先日の新聞で、4月に当選した埼玉県秩父市の市長が、選挙公約に掲げた新一年生へのランドセル配布を実施するとの記事に目が留まった。「家庭の事情でランドセルの値段に差が出る。同じものを使うことで小学校生活の格差をなくしたい」という想いからの政策のようだ
来年4月の新一年生は、すでにランドセルを購入したり予約した家庭もあるので、「入学準備祝金」として1人当たり5万円を支給する。23年度4月の新一年生からランドセルの現物支給を開始する方針で、色は選択可能とのこと
確かにランドセルは、本革や合成皮革、化繊など材料によって、またブランドによって値段に大きな差がある。でも差があるのは、ランドセルだけではあるまい。入学式の衣服や靴から、筆箱などの小物まで、値段に差が出るものは他にもいろいろある
そもそも、なぜランドセルに拘るのか?一部の私立学校で制服やカバンが統一されていることはあるが、公立の学校にはそのような決まりごとのないところがほとんどだ。ランドセルで格差が出るというなら、ランドセル以外のカバンを広めて多様化すればよいではないか?
私には市長の政策がずれているように思われるのだが、世の中の「常識」、「風習」という日本社会に強くみられる同調圧力が、市長にこのような政策を打ち出させる原因になっているのだろうか?
ちなみに、我が家の長男は私の海外赴任の都合で小学3年から日本の小学校に通い始めたのだが、海外ではデイパックで学校に通っていた。事前に編入する学校の先生に相談し、本人の選択に任せるべく、使っていたデイパックと、本人の従兄が使っていたランドセルを用意した(丁寧に使っていたので小3のランドセルに相応しいコンディションだった)
学校でただ一人ランドセル以外のカバンになるのだが、本人は迷わずデイパックを選んだ。次男は翌年に新一年生になり、カミさんの実家にランドセルを贈ってもらったのだが、ちょっと使っただけで、こちらもデイパックに変えてしまった
今から20年以上も前の話だが、ランドセルではなくデイパックで通うことを受容してくれた担任の先生はじめ学校関係者には今でも感謝している。二人ともクラスメイトから、からかわれたりイジメのようなものに遭うこともなく、保護者からもとやかく言われることもなく、デイパックで小学校生活を送ることができた
余談だが、次男は真冬でも半袖半ズボンで通したのだが、こちらについては、服を買ってもらえないのだろうかと一部の親御さんたちに訝しがられた(笑)
ランドセルメーカーや小売のマーケティング戦略にすっかりはまってしまっている日本社会だが、体が小さな新一年生には重くかつ大きすぎ、体が大きくなった高学年の生徒には窮屈そうで体に不釣り合いなランドセル
カバンに決まりがあるわけでもないのだから、ランドセルでなくてもいいという雰囲気を広め、多様性を認める社会を醸成するのが市長の役目ではないか?
23年度からのランドセルの現物支給を取りやめて、22年度の5万円の御祝い金を継続した方がよほど良い政策だと思うのだが・・
なんだかなぁ・・・