SF小説『三体』シリーズについて
文庫本が出るのを長く待ち続けた『三体』シリーズ。ハヤカワ文庫SFから今年(2024年)2月下旬に『三体』が発売され、4月下旬には『三体Ⅱ 黒暗森林』、6月下旬には『三体Ⅲ 死神永生』と続いた。2カ月間隔で文庫本が続々と出てきたのだが、シリーズⅠの『三体』を読んだところで、同じ著者「劉 慈欣」の『球状閃電』を読んだ。『三体』シリーズとは直接関係ないが、登場人物や内容が『三体』シリーズに引き継がれているので、日本ではシリーズの前日譚の位置づけとして劉 慈欣の許可を得て『三体0 球状閃電』のタイトルで発刊された本だ(2024年7月現在で文庫化はされていない)。こちらも面白い本だった。
シリーズⅡの『三体Ⅱ 黒暗森林』の文庫を読んだところで、シリーズⅢの文庫が待ちきれなくなって、図書館で単行本の『三体Ⅲ 死神永生』と後日譚的なスピンオフ作品の『三体X 観想之宙』を読み、文庫が出てから再度『三体Ⅲ 死神永生』を読み返した。実は『三体X 観想之宙』は劉 慈欣の作品ではなく、当時ベルギーに留学中だった「宝樹」という別の中国人が書いた作品だ。劉 慈欣の大ファンで三体シリーズに感銘を受けた宝樹が、三体Ⅱや三体Ⅲのストーリー展開を補完する形で書き上げた作品である(この作品については本ブログの最後の方で触れた)。
一方、2023年1月にはNetflixが映像化したドラマ『三体』のシーズン1が公開された(全30話:1話/約45分)。いつになるかは分からないが、ロード・オブ・ザ・リング『力の指輪』シリーズのように、今後シーズン2、シーズン3として三体Ⅱ、三体Ⅲが映像化されていく予定だ。このシーズン1が今年7月になりAmazon Prime Videoで見られるようになった。三体シリーズすべてを読み終えたタイミングだったこと、プライム会員なので無料で見られることもあり、暇に任せてシーズン1の30話をすべて見た。
ドラマ版に抱いた「違和感」
公開されたシーズン1については、少し前の別のブログで「原作とはちょっと違和感がある」と述べたのだが、あらためて私の感じた「違和感」の主なものを以下に挙げてみたい。
物語のテンポ
シリーズⅠの『三体』は文庫本にして約600頁におよぶ長編だ。そのような長編でも、映画の場合は2-3時間に仕上げることが多い。一方、Netflixは多少の構成の組み換えなどは行っているが、総じて原作を忠実に網羅する形でドラマ化している。そのために、1話(1エピソード)あたり約45分のドラマが30話という構成になっている。
NHKの大河ドラマが1年かけて約50話で完結する構成なので、シーズン1だけで大河ドラマの6割程度の長さだ。『三体』のほぼ倍の頁数がある『三体Ⅱ』や『三体Ⅲ』のドラマ化に至っては、同じようにドラマ化すれば、それぞれ大河を超える長さになり、見るのも大変だろうなと余計な心配をしてしまう。一方で、4次元空間や2次元、三体世界や宇宙艦隊などをどのように描くのか楽しみでもある。きっとCGを駆使して映像化するのだろう。
シリーズⅠの『三体』は、文化大革命(1960年代後半から70年代前半に起きた出来事)の回想を散りばめながら現代までの約50年間のタイムスパンを描いているのだが、小説で読む限りは非常にテンポよくストーリーが展開する。一方、Netflixのドラマ版は、不可思議な現象やそれによって主人公たちが味わう内面的な混乱を、映像の特殊効果などを生かして表現しようとするあまり、物語の展開に水を差す間延びした印象を与えている。
小説を読んでドラマを見た方の中には私と同じような印象を受けた方が少なくないだろう。あくまで私の個人的印象ではあるが、原作のもつハードボイルド感を大事にしてテンポよくドラマを仕上げた方が良かったのではないかと思う。
史強(シーチャン)のイメージ
「ハードボイルド」という表現を用いたが、SF小説である『三体』シリーズを面白くしている要素として、地球を乗っ取って移住しようとする三体世界と対峙する主人公たちの気骨、タフさのようなものがある。とりわけ『三体』と『三体Ⅱ 黒暗森林』で重要な役割を果たすのが、ならず者的な警察官の「史強」だ。
大柄で武骨で礼儀知らずの型破りな警察官、破天荒でアウトロー的な男が物語をぐいぐいと引っ張る。読んだときに真っ先に思い出したのが、30年以上前に読んだジェイムズ・クラムリーの『さらば甘き口づけ』の主人公である私立探偵のC.W.スルー。ハチャメチャの飲んだくれ、叩き上げのタフガイ、人生における出世や成功などとは無縁で男気あふれるイメージは、見事に史強と重なった。
一方、ドラマの史強は、ちょっと小柄でヤサグレ感が乏しく、小説の人物像と比較してフィジカルもメンタルもスケールの大きさが足りない印象がぬぐえなかったのはちょっと残念だった。
文革の描き方
『三体』の主人公の一人が宇宙物理学者の葉文潔だ。彼女が宇宙に向かってメッセージを発信し、地球では争いが絶えず、自分達ではどうにも解決できないので、人類を滅ぼしに来てほしい、と訴える。このようなメッセージを送ることになった絶望体験が、物理学者の父親が殺された文化大革命の粛清だった。母親は文革の波にのまれて保身に走り、妹は革命思想に染まって運動に加わり、父親を反革命分子として密告したことにより父親は紅衛兵たちに殺害されてしまった。
ざっくり書くとこのような悲惨な体験なのだが、『三体』においては極めて重要な核心の一つだ。にもかかわらず、Netflixのドラマ版では、小説で描かれた文革のディテールは映像化されなかった。映像化の仕方によっては、国家侮辱罪か何かで中国政府に揚げ足を取られて今後のビジネスに大きな影響を受けることを恐れたのかもしれない。坂本龍一がメインテーマの音楽を担当し、俳優としても出演した映画『ラストエンペラー』では、文革のシーンがしっかりと描かれていたが、この映画が製作公開された当時は、改革開放派の鄧 小平が国家主席の時代だったからか、現在の強権主義の中国政府に対するピリピリした忖度のようなものは不要だったのかもしれない。
Netflixに限らず、著者の劉 慈欣や重慶出版社でさえ、出版に当たってはかなり気を使ったようだ。オリジナルの著作では文革のシーンから始まるのだが、出版時には冒頭から中ほどに移され、回想シーンとして小説の途中に出てくるよう再構成された経緯がある。多くの国では中国版に倣って同じ構成になっているが、日本語版はオリジナルの原作通りに冒頭に出てくる構成に戻してある。上述したように、小説『三体』においては極めて重要な核心の一つであり、小説的には文革が冒頭に描かれるオリジナルの構成の方が優れていると思う。
蛇足:『三体X 観想之宙』について
劉 慈欣の大ファンである宝樹が書いた『三体X 観想之宙』は、当時学生だった宝樹が『三体Ⅲ 死神永生』を読み終え、わずか2週間ほどで書き上げてネット公開した派生作品だ。ネットで大変な評判となり、『三体X』として本になったものだ。
古今東西、別人によるこのような「書き足し」は珍しくなく、日本でも夏目漱石の未完の絶筆となった『明暗』には、4人の作家が完成を試みて続編を書いている( 水村美苗の『続明暗』、田中文子の『夏目漱石「明暗」蛇尾の章』、永井愛の『新・ 明暗』、粂川光樹の『明暗 ある終章』)。
さらには紫式部の『光源氏』についても、続編的な『宇治十帖』は別の作者による作品ではないかとか、オリジナルの『光源氏』にしても、いくつかの章は誰かが書き加えたのではないかという論争がある。いろんな日記や随筆が傑出したあの平安時代なら、みんなで面白がって『光源氏』に書き足す光景が目に浮かぶようで、あり得る話のように思える。
横道に逸れたが『三体X 観想之宙』に戻ると、SF的な観点からは実に良く書けていて、三体Ⅱや三体Ⅲを謎解き的に補足している。おそらく劉 慈欣からみても違和感がないストーリーの補足になっていたので、タイトルに『三体X』を使用することを認めたのだろう。
ただし、SF的な考察は優れていても、小説としての書きっぷりは稚拙感や素人感が否めなく、恋愛的な部分の記述についてはどうしようもない三文少女漫画以下と言わざるを得ない。登場人物の感情表現や描写の繊細さ、巧みさについては、原作者の劉 慈欣には遠く及ばない。
おわりに
三体シリーズは、久々にのめり込むように読んだ本だった。『三体』はすでに3回読んだし、『三体Ⅱ』と『三体Ⅲ』は2回読んだ。クソ暑くなりそうな今年の夏は、家で『三体Ⅱ 黒暗森林』と『三体Ⅲ 死神永生』の3回目を読み返そうと思っている。
Netflixのシーズン1のドラマ30話については、小説との違和感などを書いたが、それなりに面白いのでご興味のある方は是非ご覧いただくのが良いかと思う。もちろん原作を手に取ることを強くお勧めするが・・。
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