コロナ前には月に1-2回出かけた映画も、すっかりご無沙汰状態だったが、少し前に久しぶりに足を運んだ。平日なのでガラ透きかと思えば、想定以上に人がいた。海外でいろんな映画賞を受賞しつつある濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』
海外で注目されると、途端に火が付くいつもの現象で、改めてこの映画のリバイバル上映を見に来る人が多いようだ。かく言う私もその一人で、最初にこの映画が出たときには、見る気もしなかった
というのも、村上春樹の作品で過去に映画化されたものには期待外れが多く、『女のいない男たち』の単行本が世に出た2014年に読んだ時も、長編やかつての短編のように感動めいたものもときめきのようなものも感じられず、正直なところほとんど記憶に残らなかったからだ
映画は少々長いながらも最後まで引き込まれた。一方で、「こんな作品だっけ?」と少々びっくり。あわてて単行本を探すも自宅には見つからず。実家に持って行った段ボールの中から見つけて読み返した。何年も前に出版された『女のいない男たち』の文庫本が、最近になってベストセラー入りしているが、映画を見て(あるいは見ようと思って)原作を手にした人が多いのだろう
濱口監督も語っているように、『ドライブ・マイ・カー』をベースにしながら、『女のいない男たち』に収録されている『シエラザード』や『木野』の短編も織り込まれている。村上作品の短編をうまく調理して、それぞれの素材を残しつつ映画版『ドライブ・マイ・カー』という料理に仕上げた、という感じだろうか
『女のいない男たち』の前書きに著者が書いているように、村上春樹の短編集は、「ばらばらに書かれたものをただ集めて一つのバスケットに詰め込むというのではなく、特定のテーマなりモチーフを設定し、コンセプチュアルに作品群を並べていく」というスタイルを取って、比較的短期間に書き上げられる
そのような書き方ゆえに、それぞれの短編は“親和性”のようなものが高く、部分的に混ぜ合わせても違和感なくつながって、映画版『ドライブ・マイ・カー』の作品になっている
一方で、小説の中ではほんのわずかしか出てこないチェーホフの『ヴァーニャ伯父』が、濱口監督によって大きく膨らまされ、映画では非常に大きなウェイトを占め、原作と見事にシンクロしている。また、登場人物や彼らとの絡みも膨らまされている
これらによって、もともとあっさりと書かれ、“漂流感”のある短編が、映画的な展開へと脚色されている。このあたりは村上ファンには賛否が分かれるところではないかと思う。3月28日の米アカデミー賞では、どのような評価になるのか興味深い