国宝犬山城(2018/8/17)

旅の記録

尾張の実家に帰り、近くを通ったので久しぶりに犬山城に寄った。普段なら夏のくそ暑い日には絶対いかないのだが、この日は秋を思わせるような爽やかさで、湿度も非常に低く吹く風も心地よかった

現存する天守としては日本最古の犬山城。木曽川のほとりに立ち、別名は白帝城、李白の詩からの引用。写真は木曽川対岸の美濃側から撮影。小さいながらいつみても良い佇まい。姫路城、松本城、彦根城、松江城とならび、5つある国宝の城の一つである

橋を渡って尾張側に入り正面斜めから撮影。この角度からは左下に「石落し」の造りがよく見える。石垣を登ってくる侵入者に、文字通り石を落として防御する

諸説あるが、応仁の乱の頃に織田家の一族が建てた砦が原型で、1537年に織田信長の叔父、織田信康がこの地に築城したと言われる

城主はめまぐるしく変わるが、織田の家臣、池田恒興が城主だった時期もある。家康と秀吉が対峙した「小牧・長久手の戦い」では、10キロほど南にある小牧城に家康が入り、この犬山城に秀吉が陣取った。家康が攻めてきたときには、もぬけの殻となっており、秀吉は小牧の北を迂回して長久手に移動し、家康を往なす格好になった

徳川家康の天下になり、一国一城令が発令されて大名の居城以外は取り壊されたが、尾張徳川家の筆頭家老(附家老)となった成瀬正成は例外的に城をもらい、犬山城の城主となる(つまり尾張の国には名古屋城と犬山城の二つの城が残った)。以降、成瀬家が城主を続け、明治以降も成瀬家個人の保有する城となり、平成16年(2004年)に財団法人白帝文庫(財団理事は成瀬家)の所有となった(細かいことを言うと、明治4年の廃藩置県で政府に没収されたが、明治24年の濃尾大地震で損壊した際に、修理を請け負うことを条件に成瀬家に戻された)

お城周辺を散策。左は小学校の塀。いたいけな女の子が巻き添えとなった味気ない危険なブロック塀と異なり、何とも風情がある。さらに、古い街並みを歩き(写真を撮り忘れた)、抹茶のかき氷を食す。浴衣を着た女性観光客が多くいた

さて、犬山城に入場(550円)。地上三層四階、地下二階建で、木曽川を背後にした典型的な「後堅固」(うしろけんご)の城であるが、当初は二階建ての砦の構造だったようだ。中央が弓なりにせりあがった特徴的な唐破風(からはふ)の屋根と、その上の天守閣は成瀬家の初代城主が増築したと言われている

天守から南側を眺める。犬山の城下町が一望できる。こちら側は平地になっており、山の上に立っている感じがしないが、東、西、北側が崖になっている。それにしても今日は吹く風が気持ちよく涼しい

西側の風景。木曽川が濃尾平野に流れていく。右奥は養老山脈、左奥は鈴鹿山脈

北東側の風景。木曽川にかかる犬山橋と「日本ライン」と呼ばれる流れ。上流での最近の雨で増水し、ちょっと濁っている。ここはライン下りの終着地点であり、犬山の鵜飼いが行われる場所でもある

東方面の眺め。飛騨木曽の山並みはここで終わり、濃尾平野が始まる。中央の山腹に見えるのは成田山の名古屋別院

成田山の名古屋別院にも立ち寄って犬山城を眺める。右奥の高い山が伊吹山。その右手前の山が金華山。金華山の上に立つ岐阜城が肉眼で見える

犬山城が立つ地は、南側以外は小高い山状になっている。手前は名鉄犬山ホテル。敷地内には、国宝の茶室「叙庵」が移築されている。信長の末弟の織田有楽斎の茶室だ。このあたりは昔は遊園地だった。犬山ホテルも間もなく取り壊され、外資のインターコンチネンタル系列と提携して立て直されるとか・・・

古城の景観を損なわないようにリニューアルしてほしいなぁ

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