国内外から批判を浴びた森さんの発言については、メディアなどで連日取り上げられているので、今回の発言について改めてとやかく言うつもりはないが、雑駁ながら思うところを書いてみたい
1.森さんの政治家人生を振り返って
当時の現役首相の小渕さんが重篤な脳梗塞で入院し、それを受けて森さんが代行のような形で首相になったのは20年くらい前だった。その2か月後には、「日本は天皇を中心とした神の国である」という政教分離の原則を疑うような発言で内閣不信任決議が出され、解散総選挙となった
総選挙後に、公明党、保守党との連立政権で、第二次森内閣が発足したものの、数か月後に水産高校の実習生を乗せた「えひめ丸」が、ハワイ沖でアメリカの原子力潜水艦に衝突され沈没し、9名の死者を出す事故が発生した際に、官邸に戻ることなくゴルフを続けるなどの行動で、首相としての資質を問われる事態となった。結局、小渕さんの後を受けてから、一年ほどで首相を辞任することになる短命内閣だった
上述のように、森さんはもともと不適切な発言や行動が少なくない人だった。東京がオリパラ開催地に決定したのは7年前だったが、森さんが誘致活動に関与し、組織委員会の会長に就任したときから、またやらかすのではと不安に思い、他に適任者はいないのかと思った方は私だけではないだろう。案の定というか、やっぱり出てしまった
2.良くも悪くも顔役 - 日本の縮図
森さんを表するときにくっついてくるのが「ムラ社会」という言葉だ。村長(むらおさ)的な行動、言動から、そのように呼ばれるのだろう。「フィクサー」というか、調整役としてはそれなりの存在で、物事を前に進める力のあるリーダーである一方、独断で決めてしまう強引なやり方や、ちょっと時代遅れであったり、「ムラ」でしか通用しないような考え方にもとづく発言や行動ゆえに、何かと批判も集まる
海外、特に欧米諸国に比べて、日本の「民度」は高くない(欧米流の価値観を一つの基準とした場合)。今回の件も、森さん個人が批判されているというよりは、日本の古き仕組み、風習、考え方のようなものが批判にさらされている。委員会も政府も声に出して言えないので、森さんが「男気」をもって自ら辞任してくれることを腹の底で願っていて、それが実現すれば幕を引けると踏んでいた節があるが、このような従来の日本的なやり方は国際社会においては通用しない
3.SNSやネットの「パワー」
良くも悪くもSNSやネットのパワーは絶大だ。10年前のアラブの春などのように、政府が覆ることも珍しくなくなった。最近では、株価をめぐる機関投資家と個人投資家のバトルもあった。「民意」が「パワー」を持ち、想像を超える影響力を発揮する時代だ。BLM(Black Lives Matter)のように、当事国だけでなく、瞬く間に国境を越えて世界に拡がる現象も当たり前になりつつある
逆にフェイク情報を流したり情報操作をして、自分の有利な方向へ物事を動かそうとする荒手の手段にも用いられ始めている。選挙など公平性を担保する上で深刻な問題になってきているし、世論の意図的な形成などに悪用されかねない。独裁的国家においては、徹底的に情報を監視して都合の悪い情報は削除、遮断してしまうという強硬手段も常態化している
今回の件では、ボランティアや聖火ランナーを辞退するという動きが広がった。「同調」という受動的な意思表明ではなく、「共感」という主体的な反対の意思表明と感じた。上述のような世界各地で起きている、情報や共感の拡散による「うねり」のようなものである
ハッシュタグをつけた拡散は、今やトレンドになり無視できない。一方で、フェイクではないにしろ、不十分な情報で判断して発信してしまうケースもみられるのは、ネット社会の怖さや不気味さも感じる。「多勢に無勢」で言われなき誹謗や中傷を受けたり、 冤罪に陥れられるようなことがあってはならない
4.今回の問題対処の視点
私自身も含めて、どれだけの日本人が今回の事案を海外と同じ目線で捉えることができただろうか。人により受け止め方はさまざまであったと思われる。謝罪と発言撤回で良しとする人もいれば、会長辞任は必要と考える人もいただろう。日本の国内大会であれば、それでよかったかもしれない。しかしながら、オリパラは世界200か国以上が参加するイベントであり、日本社会の論理、価値観だけで事を片付けられるものではない
今回は、ある意味、海外の声という「外圧」に押された形で辞任に追い込まれたともいえる。オリパラの性格上、当然ではあるものの、個人的にはちょっと危険な違和感を感じる。世間が許さないから、海外からの見る目が許さないから、ということが、考慮すべき判断基準の一つであることは否定しないが、それに流されるような形での対処はどうだろうか?自分たちの判断はどうなのか、当事国としての意志はどこにあるのか、まずは確固とした価値観、判断基準を持つべきだろう
『以和爲貴、無忤爲宗』(わをもってとうとしとなす、さからうことなきをむねとせよ)。聖徳太子の憲法17条の第1条に出てくる価値観だ。『日本の名著 聖徳太子』中央公論社の訳によれば、『おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ』ということで、和を尊重する国のありかたを示す言葉として長らく継承されてきた
しかしながら、第一条は続く。「安易に調子を合わせるのではなく、お互いに納得いくまでしっかり議論するべきだ」と説いている。安易に相手に迎合しろと言っているのではない。今から1400年近くも前に発せられた含蓄のある条文だ
5.密室人事
いつものごとく横道に逸れた。話を戻そう。小渕さんの緊急入院の事態打開を話し合うために、森さんを含めた「5人組」と呼ばれる当時の自民党の有力者が集まり、森さんを後任に選んだ。密室政治と与野党から批判されたが、今回の川渕さんへの後任人事も一本釣りによる密室人事的なやり方だった
健康上の理由などによる交代ならまだしも、不適切な発言により批判を受けて辞める森さんが後任を指名するのもいかがなものか。本来であれば、理事会で候補者について議論して決定すべきだろう。形式的には理事会の手続きを踏むのだろうが、透明性を欠くプロセスと言われても仕方ない
6.これから期待するところ
さて、後任の川渕さんについて、皆さんどう思われただろうか。30年前のJリーグの創生を見てきた世代としては、川渕さんのリーダーシップ、パッション、信念のようなものを大変尊敬しているし、頼もしく思っている。引き受けざるを得なかった事情もあるのだろうが、大役を果たしてもらいたいと個人的には思っている。かつてない難題を抱える大会なので、正直なところご高齢なだけに心配な面もある
アメリカなどは定年という概念そのものがとっくの昔に過去のものになっている。働く意欲があり、体力・能力のある人はいくつまでも働ける社会になっている。一方、我が国においては、昨今、企業の定年が65歳になりつつあり、さらには70歳まで働けるよう政府が推進しているものの、「定年」という概念が相変わらず国民の間に定着している
Jリーグ創生を見ていない若い世代のみならず、国民の中には84歳の川渕さんの後任人事をまたこんな年寄りかと思った人も多かったのではないだろうか。もっとオリパラに相応しい若い適任者はいないのかと・・・
でも、そう思った貴方、気を付けたほうがいい。森さんとさして変わらぬ「同じ穴の狢(むじな)」になってしまう。世界では、Gender discrimination(性差別)と同様に、Age discrimination(年齢差別)も立派な差別なのだから
正式に川渕さんが会長に就任したら、みんなで応援して、ベストな「東京オリパラ2020」のあり方を議論し、知恵を出し合って成功させたいものだ