『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』の紹介(長文メモ)

レビュー

はじめに

以前「COVID-19に思うこと-4」で引用した『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』(ダイアモンド社刊 戸部 良一、寺本 義也、鎌田 伸一、杉之尾 孝生、村井 友秀、野中 郁次郎 共著)を30数年ぶりに読み直した。息子が文庫本を持っていたと記憶し、帰省の際に持ってきてもらった。しかし文庫本ではなく、私が早めの終活で断捨離したのと同じ単行本だった。私の本は1984年の第1刷だったが、息子の本は2017年の第73刷。時を経てこの本がいかに長く読まれているかが良く分かる

副題にあるとおり、この書が取り扱う研究対象とは、日本が「大東亜戦争」と名付けた第二次世界大戦における日本軍の主な作戦である。最初のケースとして取り上げられている「ノモンハン事件」は日本が第二次世界大戦に至る過程の日中戦争の事象であるが、本書の目的である日本軍の戦略上・組織上の失敗事例として研究対象に加えられている

本書の乱暴な要約

・大東亜戦争で掲げた日本の理念(大義)は、日本軍に浸透していなかった

・日露戦争での成功体験(乃木希典の白兵戦による203高地攻略、東郷平八郎の艦隊決戦によるバルチック艦隊撃破)を引きずった

・陸軍は白兵銃剣主義による戦力の逐次投入、海軍は大艦巨砲主義による艦隊決戦を繰り返し、米軍の進化、変化に対応して戦略・戦術や組織を革新できなかった

・年功序列や学閥が重視され、本来、官僚的組織が持つ効率性や合理性は後退し、意思決定、人材登用、信賞必罰などにおいて人間関係が幅を利かせた

・米国の統合参謀本部が陸海空を一元的に統合したのに対し、大本営は往々にして対立する陸軍と海軍を妥協させることに終始した

・大本営、陸軍、海軍の組織間、組織内のコミュニケーションは悪く、作戦の目的や実行は徹底されなかった

・組織、システム、行動など、平時から有事への切り替えができなかった

・終戦の落としどころに意識を向かわせることなく、同じ戦略を貫いて玉砕に突き進んだ

上述したように、この本は、1984年に上梓されている。この時代は日本が高度経済成長により戦後復興を遂げ、経済大国としての地位を確固たるものにした時期であり、家電や自動車や半導体などが世界を席巻していた時代である。また、徐々にバブルへ向かいつつあった時期でもある。エズラ・ボーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America)を書いたのが1979年であり、まさに日本の絶頂期であった

そのような時期に、日本軍の組織論的研究から当時絶頂期にあった日本の組織への警鐘を鳴らした本書の先見性は驚くばかりである。残念ながら、その警鐘は十分に生かされたとは言い難く、その後のバブル崩壊による「失われた10年、20年」へとつながっていった。その後のリーマンショックを経て、いまだにかつてのような活気や成長軌道に戻れないでいる。そして今まさにCOVID-19による世界的な大災厄に直面し、日本の政治や経済は、ますますその脆弱性、機能不全を露呈している。そんな今こそ、もう一度本書の警鐘を紐解き、「日本を今一度洗濯」する必要があると痛感する

本書の構成

序章(本書のねらい、本書のアプローチと構成)

1章 失敗の事例研究

 1.ノモンハン事件-失敗の序曲

 2.ミッドウェー作戦-海戦のターニング・ポイント

 3.ガダルカナル作戦-陸戦のターニング・ポイント

 4.インパール作戦-賭の失敗

 5.レイテ海戦-自己認識の失敗

 6.沖縄戦-終局段階での失敗

2章 失敗の本質-戦略・組織における日本軍の失敗の分析

3章 失敗の教訓-日本軍の失敗の本質と今日的課題

本書の要点

私の解釈を交えず、本文の引用により論旨をまとめる方針で作業を進めた。できるだけ簡潔にするよう努めたが、かなりの量の引用になったことをお詫びしたい。283頁におよぶ中身の濃い本書からキーとなる部分を拾い上げていったところ、A4で24頁におよんだ。それをさらに絞り込んだが、A4で16頁にするのが私の限界であった。文中の「 」部分は本書の文章やフレーズをそのまま引用した部分であり、( )内は引用した該当ページを示す。すべて第73刷の単行本に依拠している。また、ところどころ【 】として私の補注をいれた

序章

本書のねらい:(P3~)

「大東亜戦争における諸作戦の失敗を、組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織にとっての教訓、反面教師として活用することが、本書の最も大きな狙いである。(中略)大東亜戦争の遺産を現代に生かすとは、次の戦争を準備することではない」(P3)

「大東亜戦争における日本軍の作戦失敗例からその組織的欠陥や特性を析出し、組織としての日本軍の失敗に込められたメッセージを現代的に解読することなのである」(P6)

本書のアプローチと構成:(P6~)

「日本軍の組織的特性やそれに起因する失敗の本質は、戦争指導全体の流れを追うことよりも、個々の重要な作戦の決定や遂行・実施の実態を分析することによってこそ、より明確かつ具体的な形でとらえることができるであろう、と考えた」(P6)

「組織論や意思決定論(政策決定論)の理論的アプローチを(個々の作戦に関するケース分析に)適用させることによって、失敗の本質を析出しようと試みた」(P7)

1章 失敗の事例研究

【補注:6つのケースについて詳細に分析されており、本書の大半を占めている。ここでは個々のケースの詳細に触れることはせず、それぞれの事件や作戦の概要を私なりに紹介するとともに、各ケースの冒頭に要約された失敗要因のみを引用紹介した】

ノモンハン事件-失敗の序曲(P14~)

ノモンハン事件とは、日本が設立に深く関与し実質的に支配した中国北部の満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐる争いであり、モンゴルを衛星国としていた当時のソ連との間で発生した日ソ国境紛争の一つである

失敗要因:

・「作戦目的があいまい」であったこと(P7、14)

・「中央と現地とのコミュニケーションが有効に機能しなかった」こと(P7、14)

・「情報に関しても、その受容や解釈に独善性が見られ」たこと(P7、14)

・「戦闘では過度に精神主義が誇張された」こと(P7、14)

ミッドウェー作戦-海戦のターニング・ポイント(P39~)

太平洋における米国の重要軍事基地であるミッドウェー島の攻略と米空母部隊撃滅を目的とした日本の作戦。米国側に事前に察知され、攻略前に米国軍の空襲により主力空母4隻を失った。日本軍としての最初の敗北であり、太平洋戦線のみならず大東亜戦争にとってのターニング・ポイントとなった

失敗要因:

・「作戦目的の二重性」があったこと(P8、39)

・「部隊編成の複雑性」があったこと(P8、39)

・「不測の事態に瞬時に有効かつ適切に反応でき」なかったこと(P8、39)

ガダルカナル作戦-陸戦のターニング・ポイント(P67~)

西太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島を巡って日本軍と連合軍が繰り広げた戦い。ミッドウェー海戦と共に大東亜戦争における攻守のターニング・ポイントとなった。米軍に奪われた飛行場の奪還を企図した陸海軍の共同作戦は機能せず、上陸した陸軍は無謀な突撃戦や激しい消耗戦により多数の犠牲者をだした。「海軍敗北の起点がミッドウェー海戦であったとすれば、陸軍が陸戦において初めて米国に負けたのがガダルカナルであった」(P67)

失敗要因:

・偵察や諜報を怠り「情報の貧困」に陥ったこと(P8、67)

・「戦力の逐次投入」を繰り返したこと(P8、67)

・「米軍の水陸両用作戦に有効に対処しえなかった」こと(P8、67)

・日本の陸軍と海軍が「バラバラの状態で戦った」こと(P8、67)

インパール作戦-賭の失敗(P92~)

「大東亜戦争遂行のための右翼【補注:日本から赤道方面を見た時の右側戦線】の拠点たるビルマ【補注:現ミャンマー】の防衛を主な目的とし」(P92)、イギリス領インド帝国北東部の都市であるインパール攻略を目指した作戦のことである。作戦に参加した日本兵約3万人が死亡した。当初から無謀な作戦と言われながらも強引に進められ、史上最悪の作戦とも言われている。「作戦の失敗と犠牲の大きさ、異常さを生み出した原因の大半は、つまるところ、作戦構想自体の杜撰さにあったといわれる」(P92)

失敗要因:

・戦略的合理性を欠いた「しなくてもよかった作戦」を実施したこと(P8、92)

・作戦計画の決定過程において、「人間関係を過度に重視する情緒主義や強烈な個人の突出を許容」したこと(P8、92)

レイテ海戦-自己認識の失敗(P120~)

敗戦濃厚となった日本軍が、フィリピン奪回を目指す米軍のレイテ島上陸を阻止するために行った起死回生の作戦。「『捷一号作戦』と呼ばれる陸海空にわたる統合的な作戦の前半部分にあたるものである」(P120)。6日間の海上戦役は四つの海戦で構成されており、その他に基地航空部隊による交戦も頻繁に行われ、神風特攻隊が初めて組織的に運用された。このレイテ沖海戦において日本海軍の艦隊戦力は事実上消滅した

失敗要因:

・「“日本的”精緻を凝らした独創的な作戦計画のもとに実施されたが」、作戦目的があいまいだったこと(P9、120)

・「精緻な統合作戦を実行するだけの能力も欠け」ていたこと(P9、120)

・参加部隊、特に艦隊が、「任務を十分把握しないまま作戦に突入」したこと(P9、120)

・「統一指揮不在のもとに」作戦が実行されたこと(P9、120)

・「レイテ海戦は、いわば自己認識の失敗であった」(P9、120)

沖縄戦-終局段階での失敗(P154~)

沖縄戦は大東亜戦争末期において「硫黄島とともにただ二つの国土戦となった」(P154)。死者数は日米双方の軍ならびに沖縄住民合わせて20万人を超えるともいわれている。ひめゆり学徒隊の悲劇は長く記憶に刻まれる

失敗要因:

・「相変わらず作戦目的はあいまい」であったこと(P9、154)

・「米軍の本土上陸を引き延ばすための戦略持久か航空決戦かの間を揺れ動いた」こと(P9、154)

・「大本営と沖縄の現地軍に見られた認識のズレや意志の不統一」(P9、154)

・「大本営と現地との対立と妥協による戦略策定の非合理性」(P9、154)

2章 失敗の本質-戦略・組織における日本軍の失敗の分析

【補注:上述の6つのケースから抽出された戦略上の失敗要因を5つに、組織上の失敗要因を4つに要約している】

戦略上の失敗要因分析:(P188-217)

「あいまいな戦略目的」(P188~)

「戦争終結の論理は、(中略)ある程度の人的、物的損害を与え南方資源地帯を確保して長期戦に持ち込めば、米国の戦意喪失、その結果としての講和がなされようという漠然たるものであり、きわめてあいまいな戦争終末観である」(P194)

「短期決戦の戦略志向」(P194~)

「日本軍の戦略志向が短期決戦だというのは、(中略)長期の見通しを欠いたなかで、日米開戦に踏み切ったというその近視眼的な考え方をさしているのである」(P196)

「短期決戦志向の戦略は、一面で攻撃重視、決戦重視の考え方と結びついているが、他方で防御、情報、諜報に対する関心の低さ、兵力補充、補給・兵站の軽視となって表れる」(P197)

「主観的で『帰納的』な戦略策定-空気の支配」(P199~)

「日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向がなきにしもあらずであった」(P199)

「日本軍は、初めにグランド・デザインや原理があったというよりは、現実から出発し状況ごとにときには場当たり的に対応」した(P200)

「日本軍の平均的スタッフは科学的方法とは無縁の、独特の主観的なインクリメンタリズム(積み上げ方式)に基づく戦略策定をやってきたといわざるを得ない」(P201)

「狭くて進化のない戦略オプション」(P203~)

「戦略オプションが狭いということは、一つの作戦計画の重要な前提が成り立たなかったり、変化した場合の対応計画(コンティンジェンシー・プラン)を軽視した点にも表れている。(中略)コンティンジェンシー・プランの欠如は、本来の計画そのものから堅実性と柔軟性を奪う結果になった」(P208)

「一連の綱領類が存在し、それが聖典化する過程で、視野の狭小化、想像力の貧困化、思考の硬直化という病理現象が進行し、ひいては戦略の進行を阻害し、戦略オプションの幅と深みを著しく制約することにつながった」(P209)

「アンバランスな戦略技術体系」(P209~)

「日本陸軍の兵器・戦闘技術の水準は、日露戦争や第一次大戦の段階に留まるものが相当程度あった」(P210-211)

「海軍の戦闘は組織の戦闘であると同時に、技術体系の戦闘である。戦艦、巡洋艦、駆逐艦、潜水艦などの艦艇に加えて、戦闘機、爆撃機、偵察機といった航空機が緊密な連携のもとに戦闘を展開しなければならない。そのためには、無線、電話、レーダー等の通信・捜索システムが有効・的確に作動する必要がある。こうした総合的技術体系という観点から見ると日本軍の技術体系は、全対としてバランスがよくとれているとはいいがたい。ある部分は突出してすぐれているが他の部分は絶望的に立ち遅れている」(P211)

組織上の失敗要因分析:(P217-238)

人的ネットワーク偏重の組織構造(P217~)

「日本軍が戦前において高度の官僚制を採用した最も合理的な組織であったはずであるにもかかわらず、その実体は、官僚制のなかに情緒性を混在させ、インフォーマルな人的ネットワークが強力に機能するという特異な組織で」あった(P219-220)

「軍事組織としてのきわめて明確な官僚制的組織階層が存在しながら、強い情緒的結合と個人の下克上的突出を許容するシステムを共存させたのが日本軍の組織構造上の特異性である」(P220)

「日本軍の組織構造上の特性は、『集団主義』と呼ぶことができるだろう。(中略)個人と組織とを二者択一のものとして選ぶ視点ではなく、組織とメンバーとの共生を志向するために、人間と人間の関係(対人関係)それ自体が最も価値あるものとされるという『日本的集団主義』に立脚していると考えられるのである。そこで重視されるのは、組織目標と目標達成手段の合理的、体系的な形成・選択よりも、組織メンバー間の『間柄』に対する配慮である」(P222)

属人的な組織の統合(P224~)

「大本営にあっては陸海軍部は各々独自の機構とスタッフを持ち、相互に完全に独立し、併存していた。大本営令では、両軍の策応共同を図るよう命じていたが、現実には多くの摩擦や対立が生じた」(P227)

「日本軍の作戦行動上の統合は、結局、一定の組織構造やシステムによって達成されるよりも、個人によって実現されることが多かった。日本軍の作戦目的があいまいであったり、戦略策定が帰納的なインクリメンタリズムに基づいていたことはすでに指摘したが、これらが現場での微調整を絶えず要求し、判断のあいまいさを克服する方法として個人による統合の必要性を生みだした」(P228)

学習を軽視した組織(P229~)

「およそ日本軍には、失敗の蓄積、伝搬を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである」(P229)

「日本軍のなかでは自由闊達な議論が許容されることがなかったため、情報が個人や少数の人的ネットワーク内部にとどまり、組織全体で知識や経験が伝達され、共有されることが少なかった」(P230)

「作戦を立てるエリート参謀は、現場から物理的にも、また心理的にも遠く離れており、現場の状況をよく知る者の意見が取り入れられなかった。したがって、教条的な戦術しかとりえなくなり、同一パターンの作戦を繰り返して敗北するというプロセスが多くの戦場で見られた。(中略)また、成功の蓄積も不徹底であった。先に述べたように、緒戦の勝利から勝因を抽出して、戦略・戦術の新しいコンセプトを展開し、理論化を図ることを行わなかった」(P230-231)

プロセスや動機を重視した評価(P235~)

「日本軍は結果よりもプロセスを評価した。個々の戦闘においても、戦闘の結果よりはリーダーの意図とか、やる気が評価された」(P236)

「日本軍の中でも海軍は管理公正な人事評価制度を持っていた。自己申告制度やトリプル・チェックといわれる直属上司、その上級者、海軍省人事局の三者による考課などは現在でも通用するシステムであった。しかし、作戦や統帥についてはその責任が問われることは」なく、失敗しても「かえって『仇討ち』の機会として、次の作戦にも責任者として参加を許されている」(P237)

「陸軍では参謀とその他のグループという二本立て人事が存在し、下克上的風土が強かったために、とかく声の大きな人々が評価されるという欠陥があった。とくに、業績評価があいまいであったために、信賞必罰における合理主義を貫徹することを困難にした。結果として、評価においても一種の情緒主義が色濃く反映され、信賞必罰のうちむしろ賞のみに汲々とし必罰を怠る傾向をもたらした」(P238)

要約:(P238~)

日本軍の戦略については、以下の主な点が挙げられる

・「作戦目的があいまいで多義性を持っていたこと」(P242)

・「戦略志向は短期決戦型で、戦略策定の方法論は科学的合理主義というよりも独特の主観的インクリメンタリズムであったこと」(P242)

・「戦略オプションは狭くかつ統合性に欠けていたこと」(P242)

・「資源としての技術体系は一点豪華主義で全体としてのバランスに欠けていたこと」(P242)

日本軍の組織については、以下の主な点が挙げられる

・「本来合理的であるはずの官僚組織のなかに人的ネットワークを基礎とする集団主義を混在させていたこと」(P242)

・「システムによる統合よりも属人的統合が支配的であったこと」(P242)

・「学習が既存の枠組のなかでの強化であり、かつ固定的であったこと」(P242)

・「業績評価は結果よりもプロセスや動機が重視されたこと」(P242)

「注目すべき点はこうした戦略と組織のさまざまな特性が個々に無関係に存在するのではなく、それぞれの特性の間に一定の相互関係が存在することである」(P239)

「これらの原因を統合していえることは、日本軍は、自らの戦略と組織をその環境にマッチさせることに失敗したということである」(P242)

3章 失敗の教訓-日本軍の失敗の本質と今日的課題

軍事組織の環境適応:(P242~)

一般的に、「組織の戦略とは、外部環境の生み出す機会や脅威に適合するように人的および物的資源を蓄積し展開することで」あり、「そのためには、戦略的使命を定義」しなければならない。(P243)

第一に、「彼(敵)と我(味方)の強みや弱みを相対的に分析し、いかなる方向と領域で我の資源を最も効果的に展開するかについての基本的なデザインを描かなければならない。第二には、組織は、そのようなデザインに基づいて必要な資源を蓄積し、それを運用するヒトを錬磨しなければならない。そして第三に、組織はそのようにして蓄積した資源を彼の弱みを突き我が優位に立てるような形で展開することが要請される」(P244)

「資源は人的資源と物的資源で構成される」が、「さらに技術と組織文化を加えておきたい」(P244)

「技術には、兵器体系というハードウェアのみならず、組織が蓄積した知識・技能などのソフトウェアの体系がある。(中略)軍事組織でいえば、組織が蓄積してきた戦闘に関するノウハウといってもよいだろう」(P244)

「組織の文化とは、組織の成員が共有する行動様式の体系のことである。(中略)組織の過去の環境適応行動の結果として組織成員に共有されるに至った、規範的な行動の仕方である」(P244)

「戦略の実行は、組織構造、管理システム、組織行動の相互作用を通じて遂行される。組織構造は、組織の分業や権限関係の安定的なパターンである。最も組織構造らしい組織構造は、官僚制組織である。組織構造には、公式な意思決定構造のほかにインフォーマルな意思決定の人的ネットワークも含めて考えてよいだろう。管理システムは、組織構造以外の組織のコントロール・システムであり、統合システム、業績評価システム、教育システムなど多様である。組織行動は、組織内成員間の相互作用のプロセスであって、意思決定、リーダーシップ、パワー、などの継続的でダイナミックな組織内過程である」(P244)

「これらの相互作用のなかから、なんらかの組織のパフォーマンス(成果)が生み出される。戦略・戦術が意図したものと、実際の結果との間にパフォーマンス・ギャップがなければ、その結果は既存の知識・技術や行動様式としての組織文化をますます強化していく。しかしながら、パフォーマンス・ギャップがある場合には、それは戦略とその実行が環境変化への対応を誤ったかあるいは遅れたかを意味するので、新しい知識や行動様式が探索され、既存の知識や行動様式の変更ないしは変革がもたらされる。(中略)このようなプロセスが組織学習であり、このようなサイクルを繰り返しながら、環境に適応していく」(P245)

「一つの組織が、環境に継続的に適応していくためには、組織は環境変化に合わせて自らの戦略や組織を主体的に変革することができなければならない」(P246)

日本軍の環境適応:(P246~)

「進化論では、(中略)恐竜がなぜ絶滅したのかの説明の一つに、恐竜は中生代のマツ、スギ、ソテツなどの裸子植物を食べるために機能的にも形態的にも徹底的に適応したが、適応しすぎて特殊化し、ちょっとした気候、水陸の分布、食物の変化に再適応できなかった、というのがある。つまり、『適応は適応能力を締め出す(adaptation precludes adaptability)』とするのである。日本軍にも同じようなことが起こったのではないか」(P246)

戦略・戦術

帝国陸軍には白兵戦思想、帝国海軍には艦隊決戦という戦略原型がパラダイムとして存在していたために、「それぞれの戦略の構成要素である、戦略的使命の定義、資源蓄積、資源展開のあり方を終始その根底から規定していった」(P249)

資源

帝国陸軍は白兵銃剣主義をもとに人的資源の量的な充実を図り、「近代的兵器・装備は、(中略)作戦環境に合わせて十分に整備されることはなかった」(P249)。

海軍は大艦巨砲主義による艦隊決戦の「パラダイムに合わない海上交通保護、防空および艦艇の防御、航空機の防御、潜水艦の使用などの、ハードウェアならびにソフトウェアの蓄積を怠った」(P251)

組織構造

「日本軍は、米軍のように、陸・海・空の機能を一元的に管理する最高軍事組織としての統合参謀本部を持たなかった。大本営といっても、陸・海の作戦を統合的に検討できるような仕組みにはなっておらず、それぞれの利益追求を行なう協議の場にすぎなかった」(P252)

「戦闘組織についても、帝国海軍は、機動部隊という航空優位の組織構造をつくり上げたけれども、戦艦優位の編成を最後まで崩すことができなかった」(P254)

「日本陸軍においても、歩兵、火砲、航空機の有機的統合が図られた組織になっていなかった。白兵戦を展開する歩兵が、中核として突出するような組織になっていたし、歩砲分離の状態で戦闘を行なうことが多かった」(P254-255)

管理システム

「人事昇進システムは、日本軍は基本的には年功序列が基本であった。(中略)日本軍には米軍のような能力主義による思い切った抜擢人事はなかった。将官の人事は、平時の進級順序を基準にして実施されていた」(P255)。

日本海海戦など過去の成功体験や武士道的な精神主義をもとにした綱領類を用いた暗記と記憶力を強調した教育システムは、「艦隊決戦主義や白兵銃剣主義の墨守」(P256)につながった

組織行動

「年功序列型の組織では、人的つながりができやすく、またリーダーの過去の成功体験が継続的に組織の上部構造に蓄積されていく」(P259)

艦隊決戦主義や白兵銃剣主義の墨守につながるような教育を受けたリーダーを媒介して、この戦略原型(パラダイム)のものの見方や行動の型は各組織において内面化された

組織学習

「帝国陸海軍は戦略、資源、組織特性、成果の一貫性を通じて、それぞれの戦略原型を強化したという点では、徹底した組織学習を行ったといえる」が、「組織の行為と成果との間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する」という「自己否定的学習」ができなかった。(P261)

「帝国陸海軍は既存の知識を強化しすぎて、学習棄却に失敗したといえるだろう。帝国陸軍は、ガダルカナル戦以降火力重視の必要性を認めながらも、最終的には銃剣突撃主義による白兵戦術から脱却できなかったし、帝国海軍もミッドウェー敗戦以降空母の増強を図ったが、大鑑巨砲主義を具現した『大和』、『武蔵』の46センチ砲の威力が必ず発揮されるときが来ると、最後まで信じていた」(P261)

組織文化

「組織の共有された行動様式の体系が組織文化であるとすれば、その最も根幹をなすのは、その組織の持っている価値である」(P262)。帝国陸海軍の突貫主義や大艦巨砲主義の価値観の源ともいうべき英雄が日露戦争の乃木希典や東郷平八郎であり、その成功体験が陸海軍において伝承され組織に浸透して組織文化になっていった

「価値、英雄、リーダーシップ、組織・管理システム、儀式、環境特性などの一貫した相互作用のなかから、『白兵銃剣主義』あるいは『艦隊決戦主義』などの言葉で表現される行動様式が帝国陸海軍に確立されていったのである」(P263)

「帝国陸海軍においては、戦略・戦術の原型が組織成員の共有された行動様式にまで徹底して高められていたのである。その点で、日本軍は適応しすぎて特殊化していた組織なのであった」(P264)

自己革新組織の原則と日本軍の失敗:(P264~)

「組織が継続的に環境に適応していくためには、組織は主体的にその戦略・組織の変化に適合するように変化させなければならない。このようなことができる、つまり主体的に進化する能力のある組織が自己革新組織(セルフ・オーガナイゼーション)である。(中略)組織は、セルフ・オーガナイジング行動を通じて日々進化を遂げていく」(P264-265)

自己革新能力のある組織は、以下の条件を満たさなければならない【補注:本書の核心部分でもあるので、できるだけ多くの本文をそのまま引用した】

不均衡の創造

「適応力のある組織は、環境を利用してたえず組織内に変異、緊張、危機感を発生させている。(中略)組織は進化するためには、それ自体をたえず不均衡状態にしておかなければならない」(P265)

「均衡状態からずれた組織では、組織の構成要素間の相互作用が活発になり、組織のなかに多様性が生み出される。組織のなかの構成要素間の相互作用が活発になり、多様性が創造されていけば、組織内に時間的・空間的に均衡状態に対するチェックや疑問や破壊が自然発生的に起こり、進化のダイナミックスが始まる」(P265)

「軍事組織は、平時から戦時への転換を瞬時にして行えるシステムを有していなければならない。(中略)大東亜戦争中の日本軍は平時の安定・均衡志向の組織のままで戦争に突入した」(P267-268)

自律性の確保

小さな環境の変化に敏感に適応するためには、「それぞれの組織単位が自律性を持つ」ことが必要である。「組織単位が自律的に環境に適応」すれば、「適応の仕方に異質性、独自性を確保でき、創造的な解を生み出す可能性を」生む。組織単位間の自由度が高く、予期しない環境変化により対応しやすくなる(P268)

「異質かつ多様な作戦を同時に展開するには組織の構成要素の主体的かつ自律的な適応を許すことが必須であるために、程度の差はあれ柔構造の原則をビルト・インしていなければならない。にもかかわらず、現場第一線における戦闘単位の自律性を制約し、参謀本部に極度の集権化を行ってきたのが日本軍の組織であった」(P269)

創造的破壊による突出

「進化は、創造的破壊を伴う『自己超越』現象でもある。つまり自己革新組織は、不断に現状の創造的破壊を行い、本質的にシステムをその物理的・精神的境界を越えたところに到達させる原理を内に含んでいるのである」(P270)。

第一次世界大戦を直接体験しなかった日本軍は、「戦車、航空機などの軍事組織の戦略や組織自体を根底から変革させる技術革新にも、実感をもって目を向けることはできなかった。外部環境から来る脅威をテコにして、過去の戦略、組織、行動様式を自己革新する機会を失った」(P270)

「創造的破壊は、ヒトと技術を通じて最も徹底的に実現される。ヒトと技術が重要であるのは、それらがいずれも戦略発想のカギになっているからである」(P271)

「米軍は重要な戦略的発想の革新を、ダイナミックな指揮官・参謀の人事によって実行した。また、戦闘機や長距離戦略爆撃機が、次々と連続的に開発された。これらの技術革新が米軍の大艦巨砲主義から航空主兵への転換を可能にする基礎になった。米軍のこうしたヒトと技術における『突出』は、それが単なる突出にとどまらず、戦略体系全体の革新を導き、それと整合的に接合されていた」(P271)

「これに対して日本軍は、ヒトを戦略発想の転換の軸として位置づけることを怠った。長老支配体制と若手将校による下克上が頻発するなかで、資源としてのヒトの戦略的活用はなされないままに終わった。(中略)日本軍の零戦は、それが傑作であることによって、かえって戦略的重要性を見る目をそいでしまった。日本軍は、突出した技術革新を戦略の発想と体系に結び付けるという明確な視点を欠いていたといえ」、「艦隊決戦という時代遅れになりつつあった戦略発想を覆す」ことができなかった。(P271-272)

「日本軍はまた、余裕のない組織であった。(中略)悲壮感が強く余裕や遊びの精神がなかった。これらの余裕のなさが重大な局面で、積極行動を妨げたのかもしれない。(中略)これぞと思う一点にすべてを集中せざるをえず、次が続かなかった。そのために、既存の路線の追求には能率的ではあっても、自己革新につながるような知識や頭脳や行動様式を求めることが困難だったのではないか」(P272-273)

異端・偶然との共存

「イノベーション(革新)は、異質なヒト、情報、偶然を取り込むところに始まる。官僚制とは、あらゆる異端・偶然の要素を徹底的に排除した組織構造である。(中略)日本軍の組織は、組織内の構成要素間の交流や異質な情報・知識の混入が少ない組織であった」(P273)

「日本軍の最大の特徴は『言葉を失ったことである』(山本七平)という指摘にもあるように、組織の末端の情報、問題定義、アイデアが中枢につながることを促進する『青年の議論』が許されなかった」(P274)

「軍事組織とはいえ、個々の戦闘から組織成員が偶然に発見した事実は数限りなくあったはずである。日本軍は、それらの偶然の発見を組織内に取り込むシステムや慣行を持っていたとはいえない。そもそも、戦闘におけるコンティンジェンシー・プラン自体を持たなかったことは、偶然に対処するという発想が希薄であったことを示しているのかもしれない」(P274)

知識の淘汰と蓄積

「組織は進化するためには、新しい情報を知識に組織化しなければならない。つまり、進化する組織は学習する組織でなければならないのである。組織は環境との相互作用を通じて、生存に必要な知識を選択淘汰し、それらを蓄積する」(P274)

「およそ日本軍には、失敗の蓄積・伝播を組織的に行うリーダーシップもシステムも欠如していたというべきである。(中略)日本軍は、個々の戦闘結果を客観的に評価し、それらを次の戦闘への知識として蓄積することが苦手であった」(P275)

「戦略・戦術マインドの日常化を通じて初めて戦略性が身につくのである。(米国)海兵隊は、水陸両用作戦のドクトリンを開発したときには、海兵隊学校の授業をストップし、教官と学生が一体となって自由討議のなかから積み上げていった。このような戦略・戦術マインドの日常化を通じて初めて戦略性が身につくのである」(P277)

「明治の軍人が戦略性を発揮しえたのは、武士としての武道とならんで兵法が作法として日常しつけられていたからであった。その後の日本軍では、日露戦争の幸運なる勝利についての真の情報が開示されず、その表面的な勝利が統帥綱領に集約され、戦略・戦術は『暗記』の世界となっていった。戦略がなければ、情報軽視は必然の推移である」(P277)

統合的価値の共有

「自己革新組織は、その構成要素に方向性を与え、その協働を確保するために統合的な価値あるいはビジョンを持たなければならない。自己革新組織は、組織内の構成要素の自律性を高めるとともに、それらの構成単位がバラバラになることなく総合力を発揮するために、全体組織がいかなる方向に進むべきかを全員に理解させなければならない。組織成員の間で基本的な価値が共有され信頼関係が確立されている場合には、見解の差異やコンフリクトがあってもそれらを肯定的に受容し、学習や自己否定を通してより高いレベルでの統合が可能になる。ところが、日本軍は、陸・海軍の対立に典型的に見られたように、統合的価値の共有に失敗した」(P277)

「日本軍は、アジアの開放を唱えた『大東亜共栄圏』などの理念を有していたが、それを個々の戦闘における具体的な行動規範にまで論理的に詰めて組織全員に共有させることはできなかった。このような価値は、言行一致を通じて初めて組織内に浸透するものであるが、日本軍の指導層のなかでは、理想派よりは、目前の短期的国益を追求する現実派が主導権を握っていた。『大東亜共同宣言』の一項に、『大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢した大東亜の文化を昂揚す』とあるが、第一線兵士は現地における現実のなかで、どれほどこの理念を信じて戦うことができたのであろうか」(P277-278)

日本軍の失敗の本質とその連続性:(P278~)

【補注:本書の結論ともいえる章なので、長くなるが、あえてできるだけ多くの本文をそのまま引用した】

「自己革新組織とは、環境に対して自らの目標と構造を主体的に変えることのできる組織であった。米軍は、目標と構造の主体的変革を、主としてエリートの自律性と柔軟性を確保するための機動的な指揮官の選別と、科学的合理主義に基づく組織的な学習を通じてダイナミックに行った」(P278)

「日本軍には、米軍に見られるような、静態的官僚制にダイナミズムをもたらすための、①エリートの柔軟な思考を確保できる人事教育システム、②すぐれた者が思い切ったことのできる分権的システム、③強力な統合システム、が欠けていた。そして日本軍は、過去の戦略原型には見事に適応したが、環境が構造的に変化したときに、自らの戦略と組織を主体的に変革するための自己否定的学習ができなかった」(P278)

「欠陥の本質は、日本軍の組織原理にある。陸軍は、ヨーロッパから官僚制という高度に合理的・階層的組織を借用したが、それは官僚制組織が本来持っているメリットを十分に機能させる形で導入されていなかった」(P279)

日本軍の官僚制組織は、「官僚制と集団主義が奇妙に入り混じった組織であった。階層がありながら、ほどよい情緒的人的結合(集団主義)と個人の下克上的突出を許容するシステムを共存させていた。それが機能しえたのは、①現場第一線の自由裁量と微調整が機能する、②すぐれた統合者を得て有効な属人的統合がなされる、③自動的コンセンサスが得られる状況にある(勝ち戦、白星、成長期)、などの条件が満たされた場合だけであった」(P279)

「日本軍は、近代的官僚制組織と集団主義を混合させることによって、高度に不確実な環境下で機能するようなダイナミズムをも有する本来の官僚制組織とは異質の、日本的ハイブリッド組織を作り上げたのかもしれない。しかも日本軍エリートは、このような日本的官僚制組織の有する現場の自由裁量と微調整主義を許容する長所を、逆に階層構造を利用して圧殺してしまったのである。(中略)日本軍の最大の失敗の本質は、特定の戦略原型に徹底的に適応しすぎて学習棄却ができず自己革新能力を失ってしまった、ということであった」(P279)

「戦後、日本軍の組織的特性は、まったく消滅してしまったのであろうか。(中略)われわれは、現段階では、日本軍の特性は、連続的に今日の組織に生きている面と非連続的に革新している面との両面があると考えている」(P279)

「日本の政治組織についていえば、日本軍の戦略性の欠如はそのまま継承されているようである。しかしながら、日本政府の無原則性は、逆説的ではあるが、少なくともこれまでは国際社会において臨機応変な対応を可能にしてきた。原則に固執しなかったことが、環境変化の激しい国際環境下では、逆にフレキシブルな微調整的適応を意図せざる結果としてもたらしてきたのである。しかし、経済大国に成長してきた今日、日本がこれまでのような無原則性でこれからの国際環境を乗り切れる保証はなく、近年とみに国家としての戦略性を持つことが要請されるようになってきていると思われる」(P278-280)

「さらに行政官庁についていえば、タテ割りの独立した省庁が割拠し日本軍同様統合機能を欠いている」(P280)

「日本軍の持っていた組織的特質を、ある程度まで創造的破壊の形で継承したのは、恐らく企業組織であろう。戦後の日本の企業組織にとって、最大の革新は財閥解体とそれに伴う一部トップ・マネジメントの追放であった。これまでの伝統的な経営層が一層も二層もいなくなり、思い切った若手抜擢が行われたのである。その結果、官僚制の破壊と組織内民主化が著しく進展し、日本軍の最もすぐれていた下士官や兵のバイタリティがわき上がるような組織が誕生したのである。(中略)しかし同時に、これらの人々の多くは長年にわたる統制経済と軍隊における体験しか持たなかったため、新しい自由競争下の企業経営の経験に乏しかった。また、復員者を含めた多数の従業員をいかに統率するかという課題に直面していた。そのため彼らの軍隊における経験が活用されることになった。率先垂範の精神や一致団結の行動規範は、日本軍の持っていたいい意味での特質であったといえる。意識すると否とにかかわらず、日本軍の戦略発想と組織的特質の相当部分は戦後の企業経営に引き継がれているのである」(P280-281)

加護野忠男ほかの『日米企業の経営比較』(P281~)

戦略について

「日本企業の戦略は、論理的・演繹的な米国企業の戦略策定に対して、帰納的戦略策定を得意とするオペレーション志向である。その長所は、継続的な変化への適応力をもつことである。変化に対して、帰納的かつインクリメンタルに適応する戦略は、環境変化が突発的な大変動ではなく継続的に発生している状況では強みを発揮する。戦後の日本は、欧米をモデルとしながら、経済成長を実現してきたが、この過程では量的な拡大と対応して、多様な変化が混合しながら継続的に発生していた。このような変化がもたらす機会や脅威に対応するためには、適応のタイミングを失わないように、変化に対して微調整的な対応を行わなければならない。以上のような強みは、大きなブレイク・スルーを生み出すことよりも、一つのアイデアの洗練に適している。製品ライフサイクルの成長後期以後で日本企業が強みを発揮するのは、このためである。家電製品、自動車、半導体などの分野における日本企業の強さはこれに由来する」(P281-282)

組織について

「日本企業の組織は、米国企業のような公式化された階層を構築して規則や計画を通じて組織的統合と環境対応を行うよりは、価値・情報の共有をもとに集団内の成員や集団間の頻繁な相互作用を通じて組織的統合と環境対応を行うグループ・ダイナミックスを生かした組織である。その長所は以下のようなものである。

① 下位の組織単位の自律的な環境適応が可能になる。

② 定型化されないあいまいな情報をうまく伝達・処理できる。

③ 集団あるいは組織の価値観によって、人々を内発的に動機づけ大きな心理的エネルギーを引き出すことができる。

しかしながら以上の長所も、戦略については、①明確な戦略概念に乏しい、②急激な構造的変化への適応が難しい、③大きなブレイク・スルーを生みだすことがむずかしい、組織については、①集団間の統合の負荷が大きい、②意思決定に長い時間を要する、③集団志向による異端の排除が起こる、などの欠点を有している。そして、高度情報化や業種破壊、さらに、先進地域を含めた海外での生産・販売拠点の本格的展開など、われわれの得意とする体験的学習だけからでは予測のつかない環境の構造的変化が起こりつつある今日、これまでの成長期にうまく適応してきた戦略と組織の変革が求められているのである。とくに、異質性や異端の排除と結びついた発想や行動の均質性という日本企業の持つ特質が、逆機能化する可能性すらある。

さらにいえば、戦後の企業経営で革新的であった人々も、ほぼ40年を経た今日、年老いたのである。戦前の日本軍同様、長老体制が定着しつつあるのではないだろうか。米国のトップ・マネジメントに比較すれば、日本のトップ・マネジメントの年齢は異常に高い。日本軍同様、過去の成功体験が上部構造に固定化し、学習棄却ができにくい組織になりつつあるのではないだろうか。

日本的企業も、新たな環境変化に対応するために、自己革新能力を創造できるかどうかが問われているのである。」(P282-283)

あとがき

本書の趣旨を担保しながらできるだけ簡潔に紹介しようとしたが、大変なボリュームになってしまった。特に本書のエッセンスが要約された最後の結論部分は削りようがなく、ダイアモンド社から訴えられそうなくらいに本文をそっくりそのまま引用することになった。お許しいただきたい。非常に示唆に富む本なので、ぜひとも手に取って読んでいただきたい

余談になるが、著者の一人で本研究の牽引役を務めた野中郁次郎先生は、世界的にも著名な経営学者でありご存じの方も多いだろう。野中先生は、私が長く務めた会社の社外取締役にも就任されていたし、経営幹部の社内研修の講師を何度もされていたので、先生の知識創造理論については、幾度となく生で拝聴する機会に浴した

暗黙知やSECIモデルやフロネシスなど難解な話ながらも、小柄な体からは想像もできないほどのパワフルで情熱的な語り口で、本田宗一郎などの多くの実例を交えた話は大変興味深かった。おそらく10回以上は拝聴したと思うが、「失敗の本質」について直接触れられることは少なかったと記憶する

今回、30数年ぶりにあらためて読み直し、少しも色褪せていないどころか、日本の政治や企業などにおいて、今も同じような失敗要因を抱え続けていることを嘆かずにはいられない。あえて対比や指摘はしないが、この拙い要約を読まれた方は同じような思いではないかと思う。ひょっとすると、これは日本の風土と相俟って沁みついた日本人や日本社会の性ともいうべきものなのではないかと感じられてしまう

悲観していても仕方ない。COVID-19などの感染症、度重なる台風による水害や噴火や大地震、不穏な世界情勢など、適時適切に対処して乗り越えなくてはならない難題は多い。このような有事がなくとも、日本の国際競争力は相当に落ちてきているし、ITなどを活用した新しいビジネスモデルの開発も他の先進国や新興国に遅れを取り、ダイバーシティやSDGsのような指標における国際比較においても、下位に留まったままだ

過去をゆっくり振り返っている間もないほどに苦難が次々にやってくるが、ここはしっかりと一度立ち止まり、組織や仕組みや制度などを見つめ直し、変革すべきは大胆かつ速やかに実行することが肝要だ。COVID-19という大きな外部環境の変化にさらされている今は、本書の示す通り必要な変革を実行できるかが今後の日本にとって重要になる。政治や経済などの戦後体制の変革については、産学官やマスコミなどにおける活発な議論と実行を期待してやまない

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