とか・・(分かりづらいが、岩にある三つの丸い跡)
黙々と雨の中を歩いて登ってきた、間もなく最高地点の越前峠(870m)。このあたりまでは雨もさほど苦にならず
越前峠を下り始めると迂回路にでた。2年前の台風のダメージで古道が通過できない。40分余分にかかる。迂回路が終わったところが地蔵茶屋跡。休憩所の東屋と立派な小屋があり、トイレも自販機もあった。迂回路の途中で雨が強くなりはじめ、小屋で昼食を食べているとさらに風雨が強くなった
地蔵茶屋跡からは林道をしばらく進み、色川辻、舟見峠とアップダウンを繰り返した。舟見峠からは那智まで下り。860mくらいの舟見峠を越えるあたりは風雨が一番ひどく、折り畳み傘が何度もひっくり返った
この日は三連休の初日で、順路でやってくる人たちとスライドしたが、皆さんレインのジャケットとパンツで歩いていて、傘をさしているのは私だけ。仕方ない。ジャケットだけだと雨が顔にあたって、メガネが雨粒で濡れてどうしようもないのだ。結局、那智に着くまで傘で通した
那智に入る裏山の公園あたりで雨がやみ、うっすらと青空も見え始めた。中辺路は那智の青岸渡寺(せいがんとじ)へ裏手から下りるようなアプローチだった。この青岸渡寺の奥隣に熊野那智大社がある
ここまで途中の写真がないことで、如何に雨がひどかったかが分かる。地蔵茶屋跡を出てから約2時間半、まったく休むことなくひたすら歩いた。休もうにも腰を下ろす場所もなく、雨を凌げるような東屋も何もなかった
おかげで予定より早く那智に到着し、明朝予定していた那智の散策を今宵の宿にチェックインする前に済ますことができた。しかも青空をバックに・・
青岸渡寺の境内からは本宮大社と同じように那智大社の4つの社が見えたが、社の前には行けなかった(入り口を見落としたかな?)
社の前にあるこの本殿(?)で熊野那智大社にお参り
続いて那智の滝方面に向かう。三重塔の前を通って滝へ下っていく。さっきまでの雨が嘘のような青空に。予報通りではあるが、嬉しいやら悔しいやら・・
なかなかの迫力だった。この後、宿にチェックイン。お風呂に入って食事。関東から来られた70代の女性と意気投合。テーブルは違うが、他の客がいないことをいいことに、お互いに山談議、古道談議で盛り上がった。女性は明日大雲取越で小口に向かい、その翌日に小雲取越を進んで本宮大社へ向かうとか。こちらが一般的なコースだ
食事の間に洗濯機を回したが、この宿は乾燥機がない。脱水したものを部屋に干して、夜通しエアコンをかけて乾かした。濡れた靴も部屋に持ち込んで何とか乾かした
6日目の山行(那智大社~速玉大社)
歩行ルート図と標高グラフ
最高点の標高: 259 m
最低点の標高: 3 m
累積標高(上り): 884 m
累積標高(下り): -1136 m
山行の詳細
翌朝は6時に出立。昨日のうちに那智の散策を終えることができたので、本日は早めに出発して、予定より一本早い新宮駅12時44分発の特急電車に間に合うようにゴールの速玉大社を目指すことにする。この特急を逃すと夕方の5時まで特急がない
この日も朝食代わりに弁当を作ってもらい、まずは那智の大門坂をくだる。まだ薄暗いので、やはりピントがぼけてしまう
大門坂を下りたところに夫婦杉という屋久杉に負けないくらいのすごく太い木が二本並んで立っていた
那智駅前の補陀洛寺まで来た。この寺も世界遺産の一部とか。途中、山道の古道を歩いたが、大半は一般道歩きだった
その後も海岸線沿いの国道42号線を長く歩く。大狗子(おおくじ)峠、小狗子(こくじ)峠、高野坂と時々古道を歩くのだが、入り口が分かりづらく、大狗子峠は素通りしてしまった。峠といってもこれまでの峠とは異なり、50m程度の標高
熊野灘。いつも東京湾沿いをウォーキングしているので、日本にもこんなきれいな海があることを久しぶりに実感。水は澄んで磯の匂いもない
一般道歩きが多いが、こんな感じの古道も歩く。ほっとする
高野坂も古道の雰囲気が一杯。時折、途中から眺める海が素晴らしかった
これもその一つ。王子ヶ浜。トンビがたくさん悠々と飛び回っていた
浜王子神社。新宮の町に入ってきた。途中の三輪崎の町もそうだったが、小刻みに住宅街の中の道を曲がるので古道が分かりづらい。まぁ、古道といっても一般道なので、少々外れても構わない
古道沿いにある阿須賀神社。ここにもお参りした
新宮の街中は、道路にこのような石の案内板が嵌め込んである
ついにフィナーレ。ゴールの熊野速玉大社に着いた。よく歩き通したもんだ
熊野速玉神社にお参りして、自分の振り返りの旅の終わり。無事に神仏の道を歩き通すことができたことに感謝感謝!
山行を終えて
GPSのログ記録では全行程146.8㎞。自分にとっては三年前に歩いた「坂本龍馬脱藩の道」の138.8kmを越える行程となった
脱藩の道は3泊4日(後泊除く)で、今回は5泊6日(前泊除く)。一般道を歩く距離が短く、登り下りの峠越えの数が多い今回の方がきつかった。脱藩の道では普段履いているウォーキングシューズで歩き、足の爪が4つやられ、足の裏には3分の2ほどの特大のマメをつくり大変な状態になったが、今回は登山靴との相性が良いのか、爪が一つやられただけで済んだ
1泊だけだったが、避難小屋泊装備を担いでの歩行だったので、ザックが大きく重たくなり(17-18㎏)余計につらかった。熊野本宮大社にて参拝していると、ご年配の男性が「奥駈を来たのか?」と話しかけてきた。無理もない、ザックを見ればそう思われても仕方ない。「小辺路です」というと興味を失ったように「お疲れさん」といって立ち去った(笑)。次回はぜひとも古道最難関の修験道の奥駈道に挑みたい。今回の経験をもとに計画を練り直そう
ところで歩いてみて人生振り返りの旅はどうだったかって?ご想像にお任せしますよ。でも少しは吹っ切れたかな・・
『過去はどうあれ、今を大切に生きる』という当たり前の気持ちに至ったというところだろうか・・
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なお、本山行の詳細については、以下の記録を参照されたし