熊野古道 大峯奥駈道編④ 終盤:行仙の宿から熊野本宮大社へ(2020/11/09-10)

山の記録

2020.11.12 23:04

行仙小屋で快適な一夜を過ごした。濡れた靴も完全に乾き、靴下も替えの新しい靴下に変えた。これだけで、随分と気持ちよくスタートできた。

冒頭のサムネイル写真は、熊野本宮大社でのゴールの写真。念願の奥駈道を歩き通した。アップダウンが続く100キロ越えの過酷な道だった。

6日目の山行(行仙の宿~玉置神社)

歩行ルート図と標高グラフ

合計距離: 16056 m
最高点の標高: 1351 m
最低点の標高: 661 m
累積標高(上り): 1389 m
累積標高(下り): -1516 m

山行の詳細

まずは6日目の朝。行仙小屋でリフレッシュ。気持ちよく終盤に向かう。小屋を出ると、タイミング良くご来光。我ながらついてるな

小屋から一旦下り、アップダウンを繰り返しながら標高差300mの急登を登り、笠捨山の山頂に到着。山頂の道標に初めて「熊野本宮大社」が行き先表示として現れた。何だか嬉しい

終盤の肝の地蔵岳。鎖の上り下りが続く

木の根っこがたくさん垂れているところに鎖があり、上っていく。根っこが濡れていなくて助かった(汗)

どんどん鎖を登る

さらに登る

そして6mのほぼ垂直の壁を下る。ここは個人的には楽だった。ホールドやスタンスの岩がしっかりしており、乾いていたのでフリクションも効いた

地蔵岳からどんどん下ると、林道ともクロスするようになってきた

玉置山への約400mの登り返し。このようなトラバースの登りが多い。比較的緩やかに登り続ける

玉置山展望台。車で玉置神社に来られたご夫婦とここでお会いする。独り言ではなく、数日ぶりに人と会話した(笑)

本年2月に歩いた小辺路の山々が見える。吉野からの奥駈道の縦走路と高野山からの小辺路の縦走路が近づいてきた。ゴールの熊野が近い証拠。下には十津川温泉郷

小辺路の最高峰、祖母子岳(そぼこだけ)。あそこの山頂直下の避難小屋で泊まったな

中央手前に果無峠(はてなしとうげ)。2月には十津川温泉「昴の郷」に宿泊して果無峠を越えて熊野本宮大社に向かった。小辺路の最終日だった

世界遺産の石碑。小辺路にも似たような石碑があったな

玉置山の山頂。ここから玉置神社へと下っていくが、参拝順序が逆になってしまう。玉石社からいくつかの社を経て本殿へ向かう

夫婦杉

神代杉。本殿のすぐ裏手なのだが、本殿を撮り忘れた。この後、社務所に行き、水を汲ませてもらった。社務所横の龍神の口から流れる細い水が溜まった器から柄杓で汲む。落ち葉に覆われていなくてよかった(笑)

社務所から歩くこと20分。玉置神社の駐車場にたどり着いた。玉置神社の敷地内は幕営禁止。この駐車場は敷地の外との位置づけ。温座のきれいな公衆トイレもある。水場はない。売店があるのでビールが飲めるかと期待したが、週末しか営業していないようで残念

幕営を終えると、夕日が果無峠方面に沈んでいく。きれいだった。寒いけど、しばし見とれた。テントに戻り、最後の焼酎を熱いお湯割りにしてチビチビとやりながら、ここまで来た感慨に浸る

夕食後はすぐに寝た。駐車場では寝付けないかと思ったが、思ったほど寒くなく、疲れもあってすぐに眠りに落ち、今までで一番と言っていいくらい朝までぐっすり寝た

7日目の山行(玉置神社~熊野本宮大社)

歩行ルート図と標高グラフ

合計距離: 19502 m
最高点の標高: 1069 m
最低点の標高: 50 m
累積標高(上り): 1155 m
累積標高(下り): -2093 m

山行の詳細

7日目の朝。昨日は玉置山から下ってきて、参拝ルートがめちゃくちゃになってしまったが、駐車場から熊野三山の奥の院の玉置神社への参道へと正しいルートで進む

玉置神社本殿の下で奥駈道に復帰して、スイスイと下ってきた。中央が玉置山。フィナーレを祝福してくれるような完璧な青空だ

素晴らしい!遠く熊野灘が朝日を浴びて輝く

玉置山から下り、大森山、五大尊岳と登り返してきた。五大尊岳の靡はここだが、本当の山頂はさらに上

おぉ、熊野川が視界に入ってきた

どんどん下ると、熊野川がますます近くに。本宮大社の少し上流方面

吉野より南に100キロ。暖かいのだろう、標高を下げるとエンゴグサが沿道に咲いていた

リンドウも一杯咲いていた。何リンドウだろう?「クマノリンドウ」ということで・・

熊野川の蛇行

和歌山県に入るとこの標識。奈良と大分違うな。小辺路の時も同じ印象

大斎原(おおゆのはら)の鳥居が見えた。川の左対岸の尾根を下りて川に出る。そして渡渉

大鳥居のアップ

写真中央の森が第1靡の熊野本宮大社

川に下りる直前まで登り返しのある尾根を通過していく。役行者さまは徹底している。最後まで厳しい

順峯の起点まで下りてきた。ここから堤防の階段を下って河原に下りる

熊野川を渡渉中

膝のファスナーを外し半ズボン仕様に。スリッパに履き替え、滑らないように進む。水量は膝下だった

くぐってきた大鳥居を振り返って

熊野本宮大社の正門に到着

ここが最後の登り返しだった(泣)

ゴール!感無量以外の何ものでもない。背中のザックが重かった

今回は参拝順序を間違えないようにお参りした。この後、一人祝宴会場の湯の峯温泉の宿へ。歩くつもりだったが、宿へ電話したら10分でピックアップに来てくれた

温泉にビールに冷酒。最高に気分良く酔えた

8日目の朝。湯の峰温泉バス停。湯の峰温泉の中心で源泉があるところ

つぼ湯。世界で唯一の世界遺産の入浴温泉。今回は時間の関係でスルー。熊野古道は中辺路、伊勢路なども残っているので、また来る機会があるだろう。その時のお楽しみに・・・

バスで1時間。速玉大社にも立ち寄った。小辺路の時は、熊野本宮大社から中辺路の後半をつないで那智大社、速玉大社と歩いたが、今回はそんな余力無し

今回も素晴らしい古道歩きをさせてもらった。無事歩けたことを神仏に感謝、そして快く送り出してくれたカミさんに感謝!

山行を終えて

今年2月下旬に九度山から町石道を経て高野山へ登り、そこから小辺路(こへち)を歩いて熊野本宮大社へと歩いた。小辺路は、ほとんど毎日のように里へ下りて、宿で温泉に入って食事を楽しみ、汗をかいた衣類の洗濯もできた

奥駈を想定して、避難小屋泊の装備で小辺路を歩き通したが(実際に祖母子岳で小屋泊した)、今回は本番ともいうべき奥駈にテン泊装備で挑んだ。風呂にも入れないし、洗濯もできない、食事はアルファ米主体で自分で料理、その上アルコールも毎晩少ししか飲めない、という過酷な山旅

ただし小辺路の時は、前後に町石道と中辺路の後半をくっつけたことにより、累計標高は登りも下りも約9000mで、奥駈も約9000mの累計標高だったので、同じように厳しかった。それでも、小辺路が毎日のように風呂や食事にありつけ、布団で寝られたことなどから、今回の方がはるかに厳しく感じた

中日で雨にやられ、中盤の核心部の釈迦ケ岳の登り下りに当たってしまい、滑りやすくて大いに神経を使わされたが、コースの中では最も歩行距離や歩行時間が短い日に当たったので、幸運と言えたかもしれない

テント泊装備の20キロ越えのザックで山中5泊6日を歩き通せたことは、自分にとって大きな前進だった。累計標高も上り下りともに約9000mで、北アルプスの後立山連峰の縦走が登り下りとも約5000m、北ア深奥部の室堂から新穂高温泉までのオートルート縦走が登り約4000m、下り約5000mであることから、テン泊装備を担いでできるかもという期待が持てるようになってきた

ところで、奥駈をやった方のブログやレコを拝見すると、4-5キロやせて学生時代の体重に戻ったという人が多いのだが、自分は全く変わらなかった(笑)。5月から9月くらいにやったら自分も体重が減ったかもしれないが、大量に汗をかく時期には到底やる気がしない。今回は初冬であまり汗をかかなかったが、それでも風呂に入れないのが我慢の限界だった

この時期だからこそ、水の消費は一日当たり0.5Lから1Lで済んだが(夕食、朝食用を除く)、夏なら皆さんが書いているように2Lから3Lは飲み水として必要だろう。水の歩荷の観点からもこの時期にしか自分にはできなかったと思う

百高山の仕上げのための北アや南プスの縦走は、今回の経験を生かして計画を練り、来シーズン挑戦したいと思っている(コロナが終わっていれば、迷わず小屋泊チョイスだろうけど・・)

 

ところで「なぜ奥駈をやるのか」という問いに対し、いまだに明確な答えはない。あえて言うなら、「振り返りの旅」、「蘇りの旅」とも言われる古道の旅に何かを期待し求めているのかもしれない

6つある熊野古道のうち2つを終えたが、残念ながらいまだに何かを得られた、何かが満たされた、という実感はない。今はただ、大峯奥駈道を歩き通せたことで、次につながる希望のようなものを抱けるようになったというところだろうか。少なくとも残る古道のうち、中辺路と伊勢路については歩いてみたいと思っている

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なお、本山行の詳細については、以下の記録を参照されたし

山行記録: 熊野古道 Part2。大峯奥駈道(逆峯:吉野→熊野 ☜ ヤマレコの記

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