なんだかなぁ・・・ジャニーズ報道

年寄りの繰り言

久しぶりのぼやき。最近のジャニーズ問題については、様々なメディアで報道され、評論家や芸能人など多くの方がコメントされている。今さら市井の老人ごときがあえて触れるまでもないことだと重々承知の上で、それでもぼやきたくなってしまう。

多くのアイドルを発掘して世に輩出してきたジャニーズ事務所の芸能界における実績と実業家・音楽家・プロデューサーとしてのジャニー喜多川の手腕は類まれなものだと思う。その一方で行われていた世界中の耳目を集める非道な性犯罪と、その犯罪の温床となったジャニーズ事務所の体質は、どう弁明しても容認されるものではなく、決してあってはならない由々しき問題だ。

報道のあり方

先ごろ行われたジャニーズ事務所の会見では、報道各社やジャーナリストが集まり、長時間にわたる質疑応答が行われた。部分的に見ただけではあるが、まるで糾弾する場のようになっていて、あたかも裁きの場のような印象を受けた。

内部関係者の暴露本や一部マスコミによる報道などで、かなり以前から疑惑がもたれていたにもかかわらず、これまで報道各社で取り上げられることはほとんどなかった。被害者が声を上げ始めても、その姿勢に大きな変化はなかった。

不祥事に対する客観的な立場の調査ということで、昨今はやりの第三者委員会の調査で「クロ」との結論が出たとたんに、マスコミによる一斉糾弾の報道が始まった。もちろん、各社にも言い分があるだろう。たとえば、事実関係が客観的に明らかになるまでは報道を控えるべきとか・・・。確かに「報道」とは事実を客観的に伝えるものであるので、予断を持って報道することは姿勢として正しくないだろう。

ジャーナリズムはどこに

それでも違和感を抱かせる記者会見のやりとりだった。一部で指摘されているように、あそこまで問題を追及し糾弾するのであれば、これまでなぜ問題が本当かどうかを追ってこなかったのか。TV各社や大手出版社系の週刊誌などが、ジャニーズとのビジネスへの影響を恐れて、「さわらぬ神に祟りなし」的な対応をとってきたと言われても仕方ないだろう。

かつて、立花隆という硬骨のジャーナリストがいた。尋常高等小学校卒でありながら総理大臣にまで登り詰め、「今太閤」と庶民からも絶大な人気を誇った田中角栄首相の在任中に、闇の部分である金脈問題を追及して退陣に追い込んだ。その後、ロッキード事件を暴くことにつながった。

芸能界のドンどころか、政界のドンに切り込み、隠された負の部分を暴き正面から糾弾したのだ。これこそジャーナリズムの真骨頂ではないか。報道とジャーナリズムは違うと言われるが、地道な調査で悪事を暴いていくのも報道の使命の一つではないだろうか。

かの国の報道が独裁体制を慮った報道を繰り返すことと、ビジネスの経済的な影響に左右されて報道内容をさじ加減するこの国の報道の在り方に本質的な違いがあると言えるだろうか。

先の大戦中には大本営発表という官製報道だけでなく、報道各社も国民を扇動して戦禍を大きくした。当時は厳しい情報統制と憲兵による検挙や弾圧を受けていたので、斟酌する部分はあるだろう。しかし、現在は報道の自由が守られており状況が異なる。マスコミ、報道関係者は何かに忖度することなく、事実を客観的に正しく伝えることに徹してもらいたいものだ。

ジャニーズ名称変更問題

今回の件は、多くの問題を抱えているが、それらについて一つひとつ述べるつもりはない。ただ、一つだけ名称変更について触れておきたい。同じ名前を使い続けることに対して、批判の声が多い。被害者の方々にとっては耳にもしたくない名前なので、社名変更を訴えるのは理解できる。でも本当に名称変更が取るべき選択肢だろうか。名前を変えて再出発することには、小手先の対応ではないかと疑問を持つ人も少なくないだろう。

かつてオウム真理教という新興宗教があった。地下鉄サリン事件などを引き起こした凶悪かつ支離滅裂な宗教団体だった。現在も「アレフ」という名前で宗教活動を続けている。オウムの元幹部が教団を率い、教祖だった麻原彰晃を現在も崇拝している。

現在取り沙汰されている「世界平和統一家庭連合」もかつて問題を起こした「統一教会」が名前を変えて活動している教団で、本質的に体質は変わっておらず、以前と同じ問題を引き起こしている。

時とともに記憶が薄れ、昔の問題を知らない世代は名前の変わった教団の誘いに疑うことなく乗ってしまう。もちろん同じ土俵でジャニーズの名称変更を論ずるのは適切ではない。ただ、名称変更することで、「禊(みそぎ)」が終わったようなことになりはしないかと危惧する。

本質は名称変更云々ではなく、経営体質や企業文化・風土をどう刷新できるかであり、二度と同じような不祥事を起こさないガバナンス体制を構築することである。仮に別の不祥事が燻り始めても、それを察知する仕組みと自ら調査し是正して正しい姿に戻す自浄能力を持てるかどうかである。名称だけが議論されるべきではない。

ジャニーズ改革に期待すること

事の発端は、独裁経営を行っていた創業者の非道な行為である。今回の新経営体制では正直なところ心もとない。内部登用だけでなく、各方面の経営のプロを経営陣に招いて体制を刷新すべきだろう。

芸能プロダクションといえども、一般企業と何ら変わらない。視点を変えれば、この業態は人材派遣会社と大差ないように思える。社員の労働環境や人権などが守られ、適切に処遇されること、薬物やファンとの接し方など遵法・倫理などの教育を徹底すること、不幸にしてデビューすることができなかった人たちの再就職を支援することなど、やることは多いはず。専門家をうまく使って立て直すことが望ましい。

会社がプライベートカンパニー(非上場)かパブリックカンパニー(上場)かは一般的には問題ではないが、ジャニーズに関して言えば、創業関係者が100%を保有する資本構成はもはや適切ではない。関係者以外から監視・監督される仕組みになるよう、過半の株を手放すべきだ。

最後に

被害に遭われた人たちやその家族に対し、ネットという「武器」を誤用して、理不尽な誹謗・中傷を行う行為やそれができてしまう今の仕組みついては、色々と書きたいことがあるが、いつか別の機会に取り上げたいと思っている。

それにしても、企業による相次ぐジャニーズとのCM契約打ち切りにも考えさせられる。そもそもCMは販促活動の一番大きな手段なので、好感度を得やすいジャニーズタレントを多用してきたわけだが、今回の件で手のひらを返したような契約打ち切り。卑劣な性加害問題を長年続けてきた問題企業のジャニーズと契約を続ければ、企業の人権に対する姿勢を問われて自らが糾弾されてしまうということでの対応だ。

新疆ウイグル地区やバングラデシュなどの製品を取引しない対応と同じではあるが、日本の企業は海外から指摘されるまで取引を続けていた。今回も同じような構図なのだが、煙が立っていても指摘されるまで行動を起こさないという体質は相変わらずだ。自らアンテナを張って問題のある取引は見直していくという先手の対応がなかなか取れない。

まして日本にとって貴重な天然資源となれば、経済優先で毅然とした対応ができない弱みを持つ。他のブログ投稿でも述べたが、この辺りがそろばん勘定を優先する資本主義の“ダークサイド”とも言えるだろう。

横道に逸れたが、契約打ち切りの実害を受けるのはタレントたちである。これからも仕事が減るのではないか。タレントたちの移籍や独立へと発展するだろうか。話し合いによる円満な解決が取られればよいと願うばかりだ。

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