4か月ぶりくらいだろうか、電車に乗った。たった一駅だったけど、なんか新鮮に感じた。日曜の午後で車内はまばらだ。でも新浦安の駅施設にあるユニクロに行ったら人が並んでいる。大繁盛のレジ待ちかと思いきや、人数制限による入店待ちの長蛇の列。1m位ずつの間隔で足マークがあり他の通行客を妨げないように列ができていた。ニュースでは何度も目にした光景だが、初めて実際に目にした
ちょっと買いたいものがあったけど、ユニクロをあきらめて本屋へ。こちらは入店制限なしで、いつもと同じように人が多くいた。でも探していた本は見つからず断念。ヘアカットのお店に移動。行きつけのヘアカットの店は、コロナ騒ぎの直前に別の場所に移動するため閉店したのだが、その跡に別のヘアカットの店が入っていないか様子を見る
通路の斜め向かいの美容室が引き継いで拡張するようだ。ここ2回ほどカミさんにカットしてもらったのだが、徐々にバランスが崩れてきた。次のカットはプロの手でと思っているのだが、美容室では仕方ない。どこか別のお店を探すしかなさそうだ
結局、電車に乗って出かけたのに、一つも用を足せず舞浜駅へもどる。ついでに、再開したイクスピアリに寄ってみる。こちらもそれなりの人が出ているが、建前上、6月18日までは千葉県民のみを対象としているので、いつもの日曜に比較すると人出はずっと少ない
(舞浜駅から直結するイクスピアリ正面ゲート。ゲートは一部のみ開いていて、ゲート手前側には距離を取りながら列を作るためのマーキングがしてある)
イクスピアリ内の丸善(といっても、とてもコンパクトな書店)にダメもとで行ってみると、探していた本があった。ちょっと気を持ち直した。そろそろイクスピアリ内のAMCで映画を見たいのだが、映画の製作も止まっていたせいか、新作はほとんどなく、大体が過去の映画のリバイバル上映。どうせなら古典の名画をどんどん上映してほしいな・・
古典の名画といえば、最近のニュースで米国のHBO Maxが『風と共に去りぬ』(原題:Gone with the wind)の放映を停止することが報道されていた。“Black Lives Matter”の一連の流れで、映画のなかにでてくる当時の奴隷社会やステレオタイプな黒人の描写に配慮した決定のようだ
ビビアン・リーとクラーク・ゲーブルの大人の演技に、「タラのテーマ」の壮大な音楽もマッチした名作なのだが、正直なところちょっと残念だ。南北戦争を時代背景とする映画であり、米国南部が舞台なので、黒人が奴隷として農園などで働かされているし、真ん丸な黒人女性のメイドが、ビビアン・リーのコルセットを締めるシーンのやりとりなど、黒人のリアクションなどをステレオタイプに描いている
南北戦争は、奴隷解放を進める北部州と旧習を守ろうとする南部州との内戦(Civil War)である。当時の米国は、産業化が進むリベラルな北部と奴隷制による農園を産業とする南部とで、経済的にも文化的にも産業的にも違いが大きくなっていた。南北戦争直前の大統領選挙では、奴隷解放を唱えるエイブラハム・リンカーンが勝利したのだが、これを快く思わない南部の州がアメリカ合衆国からの独立を唱え、アメリカ連合国を作ることになる
北部州(アメリカ合衆国)と南部州(アメリカ連合国)の戦いが南北戦争と呼ばれる内戦であり、結果としてリンカーンが率いる北部州(アメリカ合衆国)が勝利した。当時を舞台とする映画を作れば、時代背景から奴隷社会が描写されるのは自然なことではあるのだが、描写の仕方の問題もあり、昨今の状況では上映は難しいと判断したのだろう
(ゲートを入ると建物の入り口まで同様に列を作るためのガイドレールがある。右側は建物から出てきた人が歩くスペース。建物入り口にはサーモグラフィーによる自動体温チェックとアルコール用消毒がある)
余談になるが、私が1990年代後半に南部の州に駐在していた時、こんな体験をした。米国では2月にPresident’s dayという祝日があるのだが、南部の州では、この日を祝日としない州が少なからずある。何で祝日なのに休みにならないのかと米国人(南部で生まれ育った年配の白人男性)に尋ねたところ、答えて曰く、「誰があいつ(リンカーン)を大統領と決めたんだ」「俺たちは大統領と認めていない」などなど
最初はジョークだと思ったが、100%そうでもないらしい。その州では、President’s dayは他の祝日と異なり、州政府のオフィスも学校も休日ではなく、普段通りオープンだった。考えてみれば、ワシントンDCのリンカーン記念堂の前でキング牧師が有名な “I Have a Dream”の演説したのが東京オリンピックの前年の1963年だった
南部の州では、そのころはまだ住む地域もレストランも学校も白人と黒人で分かれていたのだ。私に語った年配者にとっては、そのような奴隷制的なものを当たり前として幼少期、青年期を過ごしてきたのだろう。勿論、私が尋ねたころの彼は、そのような差別が悪しき時代のものだったことを承知した上で、南部の州でPresident’s dayの位置づけがそうなった背景として、過去の南部の白人たちが、上記のような発言をしていたということを私に説明してくれたのだと思っている
2016年に公開された映画 “Dream”では、アメリカ初の有人宇宙飛行であるジェミニ計画で重要な貢献をした黒人女性を描いているが、当時の差別的待遇が随所に出てくる。映画はNASAの中で差別的な環境が改善され、彼女の偉大な貢献を称えるストーリとなっているので問題にならないのだろうが、このような差別的なシーンが出てくる映画は過去を描いた映画には少なくない
『風と共に去りぬ』は約4時間におよぶ長編で、途中で “Intermission”という画面になりトイレ休憩がある。同じような休憩がある長編の大作に『ベン・ハー』という映画がある。タイトルになった主人公のユダヤ人の物語であり、副題の “A tale of the Christ”が示すように、同時代のキリストの物語でもある。有名な馬車のレースのシーンなどは、いろんな作品でパロディ的に使われたりしているので、ご存じの方も多いだろう
こちらの名画には、主人公ベン・ハーの母親と妹がハンセン氏病にかかり、患者だけを隔離する窟屋での生活のシーンが出てくる。最後にはキリストが起こす奇跡で病気が消失するのだが、描かれているハンセン氏病患者に対する偏見や差別も、長く大きな社会・人権問題であった。同様に考えれば、この映画も上映中止措置になってもおかしくない
(イクスピアリ1階の様子。右手のフードコートはお昼時が過ぎたこともあって人は少ない。総じて訪問者はまだ少ない。19日からは他県からの訪問者もOKになるが、ディズニーの開園再開までは、以前ほど混まないと思われる)
各地で奴隷制に関与した歴史的人物の像が倒されている。バンクシーが公開した先日の作品は、このような銅像に紐をかけて倒す人を加えて、一体として記念碑にしてはどうかという提案だと思う
私は銅像の横に偉業と合わせて奴隷制にも関与したことなどを説明する碑文を加えればよいのではないかと考える。過去の文学作品には、時代を経て増刷される際に、作品の中に不適切な差別用語が含まれているが、原作の時代背景を示すものとして、あえてそのままの表記を残したと、説明を加える本も多い
『風と共に去りぬ』も、映画を上映する前に、奴隷制度やステレオタイプな描写に対する批判や啓発、原作のまま上映することの理解を求める説明を数分間スクリーンに映し出したうえで、映画をスタートさせる方法が取れるのではないだろうか(後記:HBO Maxはこのような方法で、近い将来に上映を再開する方向であることをアナウンスしたようだ)
時代の変遷とともに、価値観は変わるものであり、過去の作品がそのような価値観にそぐわなくなることはこれからも出てくるだろう。だからといって、現在の価値観ですべてを決めて排除してしまうのではなく、過去の間違った価値観も歴史の一つとして作品を受け入れて引き継いでいく良い方法はないだろうか・・