利尻富士(2022/06/14)。北海道ツアー開始

山の記録

2022.06.18 20:31

46年ぶりの北海道。19歳の夏だった。周遊券で当時の国鉄を乗り継いで、名古屋から青森へと移動し、青函連絡船で北海道へと渡った。列車やバスで移動しながら、あちらこちらのユースホステルに泊まって、道内をほぼ一周した。我が青春の1ページだ


今回は早朝便で成田を発って新千歳空港に降り立った。その日のうちに、レンタカーで稚内へと向かい、最終フェリーで利尻島入りした。千歳から稚内まで約370キロのドライブ。TDR近郊の自宅から尾張の実家までの距離とさほど変わらない。コロナ勃発以降、毎月のように車で実家に移動しているので、この距離は気にならない


千歳から高速の道央自動車道で札幌を抜けて留萌(るもい)まで走り、そこから一般道を日本海沿いに稚内まで北上する。一般道といっても、ほとんど信号がなく、対面通行の高速道路みたいな感覚だ。事実、ほとんどの車が80キロくらいで走っている。ひょっとして、制限速度標識のない区間は、何キロで走っても良いとか?そんなわけないだろうな・・

途中、オロロン鳥生息地の天売島の対岸、羽幌町の小さな食堂で昼食休憩。その名もオロロン食堂。その日のおすすめメニューは白エビ定食。エビだらけはちょっと・・、ということで刺身定食を注文すると、魚の刺身と一緒に、白エビが10尾も乗っかっていた(笑)。白エビ定食だったら一体どれくらいのエビが出てきたのだろう。北海道はすべてが雄大だ


その後も、左に日本海のきれいな海、左前方には目指す利尻富士もくっきりと見え、単調な道も快適なドライブとなった

約5時間半のドライブで稚内には午後3時頃に到着し、16:40発の最終フェリーには余裕で間に合った。ハートランドフェリー乗船場でボーとしていると、団塊の世代と思しき団体さんが続々とやってくる。しっかりワクチン打って、コロナなんか何のそのという感じ。こんなに人が動き出しているんだと驚いた


2等船室は団体さんで一杯で、それこそ密状態だった。乗船前に容易に予想されたので、私は後方の屋外デッキの椅子席に直行し、1時間半程の船旅を楽しんだ。天気が良く、寒さを感じることもなかった。稚内を出航すると利尻山が見え始め、刻々と近づく秀麗な姿にますますテンションが上がる


冒頭の写真は鴛泊(おしどまり)港に近づいたあたりで撮影した利尻富士(1,721m)。利尻岳とも利尻山とも呼ばれる

山頂部分をアップで。残雪が何とも言えないアクセントになって美しい。登山道は2本あり、私が登るのは一般的な登山道の鴛泊コース。もう一方は、変化に富んだ沓形(くつがた)コースで、登山道へのアクセスが良くないので、ほとんどの人は鴛泊コースで日帰りピストンする


上の写真で、山頂から右に伸びる稜線の奥に少しだけ見えているのが鴛泊コース

今回の宿の利尻ぐりーんひるinn 。宿の車で港まで迎えに来てもらい、10分弱で到着。元は利尻ユースホステルだったとかで、私が予約できたのは2段ベッドx4の8人部屋。登山口まで早朝に送ってくれるホテル、ペンション、民宿などは全て満室で予約が取れなかった。そりゃそうだ。直前まで天気予報と睨めっこして日程を決めたのだから、宿がとれなくて当たり前か・・


8人部屋だが、実際には4人だけだったので、窮屈さはなかった。素泊まりのみの宿だが、シャワー、自炊のためのキッチン(食器や道具や家電はそろっている)、コインランドリーなどの設備があり、麓の山小屋だと思えば快適そのものだ

宿の前から眺める利尻富士。ここから眺める利尻富士も美しい

オーシャンビュー(笑)の8人部屋から撮影した翌朝の黎明。3時過ぎに目が覚めると、すでに明るい。そうだ、北の果てなので、日の出が早いことを忘れていた。先の九州山行では、逆に5時少し前まで暗かった

宿を4:45発で登山口まで送ってもらった。北麓野営場管理棟前には続々とあちこちの宿から到着した登山者が準備中。利尻富士登山もいよいよシーズン開幕という感じだ。ここでテント泊するという手もある。テントもコンロも、バーベキューセットもレンタルしてくれる

樹林帯の登山道を進むといろいろな花が迎えてくれる。これはウコンウツギ

こちらはツバメオモト。大きな葉っぱに可憐な花が伸びている

クルマバソウ。葉っぱの形からこの名が付いた

ヒトリシズカがたくさん集まって賑やかだ

6合目の第一展望台。ここまでの樹林帯が終わり、ここからはハイマツなどの低木帯になる。樹林帯の中は日が当たらない一方で、風が通らず蒸し暑い。樹林帯を抜けると風が通り涼しくなるが、陽に晒される。ただし低木と言っても、背丈を越える低木帯も多く、そんなところは、やはり風が通らない


山頂はまだ見えていない。見えているのは手前の長官山(8合目)だ

6合目の第一展望台から振り返れば、写真中央にポン山、その背後に礼文島が見える。完璧な快晴なのだが、海にへばり付くような低い雲は終日かかっていて、雲海を形成していた

遠くに北方領土かと思ったら、利尻から見えるのは樺太だそうだ

8合目の長官山まで来ると、利尻の山頂が見えるようになる

8合目の長官山から一旦下って避難小屋へと向かう、その先で雪渓をクロスする

雪渓のクロス。滑り止めは必要なく、普通の登山靴で難なく横断できる

9合目の上には、斜面に青い小さな花がいっぱい咲いていた。エゾエンゴグサだ。鼻を近づけると良い匂いがする

山頂写真。一片の雲もない完璧な青空。すごい快晴の日に登ることができた。下には雲海も広がって、素晴らしい組み合わせだ


泥除け対策のスパッツは全く必要なかったな

崩落のため進入禁止の南峰と、右には象徴的なローソク岩

ハタザオも上部に一杯咲いていた

8合目前後には、エゾノハクサンイチゲ

8合目辺りから山頂を振り返る。山頂には雲が湧いていた。上空の雲は、この一片のみ

帰りのピックアップサービスはないので、登山口から宿まで歩いて帰る。途中にある日帰り温泉で汗を流してサッパリ。さらに途中にあるセイコーマートでビールとつまみを調達

翌朝もオーシャンビューの8人部屋(この日も4人だった)から日の出を撮影

稚内へと向かうフェリーから撮影。このフェリーもシニア層の団体旅行客が多かった。乗船前には行列が形成され、ツァーガイドがもっと詰めるよう促し、密状態を作らせていた。離島のフェリーも後部のデッキ席で利尻富士を眺めながら過ごした


やれやれ。とりあえず利尻山は快晴に恵まれた。計画段階では、天気予報がコロコロ変わって気をもんだ。聞けば、北海道の6月は梅雨がないものの、天候が安定しないとのこと。7月に入ると天候が安定するらしい


そんなことを知らず、県民割が拡大され、しかも外国人観光客もやってくる7月になる前に北海道へ行くべく計画を練っていた。しかしながら、刻々と変わる天気予報に振り回されて、何度も計画を組み直した。実際、マイカーで渡るべくフェリーも予約したが、予報がひどくなったのでギリギリでキャンセルした。今回は飛行機利用で組み直し、利尻山の晴れ予報だけは外さないようにして、北海道へと発った


おかげで到着日と翌日の登山日、その翌日の離島日は晴れとなった。特に登山日はこれ以上の天気はないという快晴に恵まれて、利尻富士登山を楽しむことができた。海を覆うような低い雲が終日かかっていて、登山道からは終始雲海も見ることができ、極上の登山日和となった


46年ぶりの利尻島。大学生の時に周遊券で北海道を旅し、礼文と利尻に渡った。礼文では元ニシン番屋の小屋を活用した桃岩ユースホステルに連泊し(今もあるらしい)、歩いて島を半周するツアーに参加した。利尻は鴛泊ユースホステルに泊まり(今はもうない)、翌日に利尻富士に登る予定だった。あいにくの小雨で中止となり島を離れた。今回はその時のリベンジとも言え、宿泊したぐりーんひるinnは、元は利尻ユースホステルだったようで、これも因縁のような組み合わせとなった


当時の鴛泊ユースホステルは、スタッフのノリが良く、毎日鴛泊港で見送りをしていた。港に並んで、名物の「かっこいい奴」を歌って踊り、フェリーが離岸すると、スタッフが(時には連泊者も)海に飛び込んだ。今でも覚えている。「かっこいい奴が、かっこいい奴が、ふね~でやーってきた」で始まる歌だった


利尻富士登山はいよいよ本番を迎えたようで、当日も団体登山ツアーが3グループいた。登山口まで送迎している宿はどこも満室で取れなかった。天気予報と睨めっこで、直前の宿の手配となったので仕方ない。団体ツアーの人たちは随分前から予約していたのだろうから、イチかバチかの賭けのようなものだ。快晴を引き当てた団体さんはすごい運の持ち主たちだと思う

さて、このあとは知床、阿寒方面へと移動するのだが、残念ながら天気予報は悪い方向へと変わってしまった。宿もキャンセルできないので、とりあえず向かって現地で判断するしかない。どうかせめて曇りになるよう祈るばかりだ・・

なお、本山行の詳細については、以下の記録を参照されたし

山行記録: 利尻山 ☜ ヤマレコの記録

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