坂本龍馬「脱藩の道」を辿るー2日目(2017/3/25)

山の記録

2017.06.25 15:35

  05:19 佐川ビジネスホテルかりえ

  07:48 朽木峠07:56

  09:22 かわうそ公園の対岸

  14:43 津野町役場14:58

  17:32 梼原 那須俊平・信悟邸跡17:33

  19:09 ヒッチハイク点(宿へ7キロ)19:13

  19:36 茶や谷農家民宿かまや(泊)

冒頭の地図は2日目の歩行区間(佐川から茶や谷)

歩行ルート図と標高グラフ

合計距離: 74707 m
最高点の標高: 628 m
最低点の標高: 34 m
累積標高(上り): 6859 m
累積標高(下り): -6413 m

山行の詳細

2日目。まだ薄暗い5時20分頃にホテルを出発。JR斗賀野駅方面へ向かう

JR斗賀野駅を超えたあたりで線路を渡り脇道へ。久しぶりに「脱藩の道」の道標が現れる。この辺りの道標はこのタイプ

さらに脇道へ。ちょっとそれらしくなってきた

いい感じ

また舗装道路の脇道にもどり、峠を越えていく

峠を越えると朽木峠の山越えに向かう分岐が右に。正面の壁に脱藩の道の道標がある

佐川龍馬公園に到着。毎年、朽木峠越えを歩くツアーが開催されているようで、この公園が出発地点とのこと

ここに脱藩の道の道標。先の分岐を右に入る

民家で行き止まりになる手前を左の山道へ入る

朽木峠には石碑が建てられているが、ちょっと興ざめ感が・・

朽木峠の関所跡。でも当時は関所がなかったとか・・

朽木峠の横には質素な展望台があり、こんな風景が望むことができる

朽木峠からどんどん下る。ゴツゴツした石が多く、わらじで歩くのはさぞかし大変だったろうな

朽木峠を越えるとこの標識に変わる。漢字の「道」のしんにょうが跳ね上がる。その下には「Sakamoto Ryoma dappan no miti」 。蛇足ながら青色の→の方に少し行ってみたが、トイレはなかったような・・

三間川の集落まで下りてきた。棚田が美しい

集落には「龍馬脱藩の道休憩所」なる小屋があり、中には記帳用の木の板があった。私も一筆したためた

古き良き日本の山村風景だが、過疎化が進んでいるようで、50年後、100年後に残っているだろうか

西谷甲の集落を抜けて197号線に出て右へ進む。このすぐ先で無情の雨がパラつき始め、冷たい雨の中を傘をさして進む。梼原(ゆすはら)の掲示板では5℃だった

退屈な舗装道路を延々と歩き、大きな鉱石用ベルトコンベアが頭上を通るところまで来た。この目印となるコンベアの先に分岐があり左に進む

分岐を左に入るところに脱藩の道の道標が久々に現れた

小川の上に小さな沈下橋がかかっていた

分岐を左に入ってからかなり進むとこの標識に出る。ここを左に進み畑の中を抜けていく。手前の民家のおじいさんに道を教えてもらったが、この後に痛恨のルートミスで大幅なタイムロス

次第に山の中へ入る。いい感じ

鶯など鳥の声に癒されながら山道を進む。こうでなくっちゃ

茶畑に出た。おじいさんに右に行ってはダメと言われたのに、舗装道路に出た後に右に下ってしまい、登り返して戻るのに一苦労

やっと戻ってきた。左へ(前方へ)進路を取り直す

九十九折りの舗装道路とクロスしながら茶畑をショートカットするように脱藩の道は続いていた

茶畑を抜けて舗装道路を進む

197号線に戻った。正面の看板に従い左手へ進む

トンネル手前で迂回する案内板があった。こうでなくちゃ味気ない

迂回路から197号に戻ると別のトンネルが。でも左右には迂回路を示す道標はなかった。味気ないがやむなくトンネルを通る

トンネルを抜けると、ゆすはら(梼原)まで10kmの案内版。目標の茶や谷は梼原から約15キロ先にある。すでに15時を回りヤバい。龍馬と同じく2日目は梼原泊まりとすべきだったか・・

さらにいくつかのトンネルを抜けた。最後のトンネルは長くはないが、歩道も電灯もなく2台がすれ違うのがやっとの狭いトンネル。ヘッドランプを手にもって前後を照らし、歩行者がいることを知らせながら通過した。抜けると久しぶりに道標が。梼原手前からこのタイプに

脱藩の道は197号線の右上を進む脇道に入る(維新の道)

この地方には旅人をもてなしたという小さな茶堂がいくつも現れる

茶堂の先には棚田が広がる。これが神在居(かんざいこ)の千枚田だろうか。司馬遼太郎も絶賛したとか。きれいだ 。右下に197号線が走る。トンネルの入り口部分は棚田を削ったんだろうな。無粋なことをする

峠を越えると道は下り梼原の集落へ向かう

太郎川公園に入ってきた。脱藩の道は197号を渡り公園の中を抜けていくが、途中で突如として道標が消える。道迷いでまたもや時間ロス。ここは脱藩の道にこだわらず、太郎川公園を左下に見ながら来た道をまっすぐに進むのが間違いがなく趣きもある

197号を渡って公園の中を進む

この階段を下ると売店の横に出る。そこで標識がなくなる。「雲の上の温泉」施設に向かって右横をライダーズイン方面に進むべきなのだが、確信が持てずに焦って197号をまっすぐ進む

バス停のところで脱藩の道が197号に戻ってくる。道標側から手前側に197号を渡って民家の庭先を抜けるように道標がある(庭先を通る際に許可を得ようか迷った挙句にさっと抜けた)

庭先を抜けて坂道を少し上がると那須俊平・慎吾親子の屋敷跡に出た。龍馬と沢村惣之丞はここで泊まった。以降、伊予への国越えは、この親子が道案内して手助けする。この時点ですでに夕方5時を回った。やはり梼原の民宿にすべきだった。茶や谷までさらに15キロ超。本当に歩きつけるのか・・・・

茶堂の横を通り(この手の茶堂に上がり込んで寝る手もあるか。この後、本当にそうなるとは・・・)

脱藩の道は梼原の町の細い路地を通っていく(高校の渡り廊下の下をくぐる)

三嶋神社への屋根付きの風情ある橋を渡る

神社から左手の山へと道は続く

坂を上がっていくとNHKの小屋のようなものがあり、その横(正面ではない)のスペースを抜けて下りの道に出る

梼原の町を眼下に眺める。町をすっと抜ければ早いが、龍馬たちは人目につかぬように迂回したのだろう。くねくねと下ると、梼原中学校の前の舗装道路に出る 。そこを右手に進む。左手に少し戻ると維新の群像がある。躍動感あふれる志士たちの像が立ち並ぶ(時間がなく断念)

右手にずっと進むと写真の維新トンネルを通過し、大藤越トンネルの手前を左手に舗装道路の坂道を上がる(標識はないので要注意)。この時点で午後6時30分過ぎ。もう真っ暗に近い

坂道を上がり切って、グラウンドと体育館のような施設の間を抜けると標識がある。真っ暗な山道を下ると2号線に出る。宮野々の関所跡を超えて、2号線をどんどん北上したが時間切れ。民宿のおばちゃんに約束した7時には到達できず、7時を回ったところで、残すところ約7kmをヒッチハイク。愛媛ナンバーのご夫婦のご好意に感謝。このあと車で分岐を右手の304号に進み、竜宮王を左に入って茶や谷に 。宿に着いたのは7時半過ぎだった。歩いていたら9時だったな

ルート取りの補足

佐川から494号線を南下し、JR斗賀野駅の数百m先で幹線道路を外れて線路を渡る。くねくねと曲がる細い舗装道をショートカットしながら登り、JR土讃線と494号線のトンネル(斗賀野トンネル)の上を超えて進む。佐川龍馬公園から佐川街道を進み、最初の難関である朽木峠を越えていく。舗装道路で到達できる佐川龍馬公園までにかなり上っており、朽木峠までは思ったほど登りが長くない

朽木峠を下り、標識を見落とさないように三間川から西谷甲の集落を抜けて197号線に出る。197号を延々と右手西方向に進み、かわうそ公園の対岸を進んでいく。道路上空をまたぐコンベアをくぐったら、左に分岐する377号線に入る。

数百メートル進み、標識を見落とさないように田畑の中を抜けて山道に入る。ひたすら登っていくと船戸の茶畑にでる。舗装道路に出たら左へ上がるように進む。ここにはなぜか標識がない。私のように間違って右方向に進むとぐるっと回ってもと来た方向に戻ってしまうので要注意。舗装道路を左側に進むと標識があり、茶畑の中をショートカットして上がる

その後、布施ケ坂トンネルが終わったあたりで197号線に戻る。すぐにトンネルがあるが、右側にトンネルを迂回するように脱藩の道の標識がある。そのすぐ後に船戸郵便局の先にまたトンネルがあるが、トンネル内を抜けていく(迂回路は見当たらなかった)

197号をさらに延々と進み、東津野町の街中を抜けて天忠トンネル、新当別峠トンネルの中を進む(両方とも片側に歩道があり安全)。道なりに197号を登っていくとまたトンネルがある。この野越トンネルは狭く暗く、車がすれ違うのがやっとであり、かつ側道もないため危険である。短いながらもヘッデンや点滅ライトなどを装着して、車に歩行者がいることを知らせる必要がある

通過後すぐに「維新の道」と「竜馬脱藩の道」の標識があり、右手の側道に入るようになっている。茶畑や棚田を眺めながら山道を進み、風早トンネルが終わるあたりで旧梼原街道に入る。参考文献の中には、この野越トンネルの手前で「中村石材」の看板を目安に右に入るよう案内しているものがある(注意深く探しながら歩いたが、看板は見つからなかった)。この道は野越トンネルを迂回する「維新の道」とのことで、野越トンネル通過直後に入る右手の側道に合流するようである。危険な野越トンネルを通過するより、標識も何もないがトンネル少し手前のカーブから右手に入るこの道を行かれるのも選択肢かもしれない

脱藩の道は、太郎川公園の中で維新の道の石碑(中曽根康弘の揮毫)を回り込むように下り197号を渡る。進行方向に向かって左側の公園の中の道を標識に沿って進む。標識に従って進むと、雲の上の温泉手前の売店横に出る。ここで標識が突如なくなる。やむなく197号を進んだが、雲の上の温泉施設の前を通り、温泉施設のすぐ横の道を左奥へ入ってライダーズインへ向い、さらに進むと197号のバス停(屋敷跡)に出る

バス停から道路の向かい側の民家の庭の奥に脱藩の道の標識がある(道路からは分かりづらい)。家の方に許可を得てから入ろうかと思ったが、気兼ねしながらもそのまま庭の中を抜けて坂を上った。すぐに龍馬が3月25日に宿泊した那須俊平・信吾父子の屋敷跡に出る(私のGPSログは、なぜかこのあたりで左右に乱れているので要注意)。那須邸跡から旧街道に上がり左手に進むと梼原の街外れの民家の間や高校の横を縫うように通って三嶋神社に進む

太郎川公園周辺は様々な史跡の標識がありすぎて、脱藩の道が分かりづらい。脱藩の道の標識は公園の中に確かにあるが、197号線を挟んで公園とは反対側の旧梼原街道をそのまま道なりに進む方が静かで趣があるように思う。この場合は、旧街道から標識に従って左下に戻るように下ると那須邸跡に出る

三嶋神社から左手に山道を登り、NHKの小屋の横のオープンスペースをピンクリボンに従って進む(ここはなぜか標識がない)。少し先から現れる標識に従ってくねくねと下ると梼原中学校の向かいに出る。この舗装道路を右手に進む(左手に少し戻ると、維新の門の群像がある)

維新トンネルの中を抜けて、大藤越トンネル手前を左に舗装道路を上がる(標識はない)。坂を上ったら、グラウンドと体育館のような施設の間を抜けると標識が現れて山道を下る。2号線の舗装道路に出るので、右手に少し進み、再び脇道に入って進むと、広野の民家の間を抜けて2号線に出る(すでに真っ暗だったので、私はこの部分の脱藩の道を通らず、2号線の舗装道路をそのまま進んだ)

宮野々関跡を通過し2号線を進み、分岐を304号線へ入り道なりに北上する。竜宮王バス停を左の細い道に進むと茶や谷になる。だっぱんや(D’a Pan屋)を左折してすぐに農家民宿「かまや」がある。私は2日目に龍馬が宿泊した梼原を越え、無理をして茶や谷まで入って民宿「かまや」に宿泊した。これが今回の一番の反省点。2日目は、龍馬と同じく梼原で宿泊すべきだった

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なお、この山行のコース概況、タイムなどの詳細は、以下の記録を参照されたし

坂本龍馬 脱藩の道(高知から宿間まで約140キロ) ☜ クリック

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