2024シーズンから、山梨県側の吉田ルートにおいて入山制限が実施されることになった。「ついに」というか「ようやく」というか、受け取り方は様々だろう。先に個人的な見解を述べておくと、入山者数の制限や入山料の徴収などに賛成の立場だ。小さな一歩ながらも、やっと開始されることになったかという印象。
以下に規制内容を紹介するとともに、富士登山の実態に関するスタッツをまじえながら今回の規制について考察してみたい。
今回の通知内容
山梨県(吉田ルート)
※山小屋宿泊者等以外は夜間の登山をすることができません。
◆通行の規制
吉田ルート五合目の登山道入口にゲートを設け、山小屋の宿泊予約がある人等を除き、以下の通行規制を行います。
・午後4時~翌日午前3時の時間帯に登下山道を閉鎖いたします。
・登山者が一日当たり4,000人を超える場合も登下山道を閉鎖いたします。
通行規制に関する情報は、公式SNSなどで随時発信する予定です。
◆ゲート通過者から、登下山道の使用料として1人・1回につき2,000円をご負担いただきます。
※従前実施している富士山保全協力金1,000円(任意の寄附金)と合わせて、一人あたり最大3,000円のご負担となります。
◆山中における危険行為やマナー違反を防止するため、県の任命する富士登山適正化指導員の指導に従ってください。
◆登山に対する知識及び経験が十分でない方は、登山ガイドなどの同行をお願いします。
引用:https://www.fujisan-climb.jp/for-every-climber.html
静岡県側の3つのルートについては、以下のように従来通りの注意喚起やお願いベースで、規制には踏み込まなかった。
静岡県(須走ルート,御殿場ルート,富士宮ルート)
◆午後4時以降、現地で山小屋宿泊予約の確認を実施します。
◆DXを活用した入山管理に向けた社会実験
・Webによる登山計画等の事前登録を試行します。
・静岡県側の3ルートから登山を計画されている方は、登山前のWebシステムへの登録に御協力をお願いします。
(※WebシステムのURLは、6月下旬頃に公開の予定です)
◆富士山保全協力金
世界の宝富士山を未来に向けて守っていくために、
基本1人1,000円の御協力をお願いします。
◆ルールやマナーを守って、安全に登山してください。
引用:https://www.fujisan-climb.jp/for-every-climber.html(同上)
富士登山の実態
夏の暑い日中の登りを避けたい、山頂や山頂近くで日の出を眺めたいなどの理由で、夜に登る人が多い。TVのニュースなどで、夜間にヘッドランプの灯りが数珠つなぎになっている光景を見たことのある人も多いかと思う。いわゆる弾丸登山と呼ばれるスタイル(山小屋での仮眠や休息をとらず、夜通し登って山頂でご来光を眺め、そのまま下山する山行スタイル)で登る人も少なくなく、登山道で座り込んだり寝転がって休んで通行を妨げる人や、疲労で動けなくなり救助を要請するハイカーが増えている。
また、近年は海外からの観光客が増え、短パンTシャツ姿にサンダル履きで、もはや軽装とすら呼べない装備の登山者が増えていることも怪我や事故の増加を招いている。標高が100m上がる毎に気温は0.6℃下がるので、東京のお台場あたりで25℃の熱帯夜でも、3776mの富士山山頂は2-3℃の気温まで下がり(25-0.6×3776=2.35)、風が吹けば体感温度は氷点下になることも珍しくない。
山頂のトイレは、寒さに耐えかねて洋式トイレのブースに何人もが入り込んで占拠され(山頂トイレの多くは和式に戻された)、天候悪化時には予約もしていない小屋に殺到し、無理やり入り込もうとするなどの事態も起きている。
従来、富士山に限らず、ほとんどの山小屋はぎゅうぎゅう詰めになろうとも、安全配慮の観点から登山者すべてを受け入れてきた。ところがコロナ禍で状況は一変して完全予約制へと移行し、以前のような詰込みによる受け入れは原則行わなくなった。予約制により山行の自由度や機動性が失われる反面で、小屋滞在の快適性は各段に向上した一方で、悪天時には上述のような問題を発生するに至っている(最近は予約者の部屋と予約なしの飛び込みの部屋を分けて運用する小屋もあるようだが)。
富士山では、近年ちょっとした観光気分の無謀な登山や山中での迷惑行為のみならず、登山道の混雑による安全面での問題や、ごみの放置、ポイ捨てによる環境問題、さらには安易な要請による救助活動への過負荷など、様々な問題が増大してきている。
富士山登山ルートと開山時期
富士山の登山ルートは4つで、開山時期は夏の約2カ月間だ。下表は過去10年のデータ。
ルート | 管轄県 | 開山時期 |
---|---|---|
吉田ルート | 山梨県 | 7月1日~9月10日 (2014、15は9月14日までだった) |
須走ルート | 静岡県 | 7月10日~9月10日 |
御殿場ルート | ||
富士宮ルート |
開山シーズン中の登山者数推移(人)
下表のように、吉田ルートの登山者が全登山者の約6割を占めている。
年度 | 吉田ルート | 須走ルート | 御殿場ルート | 富士宮ルート | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
2014 | 170,947 | 31,626 | 15,150 | 59,771 | 277,494 |
2015 | 136,587 | 23,122 | 15,123 | 55,616 | 230,348 |
2016 | 151,969 | 20,277 | 15,339 | 58,090 | 245,675 |
2017 | 172,657 | 23,475 | 18,411 | 70,319 | 284,862 |
2018 | 150,845 | 26,696 | 11,792 | 18,828 | 208,161 |
2019 | 149,969 | 20,215 | 12,230 | 53,232 | 235,646 |
2020 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2021 | 54,392 | 6,311 | 6,336 | 11,409 | 78,548 |
2022 | 93,962 | 12,621 | 12,013 | 41,549 | 160,145 |
2023 | 137,236 | 19,062 | 15,479 | 49,545 | 221,322 |
2023年の1日当たりの平均登山者数と最大カウント数
平日 平均 | 土日 平均 | 最多数 | 最多発生日 | |
---|---|---|---|---|
吉田ルート | 1,615 | 2,487 | 3,974 | 7月16日(日) |
須走ルート | 278 | 398 | 599 | 7月16日(日) |
御殿場ルート | 168 | 412 | 1,011 | 8月6日(日) |
富士宮ルート | 596 | 1,197 | 1,860 | 7月16日(日) |
入山制限の実効性
今回の吉田ルートの一日当たり4000人という入山者数制限は、吉田ルート上にある山小屋の宿泊予約者を除外しているのでほとんど意味がない。吉田ルート上の5合目から8合5勺にある18軒の山小屋の受け入れキャパシティは定員の単純合計で3450人/日であり、この人数を含めると一日当たりの最大入山者数は理論上7,450人になる。上に引用した環境省のデータを見ても、2023年の一日の最大入山者数は7月16日の3,974人なので、計算上は2023年の最大入山者数の1.87倍まで入山できることになる。これではオーバーツーリズムの解消には全く効果がないだろう。
弾丸登山者の削減という意味では、午後4時~翌日午前3時の時間帯に登下山道を閉鎖するので、大幅に減るだろう。ただし、この時間帯の閉鎖については「山小屋の宿泊予約者を除き」とあるので、素泊り宿泊予約で2-3時間の短時間休憩による弾丸登山もどきは相変わらず横行するだろう。また吉田ルートが富士登山者数の約6割を占めるとはいえ、このルートだけ入山制限を課しても、静岡の3ルートは規制されていないので、そちらに登山者が流れるだけではないかと思われ、入山者数も弾丸登山者数も減ることはないだろう。
まして吉田ルートだけ入山料を課すことになれば、多くの登山者は入山料が不要な静岡の3ルートに流れることになり、吉田ルートのオーバーツーリズムは軽減されても、富士山全体のオーバーツーリズムの解消は期待できない。
今後に期待すること
入山者数の制限に関しては、山小屋の経営への影響を斟酌した上で人数設定しなければならなかった事情があったと理解する。ましてコロナ禍では通常の営業ができず、大変苦しい経営を余儀なくされたことを思えばなおさらだ。しかしながら今回の制度では先に述べたように抜け穴だらけで、富士登山が直面する問題の解決には実効性が乏しいと言わざるを得ない。
入山料に関しては、安全対策、環境保全、救助費用などを賄う上でも必要不可欠で、制度化するのが遅すぎたと思う。これまで協力金として1000円を任意の寄付の形で募ってきたが、入山料の徴収に伴って任意の寄付はかなり減るのではないだろうか。世界遺産として適切な維持管理ができるよう精査し、協力金と入山料を一本化した上で適正なフィーを設定すべきと考える。また納税者である地域住民や日本国民(外国人在住者含む)と、そうでない海外からの訪問客との間に異なる入山料を設定することも検討に値すると思っている。
今回の吉田ルートで導入する入山制限に関しては、オーバーツーリズムの解消という実効性の観点からはほとんど意味がないものの、まずは一歩を踏み出したことを評価したい。その上で、次のステップとして全ルートが同じルールになるよう、当事者の山梨県、静岡県に加えて、国や山小屋関係者、富士山を所有する浅間神社などステークホルダーをまじえて議論し、早期に本質的な対策となる制度を確立して運用することを切に願う。
また、これを契機に他の山においても、富士山の事例を参考にして、登山道の維持管理やトイレの整備、安全対策、環境保全などの在り方について議論が広がり、将来世代に「山」という大切な宝を残せるような取り組みが進むことを期待したい。
蛇足ながら、入山制限に一歩を踏み出した山梨県において、県知事が1400億円の事業費がかかる登山鉄道の導入にご執心のようだ。世界遺産登録の決定時、ユネスコの諮問機関であるイコモスから登山者の混雑、自動車による環境負荷、人工的景観などを改善すべき点として指摘されており、その解決策として登山鉄道の導入を考えているようだ。
地元の富士吉田市は、上高地のようにマイカーを規制してシャトルバスを運行する方式とし、さらにバスをEVにすれば大規模な登山鉄道を導入しなくても対応可能だと主張する。富士山登山鉄道推進事業を担当する山梨県の和泉正剛知事政策局次長は「登山鉄道構想は富士山を取り巻く課題を解決するソリューションの1つとして提案しており、鉄道ありきではない」と発言しているようだが、スイスのような登山鉄道による観光の付加価値化を図り地域の活性化や税収アップのような経済的効果を狙う下心のようなものも見え隠れする。
山梨県と富士吉田で議論してもらうのは良いが、山梨側だけ登山鉄道を導入しても、イコモスの指摘については静岡側の解決にはならず、今回の入山制限導入の進め方と同じ轍を踏むだけだ。県内で完結する事案ならともかく、複数県にまたがる世界遺産であり日本のシンボルのような富士山に関することは、縦割りや地域割りではなく、大所高所から全体に目配りして検討を進めてもらいたいものだと思うのだが・・・・・。なんだかなぁ