『22世紀の民主主義』by 成田悠輔

レビュー

最近読んで面白かった本だ。著者はTVのコメンテーターとして見かけることが多くなってきたので、左右が〇と▢の面白いメガネをかけた新進気鋭の人といえば、思い出す方も多いだろう


『22世紀の民主主義』
― 選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる ―

成田悠輔著、SB新書


本の中身を詳細に紹介するつもりはない。学者の書いた堅苦しい民主主義論ではないので、ぜひ手に取って読んでいただければと思う。以下に、本書に関連した私の思うところを述べてみたい

<先の参院選で思うこと>
実は、先ごろの参院選挙で初めてマッチングアプリを使ってみた。経済や外交、安全保障など二十数項目にわたる質問に答えていくと、どの政党のマニフェストと方向性が一致するか、自分の選挙区のどの候補者と考えが近いかが点数になって一覧になる


結果は悩ましいものだった。必ずしも自分の考えに一番合致する政党と候補者が整合しない。A政党の政策と自分の考えのマッチ度が高いのだが、選挙区の候補者を選択するとなるとB政党の候補者Cさんの点数が一番高い、というような結果になる


ならば、比例代表はA政党と記入し、候補者はB政党のCさんと記入すればよいではないか、という考えもあるが、ちょっと釈然としないものが残る。ちなみに数社のマッチングアプリを試してみたが、各社によって質問項目が少しずつ異なるので、当然ながらベストマッチの政党や候補者の結果はアプリ間で一致しない


ちょっと遡ってみれば、自民党や社会党が分裂していろんな中道政党が生まれては再編され、鞍替えしたり出戻ったりする政治家も少なくなかったので、質問項目の設定の仕方でマッチする政党が変わったり、政党と候補者が整合せず微妙にずれているのも頷ける。政党も一枚岩ではないし、候補者も筋金入りの政策スタンスを持っているわけではなくブレや揺らぎがある


<「故障」だらけの仕組み>
著者が指摘するように、現在の民主主義の根幹をなす代議制民主主義や、その代議員を決定する選挙という仕組み自体が疲弊して「老衰」状態にあるのだろう


まず、選挙に勝たなくてはならないので、どうしても人気取り政策を掲げがちになり、短期志向の政治に陥りやすい。例えば、政策においてはコロナ給付金を一律10万円給付するというような単純明快な政策を打ち出す政党が多かったし、次なる感染に備えて医療体制をどう変えていくのか、中央と地方の政府の役割をどう整理していくのか、といった議論が分かれるような具体的な政策の提示は避けていたように感じる


また、地政学的な不安が増す中で、今後、防衛や経済、食などの安全保障をどう強化していくのかについても、残念ながら具体的な政策はあまり見られなかった。近視眼的なポピュリズム傾向に陥っているのは日本だけではなく、世界中の民主主義国家の構造的な弱点なのだろう。独裁政治や専制政治の国家が、新技術開発や軍備増強などの国策に向かって着実に進むのとは対照的だ


著者が指摘するように、政治家の報酬には企業の業績連動評価のような仕組みがなく、経済の好不況や危機管理の巧拙に関係なく一定額の報酬や恩給が支払われ続ける制度にも問題がある。また、掲げた公約を達成したのかどうかの結果も報酬に反映されることはない

その上に使途に制約を受けず報告の義務もない「文書通信交通滞在費」のような収入があれば、企業の部長クラスの報酬しかないのに、銀座で夜な夜な飲み歩けるのも合点が行く。短期的な政策はもちろんのこと、中長期的な政策についても、一定期間をおいて妥当であったかどうかを評価し、将来の議員の年金支給額に反映するような仕組みは、今すぐにでも取り入れるべきだろう


<民意はどこに?そしてどう反映するのか?>
そもそも民主主義の根幹である民意はどこにあるのだろうか?これが分からなければ、国政に反映することもできないし、税金を適切に投入して国民の負託に応えることもできない。しかしながら、自分たちの周囲を見渡しただけでも、多種多様な考え方や境遇の人がいて、それぞれ何を望んでいるのか知る由もない。まして国民の総意となると・・


先に短期的な施策の例として引き合いに出した10万円のコロナ給付金にしても、中長期的な感染症対策や経済対策よりも国民の多くが一番に望んでいたのかもしれない。もしそうであるならば、多数決が民主主義の是である以上、正しい政策だったと言えるのだろう


この観点からは、今の日本は必然的に若者の将来よりも直面する高齢者対応の政策が優先される人口構造にあるので、選挙
いう代議制民主主義の根幹をなすシステムを機能させれば、将来の日本の発展よりも老後の生活の安泰に比重が置かれた政治になるのは自然な成り行きだ。一方で、それでよいのかと疑問を持つ人も少なくないだろう


選挙の実態をみると、日本の投票率は低下しつつあり、このシステム自体が劣化して国民から見捨てられつつあるようにも思える。選挙公約として提示される政策が民意を正しく反映していないために、わざわざ選択しに投票所に出かけないのかもしれない。あるいは国民の少なからぬ人たちが、複雑化する国際情勢や「失われた30年」を歩んできた中で日本の進むべき道を見いだせず、棄権という方法で判断を他者に委ねているのかもしれない


<アルゴリズムによる民意の抽出と政策立案>
では、劣化して見捨てられつつある「選挙」という民主主義の仕組みをどう改革するか?


著者は22世紀の民主主義の姿として、「無意識データ民主主義」を提唱する。先述したようなパッチワーク的な「故障」の修繕ではなく、抜本的な改革だ

ネットなど世の中に発信される個々人のメッセージ、カメラや動画などで捉えられる表情、スマートウォッチなどのデバイスで得られる生体的な反応などのエビデンスをもとに、人々が何を顕在的、潜在的に求めているかを汲み取って政策立案するシステムを描く


使用されるアルゴリズムの透明性、精度、堅牢性などの担保を前提としつつ、様々なデータをもとにITなどのテクノロジーを駆使して人々の「目的発見」や「価値判断」を民意として抽出し、それに基づく「政策立案」を選挙に変わる民主主義の仕組みとして構想している。これにより、「副産物として、政党や政治家といった20世紀臭い中間団体を削減できる」と期待する


人々がシステムに観察され、自動的に民意が汲み上げられて政策に落とし込まれていく。まるでジョージ・オーウェルが『1984』で描いた世界、人々がシステムに監視される社会と背中合わせのような世界だ。このような仕組みで民主主義がより正しく機能していくのであれば素晴らしい未来なのだが、IT化された衆愚政治に終わってしまっては困る


アルゴリズムの完成度の議論以前に、そのようにならないためにも「エビデンス」のもとになる一人ひとりが発するデータの”クオリティ”が問われるように思う。ポピュリズムがデジタル的に増長され、間違った政策が生み出されないよう、どのような社会を作っていきたいのか個々人の先見性が問われる。明治維新の頃の多くの日本人が持っていたような志、気概、覚悟のようなものが必要だろう


さて読後の印象なのだが、40年ほど前に当時の京都大学の助手であった浅田彰(現在は京都芸術大学大学院学術研究センター所長)が書いた『構造と力』という本をふと思い出した。『22世紀の民主主義』と同じように、軽妙な若者の語り口で書かれており、当時はニューアカデミズムを代表する一冊だった。2週間違いの同い年だったこともあり、20代に手にしてみたが、今では内容はさっぱり覚えていない


私は成田悠輔の父親と同世代で、息子世代の本を読んだことになるのだが、スパッと世の中を切り捨てるあたりが核心をついていて面白かった。浅田彰はセンセーショナルなデビュー後は、意図的なのかあまり表に出てくることはなかったが、成田悠輔には産官学に未だにはびこる昭和のかび臭い体質をバッサリと切りまくり、世論に新風を送り続けてもらいたいと願っている

<後記>
システムが人を観察し、アルゴリズムが人に代わって本人が望むことを判断して意思決定を導く近未来については、ユヴァル・ノア・ハラリの『ホモ・デウス』ーテクノロジーとサピエンスの未来ー(河出文庫)を読むことをお薦めする

下巻の後半に、民主主義だけでなくアルゴリズムの進化が社会や個人の人生において、より広範かつ重要な役割を果たす姿を予見している

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