『百年の孤独』ガブリエル・ガルシア=マルケス著

レビュー

『百年の孤独』について

コロンビアのノーベル賞作家、G・ガルシア=マルケスの作品。原語(スペイン語)のタイトルは『Cien Años de Soledad』(英語版タイトルは『One Hundred Years of Solitude』)。日本では『百年の孤独』の邦題で、鼓 直(つづみ ただし)の訳により1972年に新潮社から刊行された。

左が日本語版『百年の孤独』(新潮文庫)、右が英語版『One Hundred Years of Solitude』(Penguin Classics)

生活のために新天地を求めてやってきたマコンドという地での開拓民と村の歴史、とりわけリーダーであったホセ・アルカディオ・ブエンディアとその子孫の百年にわたる足跡をたどった物語だ。

国家としての基盤を整えていく新政府に徐々に飲み込まれながらも、自分たちのやり方で存続させようとするコミュニティの「自立」あるいは「孤立」の物語であり、6代にわたってそれぞれが我が道を行くブエンディア家の人々の支離滅裂で絶望的な「孤高」ともいえる人生の物語だ。それらがタイトルの「孤独」の意味するところではないかと思う。

本書を手に取った経緯(適当にスキップしてください)

以前からガルシア=マルケスという作家の名前は知っていたが、一冊も手にしたことはなかった。数年前に、お互いに本を共有しあう長男の書棚に英語の『One Hundred Years of Solitude』を見かけた。

「これどうしたの?」と聞くと、「なんで自分の手元にあるのか記憶がない」とのこと。なにせ本人はガルシア=マルケスという作家の名前も知らなかったくらいなので、入手経緯の記憶が飛んでいても不思議はない。

息子は学生時代に1年間米国に留学していたので、現地で薦められて買ったのか、あるいは現地の学生にもらったのかと思ったが、よく見ると日本で洋書を購入すると貼ってある日本円の値札のシールがついていた。

察するに他の日本人留学生からもらったのか、貸してくれたのを返し忘れて持って帰ってきたのではないかと思う。帰国後、現地で使用した教科書と一緒に段ボールに入ったままになっていたものを、社会人になりしばらくして学生時代の段ボールを整理したら出てきて本棚に並べたようだ。

読む気配もないので「ちょっと借りるよ」といって私のベッド周りに置いた。そのうち読もうと思いながら数年がたち、結局被った埃をときどき払うだけだった(笑)。

日本語訳の単行本から遅れること約半世紀、今年6月に新潮文庫から文庫本が刊行された。新聞や雑誌の書評、ネットの記事などで話題になったことから、7月にアマゾンで注文しようとしたら何と在庫切れ。楽天で見つけて発注した(楽天で本を購入したのは初めて。どうでもいいことだけど・・)。

私はサンデー毎日の隠居の身なので、現役世代のレジャーを邪魔しないように、活動するのはもっぱら平日だ。週末やGW、お盆休みなど人が動く時期は家にこもっている。というわけで『百年の孤独』は何処にも出かけない暇なお盆休みにじっくり読んだ。

文庫本で600頁を超える長編で、書評やネットでの感想では「若い頃に挫折した本書に再挑戦した」というようなものが多いので、ちょっと気合を入れて読み始めた。読むスピードが遅い私は4-5日を要したものの、読みだしたら面白くて止まらなかった。

アルカディオやアウレリャノ、レメディウスなど、男女問わず世代をつないで同じ名前が繰り返してつけられるブエンディア家6代の主人公たちには、私も最初は混乱したものの、巻頭の家系図に助けられ読み進むことができた(家系図がないと混乱して読めない点は『源氏物語』と似ている)。

読後の感想(一部ネタバレ含みます)

ブエンディア家6代の100年は、マコンドの開拓から消滅に至る100年である。その間にブエンディア家の世代間で同じ名前を持つ人物たちが、同じような過ちを繰り返す(近親関係的になったり、兄弟で同じ女性と関係を持ったり)。

「またか」「性懲りもなく」というような繰り返しで、東洋でいう輪廻転生的、あるいは因果応報的な物語と通ずるものがある。同じころに書かれた三島由紀夫の『豊饒の海』も輪廻転生の物語だが、こちらは血の繋がりとは関係なく、時と場所を変えて霊魂が転生する物語だ。一方、『百年の孤独』は遺伝的な泥臭い輪廻のような物語だ。

またラテンアメリカ文学が発祥と言われるマジックリアリズム(魔術的リアリズム)という手法が用いられており、現実には起こり得ないような神秘的な出来事が当たり前の出来事のように描写されている。

例えば、レメディオスが干してあったシーツを取り込む際に、風に煽られて浮かび上がり、まるでシャガールの絵の女性のように高く昇天していくシーン。他にも6代にわたるブエンディア家の運命が、年齢不詳のジプシーのメルキアデスによって羊皮紙に書き残された通りになることや、死んだメルキアデスの霊がブエンディア家の一室にいつまでも残って子孫と会話をすることなど。

日本人に馴染みのあるところでは、村上春樹の小説に出てくる不思議な壁抜けや、死者や人形との対話なども、マジックリアリズム的と言ってもよいのかも。

全体を通して、ネイティブ・インディオの土着的な世界観とスペインやポルトガルの侵略によるキリスト教的な世界観が混在しているような印象だ。神秘性や暴力性、情熱性、頽廃性というような、いかにもラテン・アメリカ的な匂いというものを感じる。

物語の質は大きく異なるが、2-30年前に読んだ同じラテンアメリカ文学、パウロ・コエーリョの『アルケミスト – 夢を旅した少年』で受けた印象に似たものを感じた。

『百年の孤独』は、決して挫折するような難しくてややこしい物語ではない。先ずはブエンディア家の面々の生き様に呆れながら、ラテンアメリカのテイストを味わうように読めば面白いのではないかと思う。

余談

「中々」などの焼酎ブランドで有名な宮崎県の黒木本店が、「百年の孤独」という麦焼酎を出している。4代目オーナー(先代)が本小説に感銘を受け、ガルシア=マルケスに会いに行き、直談判して許可を得て名前を付けたらしい。

焼酎の「百年の孤独」はアルコール度数が40度と高く、少量で酔えるのでテント泊縦走登山には持ってこいだ。アルコール的に考えれば、一般的な20度の焼酎に比べて、半分の量で同じだけ酔える(笑)。軽量化は山の最重要課題の一つなので、高濃度の焼酎を重宝してきた。夏でも冷える山中のテントで、適度に薄めたお湯割りを楽しんできた。ただ、ちょっと高いので最近は同じ宮崎県の田苑酒造の麦焼酎「桜」を山に持って出かけている。

2回目に本書を読む時は、ぜひ「百年の孤独」をお湯割りかオンザロックでちびちびやりながら読み直してみたいと思っている(英語版の方はこれからも読むことはないかな・・)

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