COVID-19に思うことー8

年寄りの繰り言

今日は5月5日、こどもの日。戸建てが多い近所を歩いても、鯉のぼりを見かけることはない。マンションに住んでいたころは子供が小さかったので、我が家も団地用の鯉のぼりをベランダに出していたのだが、最近はマンションのベランダでも見かけることはまれになった

例年であれば、残雪を求めて山に出かけるシーズンだ。都心を離れて里へ出かけると、田植え準備の田んぼの中の家々には、大きな鯉のぼりがあちこちに高く泳いでいる。新芽の山の緑と青空をバックに風をはらんで気持ちよさそうに揺れる鯉のぼりを見ていると、川の中をゆったりと泳ぐ大きな鯉のようで、何とも気持ちがいい。今年はそんな光景を見にいけないのが残念だ

(渡り鳥が旅立つ準備を繰り返す。逆V字型のフォーメーションを組む練習。空力学的に理に適う編隊で、先頭の鳥が羽ばたきで作り出す空気の流れを後ろの鳥が捉えて揚力に変えていく。その後ろの鳥も同じように空気の流れを次々と活用していくエコ飛行。だからVの字を形成する。体力を消耗する先頭は一定時間を飛ぶと最後尾に移動し、2番手が先頭を引き継ぐ。これを繰り返して海を渡るのだ)

さて、5月31日まで緊急事態宣言の延長が決定された。最初に7都府県に発令されてから1か月、経済や生活にとっては大変厳しい選択ではあるが、感染の実態を見れば順当な判断だと賛同する。対象区域外への人の流れから地方への感染拡散が見られ、途中で全国拡大されたことを考えれば、地域により感染状況に歴然とした差があるものの、全国一律延長とした点も妥当だと考える

一方で、このシリーズの2回目にも書いたが、刀を抜いた以上はどうやって鞘に収めるかの腹積もりが必要だ。1か月たっても政府からも専門家会議からも明確な判断基準は示されていない。延長に際しても示されなかった点は、国難に対処する仕組みが相変わらず機能していないと落胆せざるを得ない

吉村府知事がリーダーシップを取り、独自に解除に向けた基準を発表した大阪府にエールを送りたい。完璧な指標など作成することは難しいのだから、ケチをつける批評家(一般人も含め)やマスコミなどは気にせず、まずは府民に明示し、修正すべきは謙虚に柔軟に対応しつつ実行に移してほしいと思う

出口戦略に限らず、大場・急場に対するこれまでの政府や中央官庁の対応は、残念ながら適時適切とは言い難く、諸外国に比較してもスピード感、規模感など多くの面で見劣りする。現場レベルでは夜に日を継いで取り組んでいるのだろうが、10万円の給付や中小企業支援、PCR検査や医療体制の拡充に至るまで、迅速に有効な手が打てている状況にない

(なかなかうまくV字形を作れない。編隊が完成する前にばらけてしまう。初めて海を渡る今年生まれの鳥もいるからね。左右均等なVの字ができるまで練習を繰り返す)

優秀な人材が集っている中央官庁であるはずなのに、なぜこのようなことになっているのか?公務員を削減しすぎたという意見もあるようだが、量や質の問題ではないのだろう。平時の行政の体制ではこのような非常事態に対応できないという構造的な問題なのだろうか?私には緊急事態ということだけではなく、ITなどの技術変革や国際情勢の変化など、これまでの歴史とは比較にならないほど速く複雑化している変化に既存の仕組みが対応できていないように思える

ちょっと例えが適切ではないかもしれないが、長く平和な時代を送ってきた徳川幕府体制や、日露戦争での戦勝体験を引きづって第二次大戦に突入していった軍事政権が、それまでの成功を収めた仕組みを旧態依然として維持し続けて崩壊に至った状況に似ているように見える。現在は戦後の奇跡的な高度成長を遂げてきた社会システムが成功体験の足枷のようになり、変化への感性や対応力を失わせているのではないかと危惧する

横道にそれるが、戦後の「安かろう、悪かろう」の日本製品が、品質改善活動の努力により世界に冠たる高品質を築き、「Made in Japan」のブランドを確立したことは誇らしい実績だ。しかしながら、いつしかそのブランドに胡坐をかき、台湾や韓国、中国に追いつかれ追い越されてしまった。日本の製造業の競争力は今や光を失いつつある。世の中をあっと言わせるようなワクワクする製品づくりを怠り、旧態依然とした製造現場レベルの品質改善に終始したことが、競争に敗れ始めた要因ではないかと考える。今やその品質でさえ、危険領域まで低下していると感ずる

(旧江戸川沿いの土手一杯に咲く可憐な花)

今回のコロナを契機にして、コロナ後の社会について、今の仕組みや体制で変えるべきものと維持すべきものを見極め再検討してはどうか。立法、司法、行政の三権のみならず、経済や教育、医療、生活などあらゆる面で見直しをする。明治維新のような抜本的な変革をしようというのではない。今回のコロナ騒動でうまく対応できなかった点から見直せばいい

例えば、

1)行政へのITの積極活用

行政において、ネットでの申請、発行手続きを拡大し、窓口業務の効率化や簡素化を図れば、土日でも夜間でも対応でき、利便性が高まる。また、現行のマイナンバーのカード化から一歩進めてスマホなどで持ち歩けるようにすれば普及が進み、今回の現金支給もはがきの送付や回収、情報の手入力など、人手と時間をかけずにもっと簡単に対応できる、などなど

2)仕事のあり方

テレワークなどのインフラを整備して働き方を多様化できれば、老親介護や育児などと仕事の両立に道を開くし、企業も貴重な戦力を失うこともない。通勤を含めて仕事に拘束される時間が減り、家族とより豊かな生活を送ることができる、副業がやり易くなる、自己啓発に時間を使える、などなど

3)有事への対応機能

西村大臣は優秀な政治家だと思うが、今回の感染対応を経済再生担当大臣が担っていることに違和感が付きまとう。感染だけでなく、テロや自然災害、戦争など、起こってほしくない有事が発生した際に、速やかに関係省庁、民間から必要なリソースを動員し、権限をもって対策の立案から執行までを担う有事対応専任機能を作る、などなど

4)医療体制の再編

疾病履歴管理や適切な医療提供などにおいて利点が多い「かかりつけ医制度」や「病院の機能分担と連携体制構築」を従来に増して強力に進める、その中で有事の医療体制へ速やかに組み替えられるよう、役割分担を明確にしてハード・ソフト面を充実しておく、などなど

5)教育のあり方

学校での集合学習を基本としつつ、ITを活用した学習インフラを整備すれば、山間部や離島などの僻地で教育を受けることが容易になるし、教え方の上手い講師を使ってビデオを作製することで、教師の当たり外れも回避できる。英語などの外国語学習は、ネイティブによるビデオ学習やオンライン学習の方が、発音が下手どころか英語を話せない日本人教師による授業よりよほど身につく、などなど。4月から9月への変更は、コロナ対策の議論としてはあまり重要な議論ではないかな・・。勿論、休校による遅れをどうするかは喫緊の重要課題だ

6)私権保障のあり方

今回の特措法の限界は社会の共通認識になったのではないか。爆発的感染に至っていないからよいようなものの、万一、そのような事態になればロックダウンなどの私権制限は避けて通れない。第2波、第3波で、あるいは別の感染症でそのような事態が来ないとも限らない。「へぼ将棋、玉より飛車を可愛がり」では本末転倒だ。万一に備えて、罰則を伴ったロックダウンなどを発動できるよう国民の多くに受け入れられる形で法整備を急ぐべき

(先の写真のアップ。ネコノメソウに似ているけど、ちょっと違うな。何の花だろう?それにしても朝露が何とも瑞々しい。早朝ならでは・・だ)

上記は、思いつきの例に過ぎない。現状打破とコロナ以降の新生日本の構築に向けて、安倍政権と中央官庁には底力を発揮してもらいたいと願う。現状のような状態が続けば、7)の項目に、「中央集権体制のあり方」を加えなくてはならない。中央は外交を主に担当し、国内政治は日本をいくつかの地方に分割した道州政治のような体制にして、各首長と地方官僚に任せる案を追加することになる

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