ゼロからの『資本論』by 斎藤幸平。資本主義について語ろう

レビュー

以前、同じ著者の「人新世の『資本論』」について本ブログに書いた(人新世の「資本論」斎藤幸平著。う〜ん、マルクスかよ)。今回はその続編というか、シリーズというか、2023年1月にNHK出版新書から発刊された「ゼロからの『資本論』」に関するレビュー記事。私の拙い要約をざっと書いた後に、「資本主義」に対して私が個人的に思っていること、考えていること、本書の感想などを述べたい。

『資本論』の成立経緯について(本書より)

『資本論』はマルクスの思索の賜物で、第1巻はマルクス自身によって書かれ、完成に近づいていた第2巻と草稿段階の第3巻は、盟友エンゲルスがマルクスの「意志」を引き継いでまとめ上げた。資本論が世に出たのは、エンゲルスの功績が大きい一方で、著者によれば第3巻については、マルクスが目指していたものとは内容が異なるのではないかとのこと。

というのも、マルクス自身、思索を進めるうちに自ら著した第1巻の内容に新たな方向性を加える必要性に気づき、膨大な調査や研究を進めている途上で亡くなった。引き継いで『資本論』を完成させたエンゲルスは、この「軌道修正」に関するマルクスの思索を十分に把握できず、従来の路線でまとめ上げたことが、本来マルクスが目指していたものと異なってしまったという見解だ。

『エンゲルスが「マルクス主義」を体系化しようと努力すればするほど、晩年のマルクスが格闘していた未解決の論点や、マルクスの新しい問題意識が見えにくくなってしまったのも事実です。なぜなら、そうした新しい洞察はマルクス自身の構想に大きな変容を迫るもので、到底、残された「資本論」草稿の内容に収まるようなものではなかったからです』と著者は述べている(P149)。

近年、著者も参加する“MEGA”(Marx-Engels-Gesamtausgabe)という国際プロジェクトが、マルクスの残した膨大な研究ノートや、草稿、書簡、メモ書きなどを精査し、マルクスが考えていた真の『資本論』を明らかにしようとしており、その活動の中で上述のようなことが明らかになってきたとのこと。

本書「ゼロからの『資本論』」の要約

前置きはこれくらいにして、私なりの要約を以下に記したい。文中の『 』は本書からの引用で、(P・・)はページ数を示す。

第1章:「商品」に振り回される私たち

長きにわたり人間は自然に働きかけ、労働を通して基本的に必要なものを必要な分だけ作って消費してきた。近代に出現した資本主義社会になると、労働によって商品を効率的に大量に作ろうとした。やがて、投下した資本で「剰余価値」(利益)を生み、『「資本を増やす」こと自体が目的に』なっていった(P37)。

さらには、どのような商品にも交換できる「貨幣」という仕組みが富の蓄積に拍車をかける。そのために、かつては必要なものを作るために労働していたのが、金儲けのために「売れそう」なモノを作ることになる。かくして『資本主義のもとでは立場が逆転し、人間がモノに振り回され、支配されるように』なった(P42)。

この結果、『人間のために経済を回すのではなく、経済を回すこと自体が自己目的化して、人間は、資本主義経済という歯車としてしか生きられ』なくなった(P46)。マルクスはこれこそが問題だと指摘した。

第2章:なぜ過労死はなくならないのか

ところで資本とは何か?『資本は「お金」ではなく、工場や機械や商品のような「物」でも』なく(P59)、マルクスは『絶えず価値を増やしながら自己増殖していく運動』と定義した(P59)。『要するに、資本とは金儲けの運動であり、この金儲けを延々と続けることが第一目標になっている社会が、資本主義』だとした(P60)。

この金儲けを延々と続けるために、資本家は新商品を開発し、絶えず改良して競争力の強化に努めることになり、資本の価値増殖運動の歯車となっていく。労働力を資本家に提供することで生活する労働者も、この運動に従うことを強いられる。『資本の運動が社会全体を覆うようになると、人間も自然も、(中略)際限なく価値を増殖して資本を蓄積していく運動に吞み込まれ、すべてはその歯車になっていく』(P62)。

剰余価値(利益)を大きくするために商品力を上げていくと同時に、長時間労働などでアウトプットの増大を図る。また賃金や原材料費を抑えたり、非正規社員を増やしたり、より安いリソースを求めて途上国へ向かったりすることになる。

現代の労働者は、奴隷制のように強制されているわけではなく、自ら合意して労働力を提供している。職を失わないよう、さらにはより良い対価を得ようとする経済的動機だけでなく、自らのプライドやコミットメント、あるいはエンゲージメント(やりがい)のようなものから、一生懸命働いて良い仕事をしようとするし、経営者も「巧みに」それを利用する。

結果、過酷な労働から逃げ出すことなく、心身ともに自らを追い込んでしまうことにつながっている。『ミスをしたら自分を責める。理不尽な命令さえも受け入れて、自分を追い詰めてしまう』状況がある(P80)。

第3章:イノベーションが「クソどうでもいい仕事」を生む

『資本家であり続けるためには、他社より安く効率よく生産して儲けなければ』ならず(P96)、生産性向上のためにさまざまな技術革新に取り組む。『ところが、資本主義のもとで生産力が高まると、その過程で構想と実行が、あるいは精神的労働と肉体的労働が分離される』とマルクスは指摘した(P102)。

例えば、熟練工は材料や天候などの状況を判断して、製造方法を微妙に調整して均質な製品を製造するが、イノベーションによりそのような判断(マルクスの言う「構想」あるいは「精神的労働」)が自動化されると、その指示に基づいて労働者は作業(マルクスの言う「実行」あるいは「肉体的労働」)をすればよくなり、「クソどうでもいい仕事」が増えるということ。

単純労働を強いられ、『自らの手で何かを生み出す喜びも、やりがいや達成感、充実感もない、要するに疎外され』た状態に追いやられ(P112)、そして『誰とでも置き換え可能となり、労働者の力はますます弱められ』ることになった(P112)。

さらに悪いことには、生産性が上がれば、従来よりも多くの生産量を少ない要員で対応できるようになる。作業が楽になる、あるいは労働時間が短縮されると期待されがちだが、実際には人員カットされることが多い。

第4章:緑の資本主義というおとぎ話

生産性を最大限まで高めようとする資本主義は、労働者を追いやるだけでなく、自然をも危機にさらす。化石燃料の大量消費で温暖化を招き、集中豪雨や洪水、山火事や干ばつ、海面上昇による島国の水没の危機などを招いている。また、森林伐採や環境汚染による生物多様性の喪失、化学肥料や農薬を用いる収穫の最大化による土壌の疲弊なども問題になっている。畜産業におけるホルモン剤や抗生物質の多用も、家畜やそれを食べる人間を「汚染」するばかりか、水質や土壌も汚染する。

『生産性をさらに上げようとしていく中で、自然そのものに介入していく度合いは近年ますます高まって』おり(P142)、『遺伝子組み換え、ゲノム編集、培養肉などのバイオテクノロジーは今後、農業や畜産業に大きな影響を与えるようになっていく』と懸念される(P142)。

センサーやカメラ、IoTによる自動制御システムなどを用いて、農作物や家畜を管理するスマート農業が進めば、上述したようなモノづくりにおける熟練作業から単純労働への置き換わりと同じような状況、マルクスが「構想と実行の分離」と呼んだ状況を生んでいく。

『農業の工業化によって生産効率が大きく上がり、「稼げる」ようになったとしても、それが持続可能なものになるかは別問題』で(P143)、『利益優先のアグリビジネスのやり方が広がっていくことで農業における格差が広がる』とともに(P143)、循環的な自然の「代謝」に「亀裂」が深まっていく。

第5章:グッバイ・レーニン!

『資本主義は放置すれば、社会の富も、自然の富も掠奪して、破壊してしまう。その現われが、現代の格差問題であり、気候問題』であり(P152)、著者は第5章と第6章で、『富の豊かさをどうやって取り戻すことができるのか』について提言している(P152)。本書の核心でもあるので、以降の要約はできるだけ本文を引用することとした。

まず「コミュニズム」や「社会主義」に対するイメージを払拭することが必要と説く。そのために、『ソ連や中国を「社会主義」とみなす考え方を批判し、マルクス=レーニン主義に永久の別れを告げ』る必要があり(P157)、さもなくば、『マルクスの「コモンの再生」という未来社会のプロジェクトは全然理解できなくなってしまう』と述べる(P157)。

旧ソ連では、医療の保障、教育や保育の保障、最低限の生活の保障、短い労働時間や一定のジェンダー平等など、社会主義的な施策が実現されていたものの、独裁体制が敷かれて民主主義は存在しなかった。

中国においても民主主義はなく、言論の自由や結社の自由も認められていない。その一方で、西側諸国以上に資本主義的な社会の側面も併せ持つ。しかしながら、意思決定権は国家(共産党の官僚システム)によって牛耳られており、「政治的資本主義」、「国家資本主義」のような状況にある。『労働者たちの観点から見れば、資本家と官僚、民営企業と国営企業という違いはあれど、結局、他人の指揮・監督のもとで働かされているという点では大きな違いはない』(P162)。

いずれの国においても、政治家や官僚が特権階級になる仕組みは同じで、莫大な富を享受している。特権階級に協力することで、資本家、企業家などにおいても、桁違いの富裕層が存在する点ではよく似ている(このパラグラフは私の蛇足)。

一方で、西側のドイツを例にとると、資本主義の下で高度な福祉国家を実現している。学費は大学まで無料、『医療も原則として無料、介護サービスも手厚い。失業者手当、職業訓練なども充実し(中略)子育てにもお金がかからない」(P170)。「アソシエーション(自発的な結社)」とマルクスの呼ぶ相互扶助的な仕組みが歴史的に下地としてあり、国家形成後も『国家によって税金を使った普遍的な形で、国民に対して提供されるようになった』(P172)。

著者は、『アソシエーションという視点からすれば、(中略)資本主義のもとでの福祉国家の方が、マルクスの考えに近い』(P173)とする。昨今議論になるBI(ベーシックインカム)も、ピケティの税制改革案(税を大きく上げて大胆に再配分する案)も、MMT(Modern Monetary Theory)による財政支出施策も、国家や政治権力主導で解決する点で、これまで見てきた資本主義の問題点を克服するものではないと指摘する。

とはいえ、著者は福祉国家による解決にも次の4つの限界があると指摘する(P182-183)。

第一に、さまざまな財やサービスが国家のもとで提供されるなかで、「官僚制の肥大」が起こること、

第二に、自国内で労働者階級の立場が改善されたとしても、途上国の利用は変わらず「南北問題」は依然として残ること、

第三に、労働者階級の生活改善が優先される過程で大量生産・大量消費のライフスタイルが普及し、「自然環境の収奪」が拡大すること、

第四に、福祉国家の家父長的性格が残り、「ジェンダー不平等の再生産」が起きること、

このような、階級、人種、環境、ジェンダーの問題に取り組む、新しいアソシエーションと脱商品化の道を切り開くことが必要であり、それが『最晩年のマルクスが考えていた「脱成長コミュニズム」』(P184)であると説く。

第6章:コミュニズムが不可能だなんて誰が言った?

これまでの考察を踏まえ、著者は以下のような目指すべき変革の方向性を示す

マルクスが目指したように、『近代化や経済成長だけを重視するあり方から脱却して、人間と自然の共存を重視し、富の豊かさを取り戻す』こと(P196)。

『無限の経済成長を優先する社会から、人々のニーズを満たすための、使用価値を重視する社会へと転換する』こと(P211)。つまり、経済成長による剰余価値(儲け、利益)を求めず、必要なものを必要な量だけ作って消費する社会に変えていくこと。

『目指すのは、お金のあるなしに関係なく、みんなにとって大事なものを、みんなで管理し、共有できる豊かさであり、すべての人が「全面的に発達した個人」として生きられる社会』にすること(P217)。

つまり、水や森林、あるいは資源といった根源的な社会の「富」を、国や市場に管理させるのではなく、アソシエーションを通じて「コモン」としてみんなで持続可能な形で管理する社会に変えること。自分の能力や時間を活かして、コミュニティに貢献し、互いに支え合う社会にすること。

『この大転換の結果、経済成長を目的としない脱成長型社会が実現され、生産は初めて持続可能なものになる。そして「修復不可能な亀裂」も修復される』(P217)と説く。

なお、著者は自給自足的な「原始」のやり方に戻ろうなどと提言しているわけではなく、ICT(情報通信技術)やアルゴリズムなどの新技術を使えば、必需を反映した無駄のない生産を実現し、地球という環境の中で自然の循環に寄り添う社会へと変えることができると述べている。

さらに、『労働者自身が何をどのように作るかを決められるようになれば、構想と実行の分離が乗り越えられ、技術は、労働者を管理・支配するための手段から、能力差を乗り越えて、自由に働けるようにするための補助手段へと変わる。つまり、技術革新の成果は、さらなる(無駄な)商品を作るために使われるのではなく、労働時間を短くしたり、能力の差を埋め合わせて、作業をより平等に行うために使われるように』なると述べている(P212)。

「脱成長コミュニズム」論をまとめ上げる前にマルクスはこの世を去った。著者は『21世紀に生きる私たちはマルクスとともに考えつつ、しかし同時にマルクスを超えて、新しい社会のビジョンを作り出す必要がある』と訴える(P197)。

  

以上、私の「独断と偏見」による粗っぽい要約なので、本書の意図を正しくまとめ切れていない点をご容赦願いたい。取っ付きにくい学術書と異なり、とても読みやすい平易な文体で書かれているので、本書をぜひお手に取っていただけたらと思う。

「資本主義」に関して個人的に思うこと

過去に「民主主義」に関するいくつかの本を紹介しながら、個人的な考えを述べてきた。その中で、もう一方の車輪ともいうべき「資本主義」については、思うところをそのうちに述べたいと書いた。今回、本書の内容に共感する点が多々あったので、本書の紹介をベースにして、私の愚論を付け足すことにした次第。

本書で繰り返し述べられている「自己増殖」は、資本主義の一番の特徴ではないかと感じている。ひとたび資本が投入されれば、「利益の追求」は止まるところを知らず、元手の回収はおろか、利益の最大化に向けてひたすら邁進する。

これが資本主義の「性(さが)」ともいうべきもので、あらゆる機会を創出、利用して自らのトップライン(売上)やボトムライン(利益)を拡大しようとする。時には、グループ企業が不利になろうと、さらには国家や国民にとって好ましくない事態を招こうと、ひたすら自己の拡大に向けて突き進んでいく。

例えば、親会社が自社の利益拡大のために、原料や中間製品を供給するグループ内企業との取引を見直し、より安い外部企業から調達することもあれば、逆に子会社が自社製品を親会社に納入するだけでなく、親会社と競合する企業に販路を拡大することもある。

上場企業であれば、機関投資家や株主などの資本家からの圧力もあり、グループ企業の結束を逸脱して利益拡大に走る「仁義なきビジネス」が増えていく。その結果、サプライチェーンの上流・下流のグループ企業の競争力が低下し、結果的にグループ全体の地盤沈下を招き、グループ外企業とのビジネスをますます拡大するという循環に陥ってしまう。

同様に、ある企業が保有する技術や製品が、国境を越えて他国の企業に渡ることで、その製品を使う国内の完成品メーカーが競争優位性を失い、国内産業の停滞や衰退を招く。このような状況は、輸出という単純な形態にとどまらず、業務提携、資本提携、合弁設立など、様々な形態で進行する。

良い例が中国とのビジネスだ(悪い例というべきか)。同じ価値観を保有する西側諸国であれば、国内企業や産業の地盤沈下で済むかもしれないが、価値観を共にせず我が道を行く独裁国家となると、導出された技術や輸出された製品で中国企業が強くなり、その結果、中国という国家が潤って国力を増すことに繋がり、覇権を拡大しようとする。さらに、軍用などに使用されれば、西側諸国の安全を脅かす深刻な脅威になりうる。

だからといって、社員はそのようなビジネスのあり方にノーと言えるだろうか?本書で書かれているように、ほとんどの場合、自分の生活のために主義・主張や「正義」を横において、資本主義の「歯車」となって、資本の「自己増殖」「一人歩き」の片棒を担ぎ続けることになるのではないか。

昨今、「経済安全保障」が取り沙汰される状況になり、輸出規制が発動されつつある。しかしながら、広く・深く・大きく絡み合ったサプライチェーンの状況下では、そのような政治的、経済的規制への対抗措置がブーメランのように帰ってきて、泥仕合のようになり緊張を高めていく。

また、コストを下げて利益を上げるという「自己増殖」の別の側面からは、国産品から安い外国産への置き換えが進み、高コストの日本の産業が衰退する。林業を例にとれば、石油などの化石燃料とは異なり、国内に豊富な森林資源があるにもかかわらず、外国産の安い木材を輸入する。

このことは上述のような国家間の緊張を生むものではないが、海外での森林伐採による自然破壊に加担する一方で、自国の林業が衰退して日本の森が放置され荒廃し、保水能力が落ちて斜面の土砂崩れが起きやすくなるなどの環境問題を引き起こしている。余談ながら、過去の文明崩壊が森林の過剰な伐採や荒廃により引き起こされたことは、ジャレド・ダイアモンドの著書『文明崩壊』(草思社文庫)に書かれている。

とは言え、このような環境破壊の経済評価は算定しづらく、仮に算定したとしても、商社や建材メーカーや、住宅メーカーの損益計算書には直接関係ないので、安い外国産の木材を使う構造は容易には変わらない。

このまま資本主義を継続して良いとは少しも思えない。がしかし、すでに国境を越えて巨大な「帝国」をいくつも築きつつある資本主義に対し、どのような方法でその「暴走」を止められるのか、私ごときには正直なところ思いもつかない。ただ憂うるばかりだ。

本書の提言に対しての個人的見解

本書でも指摘されているように、資本による規模拡大、利益優先の「運動」は、民主国家であろうと独裁国家であろうと大差はなく、政治体制にかかわらず一人歩きして、格差や自然破壊などの問題を拡大していく。そこで、本書は第5章、第6章に示すように、我々が資本主義の歯車から脱却し、「主権」や「尊厳」を取り戻して生きられる社会に変えていくことを提言する。

結論的に、実現はかなり難しいのではないだろうか、と私は思う。一人ひとりの労働者から企業の経営者、国家の為政者まで、どのレベルであろうと、人間の煩悩の深さ、とりわけ出世欲、功名心、物欲、既得権益の死守拡大などは、根本部分で共通しており、容易には変えられないのではないか、と思われる。資本主義の「性」は、人間の「性」そのものではないかと思えてくる。

このブログを書き終えてアップしようとしていたところ、たまたまNHKスペシャル、「ヒューマンエイジ 人間の時代 第1集『人新世 地球を飲み込む欲望』」を見た(2023年6月11日21時から放送)。近年の研究で、ドーパミンという脳内の神経伝達物質が、人間の際限ない欲望に関係しているという興味深い内容だった。

番組の内容をかいつまんで紹介すると、人も動物も脳の中の中脳という部位からドーパミンという物質が放出される。この物質が「報酬の喜び」に関係していて、繰り返し獲物などを得ようとさせている。動物の場合は、空腹を満たせば、それ以上は欲しないのだが、人間の欲には際限がない。最新の脳科学によれば、人間だけが発達させた脳の大脳新皮質からもドーパミンが放出されており、これが飽くなき欲求を満たそうとすることに関係しているらしい。生理学的にも、欲の深さは人間特有の「性」ということらしい。

話を著者の提言に戻そう。社会の「富」を企業や国家から「アソシエーション」による管理に移すといっても、現時点でその利権を持っている者たちが、簡単に手放すとは思えない。富国強兵を目指す国家と、そのもとで経済活動する企業が地球上に存在する中で、自分たちだけが「アソシエーション」への移行を進めれば、彼らの独占が強まり自らを極めて弱く危うい立場に置くことになりはしないか?

このことは、核兵器廃絶の議論と似ている。地球上のすべての国が核兵器の廃絶に合意して、一斉に核ゼロに向けて足並みをそろえて進まない限り、核をなくすことが一筋縄では行かない構造とよく似ていないだろうか?

核を持たない多くの国は、ICANが推進する核兵器禁止条約に賛同したが、核保有国や核の傘を当てにする国(日本も含む)は、簡単には同調することができない(2023年1月9日現在 署名:92か国・地域、批准:68か国・地域、核保有国は署名・批准ゼロ)。悪意や野望を持った国が、自国勢力の優位のために、あるいは他国侵略さらには世界支配のために核を使う恐れがある限り、牽制力を放棄するという決断は難しい。

国家でなく個人レベルにおいても、裕福になって美味しいものを食べたい、着飾りたい、いい家に住みたい、余暇にはバカンスに出かけたい、などと願う人は多い。格差がほとんどない相互扶助の「アソシエーション」という社会の実現に賛同し、夢を諦められるだろうか?ましてこのような生活をすでに手中にしている人たちは、簡単に手放すだろうか?

技術革新についても、同様なことが言える。次世代太陽光発電のペロブスカイトの事例ように、特許が設定されていなければ、第三者(国)がタダ乗りして商品化を先行させ、莫大な利益を上げようとする。このような画期的な発明やそれを用いた製品を皆で共有することはできるのだろうか?

地球規模でのアソシエーションのような社会の実現に協力しない企業や国に対しては、技術を使う対価としてしっかりと特許料(使用料)を取るとか、環境に負荷をかけて製造された製品には「環境税」のようなものを課すとか、既存のGATTなどとは異なる国際的なルール作りが必要になるだろう。一部でそのような動きがみられるものの、地球規模での合意形成は難しそうだ。

歴史的背景に基づく民族間、国家間の感情的な「しこり」や対抗心、敵愾心のようなものも、目指す社会の実現には障害になりそうな気がする・・・

  

憂いだせばきりがない。ただ、母なる地球は疲弊しており、時間的な余裕はあまりない。このままのやり方を続ければ、早晩「グレートリセット」のようなカタストロフィーが起き、人類が存亡の危機にさらされるのは間違いないだろう。行きつくところまでいかないと是正できないのか、未然に防止することができるのか、自然破壊も核による戦争も我々の自覚と行動にかかっている。

紹介した「ヒューマンエイジ 人間の時代 第1集『人新世 地球を飲み込む欲望』」によれば、ドーパミンは「課題解決欲」という欲望にも関与していて、これこそがこれまでの人類の発展の「原動力」にもなってきたとのこと。

我々が「下世話な」欲望を満たすことを慎んで、急速に発展するAIを正しく活用し、理性を持って地球を危機から救うという課題解決に取り組み、その結果、持続可能な「豊かな」社会を実現する「欲望」を満たすことを切に願ってやまない。生まれたばかりの孫の無垢な寝顔を見ながら・・・

関連サイト

NHKのEテレ番組「100分 de 名著」:105「資本論」

なお、2021年1月のNHKのEテレ番組「100分 de 名著」において『資本論』が取り上げられた(25分x4回シリーズ)。著者の斎藤幸平さんが、その時点でまだ発刊されていない本書の内容をもとに解説している。以下のサイトに要約されているので、そちらを参照されることをお勧めしたい。

100分 de 名著:105「資本論」

名著105「資本論」
「100分 de 名著」の番組公式サイトです。誰もが一度は読みたいと思いながらも、なかなか手に取ることができない古今東西の「名著」を、25分×4回、つまり100分で読み解く新番組です。

NHK ヒューマンエイジ 人間の時代 第1集『人新世 地球を飲み込む欲望』

2023年6月11日に放送された「ヒューマンエイジ 人間の時代 第1集『人新世 地球を飲み込む欲望』」において、最新の脳科学の研究をもとに、大脳新皮質から放出されるドーパミンが人間の際限ない欲望に関与していることが紹介されていた。6月15日(木)0:35からの再放送かNHKプラスの再放送、またはそのうちにWebに掲載されるであろう番組のダイジェストをご覧いただければと思う。とりあえず番宣サイトは以下の通り

ヒューマンエイジ 人間の時代 第1集『人新世 地球を飲み込む欲望』

ヒューマンエイジ 人間の時代 第1集 人新世 地球を飲み込む欲望 - NHKスペシャル
繁栄を極める一方で、地球環境に危機をもたらしている「人間」。それでも「もっと豊かに」という欲望を止められない。人間とは一体何者か?この先どこへ向かうのか?「ヒューマンエイジ」は、そんな人間の謎にあらゆる分野の英知を結集して迫り、未来を希望に...
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