なんだかなぁ・・最近のコメ騒動で思うこと

年寄りの繰り言

2月末に赤城山へ雪山登山に出掛けて以来、諸事にかまけて全く山に出かけられていない。5月中頃に引っ越しをすべく断捨離に忙殺されていたのだ。追い打ちは引っ越し1週間前に実家の母親がバランスを崩して尻餅をつき、2回目の腰椎の圧迫骨折をやらかしてしまったこと

1回目の圧迫骨折は15年くらい前だったが、当時は母親も70代中盤で比較的若く、順調に回復してくれた。今回は前回の圧迫骨折の一つ上の骨を骨折し、前回の骨にもひびが入ってしまい、ベッドの上ですらまだ体を動かすことが難しい状況だ

年齢が年齢だけにとにかく寝たきりになったり痴呆が始まらないことを願いつつ、隔週ペースで実家に帰って病院に様子を見に出かけている。その傍らで転居先ではやりかけの断捨離に追われているという状況だ。というわけで、当分山には出かけられそうもない・・

それはさておき、本題の令和コメ騒動だ。備蓄米を放出すればコメ不足が次第に解消し、経済学でいうところの「需要と供給の関係」から価格も下がっていくはずだったのが、実態はそう単純な話でもなく、相変わらず品薄で価格は高止まりしたままだ(私は工学部出身で経済には疎いことを言い訳を兼ねて先にお断りしておく)

単純化すると「農家 → JA・商社 → 代理店・卸 → スーパー・小売店 → 消費者」という流れのようだが、旧来の系列的な取引慣行による制約や、その対極ともいえる昨今のネットによる直販、さらに今回は投機的な怪しげなブローカーもどきのようなプレーヤーの参入も加わり、コメの流通の実態はちょっと複雑なようだ

そもそも一般論として日本の流通は中間的なプレーヤーが多く外国に比較して複雑だと言われてきた。ネットや宅配などの仕組みが社会に浸透するにつれ、「中抜き」と呼ばれる流通の簡素化が進みつつある一方で、従来の慣行も厳然と存在している。とりわけ長く機能してきた流通の仕組みを持つ食品や医薬品などは後者の代表といえるだろう

以下の図は、経済学でおなじみの需要供給曲線だ。需要と供給のバランスが取れ、双方が受け入れられるところに市場価格は落ち着く(需要曲線と供給曲線が交差する価格と数量)

需要曲線や供給曲線が実際に曲線か直線かはケースバイケースであり、さほど重要ではないので、以降の説明では直線の図を用いて今回のコメ騒動に当てはめてみたい

南海トラフ地震に対する備蓄やインバウンド増加でコメに対する需要が増したと言われているが、単純化するために需要にさほどの変化はなかったとする。一方で供給においては猛暑による不作、物価高によるコメ作りの採算悪化やコメ農家の高齢化による廃業などにより供給量が下がったとする

上の左図の状態から、上述した理由などにより供給量が低下し、真ん中の図のように供給線が左にシフトする。これにより需要線と供給線の交点が移動して価格①から価格➁へと値段が上がる。これが現在のコメ価格高騰の現象だ

これに対して政府や農水省は元の供給線①へ近づけるべく備蓄米の放出により供給量を増やし、供給線を右にシフトさせようと躍起になっている。理論的には、供給量が増加して供給線➁から供給線③へシフトすれば、一般的な需要と供給と価格の関係から価格③へと下がる目論見なのだが、現状は備蓄米を段階的に放出しても流通量は思うように増えず、価格は高止まりしたままだ

もし南海トラフなどの有事の備えやインバウンド増加で需要が無視できないほど高まっているとすれば、上の真ん中の図の需要線は右へシフトし、需要線と供給線はさらに価格が高いところで交差することになる

流通段階での目詰まり

一部で指摘されているように、備蓄米の小出し放出は有事における戦力の逐次投入と同じで、事態打開へのインパクトはあまり期待できないのだろう。これまでに放出された備蓄米は31万トンで、年間消費量の約800万トンの4%弱だ

ただ、統計値で示されているように政府が小出し放出した備蓄米ですら流通段階で「目詰まり」のようなものを起こして末端に届いていない。流通のどこかに「目詰まり」があるとすれば、大量放出したところで末端に流通するとは思われず、備蓄米放出による即効的な改善は期待できない状況にある

単純に精米能力の問題による「目詰まり」なのか、それとも複雑な流通段階のプレーヤーの経済的な思惑による「出し渋り」のようなものなのか、農家出身でもなく全く縁のない産業で働いてきた素人の私にはさっぱり分からない。理由はどうあれ供給が滞っている以上、上の右図のように供給線が企図した通りに供給線③へとシフトせず、その結果価格が高止まりするのは理論どおりの結果だ

入札方式の是非

仮に「目詰まり」を改善できたとしてもコメ価格の高止まりについては懸念が残る。政府による入札方式での備蓄米の放出だ。公共事業などの発注において、行政と業者の癒着による不適切な取引価格設定があった経緯から、入札による「公正な」価格決定を選択した点は理解するも、今回の場合は適切な入札方法とは思えない

少なからぬ人達が指摘しているように、最高価格での入札方式では容易に価格は下がらないだろう。品薄により高値で売れる市場環境では誰しも商品を入手したく、競争の結果、高値での落札になる。高い入札価格が出発点になれば、各流通段階でマージンが上乗せされ、末端に届くまでにますます価格は上がっていく

入札方式を用いた上で価格を適切な水準に下げたいなら、最も高い価格への払い下げではなく、公共事業と同じように最低価格を提示した業者への取引決定にすべきだった。高値による入札方式を採用した時点で、コメ価格の高騰を抑えようという政府や自民党、JAなどの本気度を疑われても仕方ないだろう

文句ばかり言っても埒が明かないので、自分なりの考えを述べてみたい

流通の改善

今時はユニクロなどの製品やさらに単価の安いコミック本でさえ、個々の製品にRFIDタグをつけて物流を管理している。技術的には同様なコメの物流管理も容易で、サプライチェーンのどこにどれだけの在庫が滞留しているのか簡単に把握できるはずだ

国民の主食であるコメについては流通管理を透明化して、どこに滞留しているかを見えるようにするべきだ。流通状況を把握できれば、円滑な流通に向けたボトルネックの把握と改善が容易になるし、天災等の有事における支援物資の手配も迅速かつ適切に行うことができる

また、コメの流通を許可制にし、RFIDのような流通管理に対応できる業者以外にはコメを扱わせないようにすれば、投機的な悪徳転売ヤーなどの排除も可能になる

備蓄米放出時の価格の統制

まず最初にお断りしておくが、私自身は市場原理を重視すべきという立場だ。政府は基本的に市場原理が正しく機能するよう法整備や取り締まりに注力すべきで、安易に政府が価格統制すべきではない。そもそも市場経済は政府が実効的に介入できるほど単純なものだとは思わない

それでも何らかの手を打たざるを得ない状況、例えば短期的に経済活動や国民生活に大きな支障をきたす恐れがある場合などに限って、価格や物量をコントロールさせる例外的な介入措置を講ずるべきというスタンスだ。ただし、将来的な国の発展や経済安全保障などの観点から中長期の産業育成や構造転換に積極的に関与することは政府の大きな役割であることは申し添えておく

今回のコメの流通量と価格について言えば、政府がターゲットとする価格への誘導に向けて、備蓄米の引き渡し価格を決定する方式が良いと考える。各流通段階でのコストと利益をあらかじめ設定し、消費者へのターゲット販売価格から逆算して引き渡し価格を決めるやり方だ

例えば、コメ価格の沈静化を誘導すべく消費者への備蓄米の販売価格を2000円/5㎏とする(シンプルにするため消費税はここでは考慮しない)。「政府 → JA・商社 → 代理店・卸 → スーパー・小売店 → 消費者」という流れだとすれば、各流通段階のコストと利益を合わせて仮に10%のマージンを設定する

消費者への販売価格から逆算すると、スーパー・小売店への引き渡し価格は 2000円÷1.1=1818円 となる。同様に逆算した結果が下表である

流通段階引き渡し価格計算式
消費者2,000円
スーパー・小売店1,818円= 2,000÷1.1
代理店・卸1,653円=1,818÷1.1
JA・商社1,503円= 1,653÷1.1

上の表は各流通段階でのマージンを一律にして単純化したものなので、実行に当たっては各流通段階でのコストの実態に合わせてアローワンスを設定すればよい

このように流通途中の価格を統制しなければ、出発点のJAや商社に1000円や1500円で引き渡したところで、末端の消費者への販売価格をターゲットにもっていくことはなかなか難しいだろう

ただし、この方式でもコメ価格全体が下がるわけではない。備蓄米の流通量は限定的なので、通常の流通米の価格が同様に下がることはないと思う。備蓄米を全放出するくらいの量的インパクトでもどこまで下がるかは分からない

2025年産のコメの農家からの買取価格が、作付け前の段階から高値で契約されている状況では、通常米の価格は来年も高値が続くだろう。価格は市場で形成されるのであって、これが介入による価格操作の難しさだ

調整弁の仕組み

備蓄米だけではなく、コメ全体の価格を「適正レベル」に下げるにはどうすればよいか? 需要供給曲線の話に戻れば、相当な量が供給される必要があるのは容易に想像がつく

例えば、安い輸入米を一時的にカンフル剤のように注入するなど大胆な方策が求められるが、これをやってしまうと日本のコメ農業には予測できないレベルの影響が出て、将来的な自給体制の崩壊につながる恐れもあるだろう

本来は、今回のような事態になる前に供給量を弾力的に調整できるよう備蓄米の常備量を増やしておくとか、硬直的な輸入米のミニマムアクセスの仕組みを変えて、輸入米のマックス枠(上限値)を設けてその枠内で柔軟に輸入米の流通量を調整できるようにするのが良いと考える

コメの関税に関しても極端に国内米を保護する税率ではなく、国民生活に支障をきたすような価格高騰になる前に、関税を払った上で安価な輸入米が流入し、市場が自律的に価格調整できるようなレベルに税率を設定しておく見直しも適宜必要だろう

時間をかけたソフトランディング

サンマの漁獲量が極端に減ると高級魚並みの価格になり、豊漁になると庶民の味の値段に戻ってくるように、物量と価格は表裏一体だ。コメの流通量が安定して価格が適正化するのを待つしかないのだろう

ここまで価格が上がると、これまで減反政策で補助金をもらいながら飼料米を作っていた田んぼを食料米に変更するという農家が現れ始めている。また休耕田になった田んぼを借りて、コメを作るという動きも出てきているようだ

日本にとってセンシティブなコメに関しては、輸入米を梃子にした大胆なアクションが採りづらい状況にあることは間違いなく、自国の生産量が増えて需要と供給のバランスが均衡する「適正価格」へと沈静化することを期待するしかない

転作や休耕田の活用など、いずれにしても即効性はなく、2年先や3年先にならないと増産効果による価格の落ち着きは期待できそうもない。ガソリンと同じような補助金方式、コメ限定の消費税廃止、現金給付など、その間にどのような手当てをするかは政治の課題だ

短期的な手当てとは別に、中長期的なコメ政策の策定と確実な実行が求められる。生産性の向上、コメ農家の収益性の改善、団塊の世代の引退による作り手の確保、自給率の考え方などなど、課題は山積している

コメ農業の経営

食糧安全保障の観点からコメの自給体制の堅持を訴える声は多いが、一方で消費者はそのための代償には不寛容で、安くていつでも手に入る状況を求める。コメ農家は、自給体制の堅持とそれを守るための高関税で守られる一方、後継者の成り手に事欠くほど低い労働対価を強いられてきた

日本のコメ農家の約95%が赤字で、サラリーマンなどの兼業農家は約75%といわれる。一方で、黒字経営の大規模専業コメ農家も存在する。統計的には日本の生産量の半分のコメが赤字の状態で作られているというのが実態らしい(ブログ末尾の参考文献参照)

赤字で経営できないから兼業するのか、兼業だから黒字体質に変えられないのか、鶏が先か卵が先かのような議論で因果関係はよく分からないが、このようなコメ農業の実態になった要因を素人ながらに邪推すると以下のようになる(農家の方からはお叱りを受けると思うが・・)

・戦後の農地改革で大地主の土地を小作人に分配させたため小規模農家が多い
・受け継いだ土地を守らなくてはならないという意識が強い
・列島改造論で土地神話が生まれ容易に手放せない(高く売れるという期待)
・やめたくても休耕田にすると周囲の農家から苦情が来るので耕作を継続する
・耕作しない農地は固定資産税が高くなるので赤字でも耕作し続ける
・高度成長期の労働需要でサラリーマンなど安定収入の働き先が多かった
・農業の赤字は給与収入との合算で減税効果があり赤字をある程度相殺できる
・大規模化、機械化には大きな先行投資が必要となりリスクを負う

世界2位の農産物輸出大国となったオランダの農業が注目されている。そのまま日本に通用するとは思わないが、応用できるところは積極的に取り入れ、日本の農業の生産性向上、高付加価値化に向けて構造転換する必要がある

農業は経験や感性など農家の暗黙知によるところが大きい。オランダの成功例のようにDX化を推進し、そのような暗黙知を形式知に変え、「工業化」する余地は十分にあると考える。日本のコメ作りのノウハウをデジタル化して後世に伝えることは、次の章で述べる後継者育成にも大いに役立つ

このような取り組みを推進するためには、コメ作りの「企業化」が相応しい。末尾に記載した三菱総合研究所の関連記事にあるように、大規模専業コメ農家は経営が成り立つレベルに達している。「企業化」による規模拡大は、採算化という経営面からも理にかなうと思う

農業従事者の育成・支援

コメの自給体制を維持する上で、作り手の確保は必須だ。しかしながら、今やコメ農家は後継者不足に陥っており、70代後半の団塊の世代が老齢化によりコメ作りをやめていくと、作り手不足、それに伴うコメ生産量の低下という深刻な問題に直面する。上述した企業化推進は、今後増加する耕作中止の受け皿になりうると考える

後継者の育成・確保という観点から、ベテラン農家のノウハウをデジタル化しておくことは望ましい。体力的に難しくなったベテラン農家に、指導員などの肩書でノウハウ伝授の活躍の場を提供することも後継者育成には大いにプラスになる

また企業化することでサラリーマンのようなイメージになり、農業への就労の敷居が低くなって工場勤務と同じような感覚で就職する若者も増えると期待される。また、先進的な農業に転換できれば、農業実習生として学びにやってくる海外からの若者も増えるだろう

しっかりとした受け入れ体制と待遇を用意すれば、現在の技能実習生が一部で受けている処遇とは格段に異なる学びの場を提供でき、双方にとってメリットの大きい制度となりうる

自給の考え方

基本的には食糧安保の視点から自給体制を構築することに異論はない。しかしながら、すべてを国内でまかなう必要はないと考える。個人的には7割程度を国内で確保できれば良いのではないかと思う。団塊の世代のコメ農家の廃業が眼前に迫る現状で、硬直的に自給に固執するのはかえって危機を招くのではないかと危惧する

仮に国内での自給を目指すとしても、国内で働き手を十分に手配できるかどうか懸念が残る。外国人労働者を導入するという政策転換も、国民に広く受け入れられる状況にあるとは思われない。ちょっと品薄になっただけで今回のような騒動になるのだから、3割も輸入に依存したら万一の場合に大変なパニックになるという心配もあるだろう

一つの解決策として海外に農場を持ち、日本流のコメ作り行って日本へ持ってくるというのはどうだろうか? 日本の資本で農場を持ち、現地の労働力を借りて日本向けのコメを作るというやり方だ。コメ文化の国でない方が良いだろう。その国でコメ不足が起きれば、日本向けの輸出に待ったがかかるかもしれない

友好国であり小麦文化のオーストラリアやニュージーランド、アメリカ、カナダなどが安心して大規模なコメ作りができそうだ。産地を分散しておくことでリスク分散もできる。それらの国のリスクだけではない。日本における大規模な天変地異や気候変動による不作などのリスク緩和にもなる。貿易不均衡などにもプラスに働くことも期待される

 

コメの素人が長々と書いてしまったが、今回の騒動を機にコメに関する抜本的な議論が与野党で行われ、国民を巻き込んだ中長期戦略が立案されることを願いたい

非常に高い関税を払ってカリフォルニア米を輸入しても採算が合うというのが現在の状況だ。イオンなどのスーパーでは「カルローズ」が並び始めるようだ。今から35年くらい前だったが、初めて米国に住んだときに「カルローズ」を買って食べた。日本のコメの味や食感には及ばなかったが、米国でコメが食べられるというだけで大変助かった

すぐに日本人ネットワークの情報で、「カルローズ」よりも「国宝ローズ」の方が日本人には合うと教えられた。NファームとKファームの「国宝ローズ」があり、Kファーム(国府田ファーム:こうだファーム)の方がおいしいとの情報で購入したら、当時の日本のお米と遜色なく、カミさんと感激したのを覚えている

帰国する際には税関で引っ掛からない上限まで2キロ袋の「国宝ローズ」を引っ越し荷物に詰めて、帰国後に土産として配った。その数年後、再び米国に赴任した。今度は中粒米の「国宝ローズ」よりも日本米と同じ短粒米の「田牧米」の方がおいしいと教えられ、中でも「田牧米ゴールド」が優れものということで早速購入した。カミさんとその旨さに感動し、以降はずっと「田牧米ゴールド」を食べていた

価格は、カルローズ<国宝ローズ<田牧米ゴールド の順に高く、量的には カルローズ>国宝ローズ>田牧米ゴールド の順番に生産量が少なかった。あれから30年近くたち、日本のコメも品種改良が進み、当時よりはるかにおいしくなっているものの、日本に田牧米ゴールドが入ってきたら味や食感でとやかく言う人はいないだろう

ただし、供給量が限られていること、価格が高いので関税を乗せられると割高になることから田牧米ゴールドが日本のコメを脅かすことは実質的にない。もし日本のスーパーで国宝ローズや田牧米ゴールドを見かけたら、懐かしさに思わず手が出るだろうな・・

 

参考文献:

コメ農家の実態については以下の三菱総合研究所の記事(食料安全保障と農業のキホンの「キ」)のシリーズ(3)から(5)の記事がとても参考になる

コメ農家はみんな赤字なの?食料安全保障と農業のキホンの「キ」(3) | 食料安全保障と農業のキホンの「キ」 | MRI 三菱総合研究所
食料と農業のキホンを解き明かすシリーズの第3回。少子高齢化の中で後継者不足にあえぐ国内農家にとって魅力的な就業環境の整備は欠かせない。日本のコメ農家はどんな状況に置かれているのかを解説します。

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