応仁の乱に学ぶ徳川の凄さ

レビュー

学術的な書としては異例の発行部数(35万部)となっている「応仁の乱」(呉座勇一著、中公新書)を読んだ。戦国時代の到来を招いたとも言われる大乱である。時代は15世紀終わり、1492年にコロンブスが新大陸を発見した20年ほど前の我が国の話だ。

応仁の乱という名前は聞き覚えがあっても、詳細はおろか教科書に書いてあった概要さえ思い出せない。というわけで手にしてみたが、最初のうちは登場人物が多くて、なかなか頭に入らず読み進まない。そのうちに大きな流れが把握できてきて、三分の一くらい読んだあたりから一気に読めた。

歴史の解説をする気は毛頭ないが、足利の室町幕府で管領という要職を担う大大名の一つ、畠山一族の跡目相続に端を発する世の乱れである。一族の内紛が、地縁・血縁などにより他の武家や公家を巻き込み、さらには将軍家や他の大名の跡目争いまで絡んだ戦乱となる。そこに混乱に乗じた地方の有力一族の勢力拡大や荘園などの既得権益を回復しようとする寺社の思惑も混ざり、乱世は10年以上に及んだ。

東軍と西軍に分かれて戦うのだが、御所と将軍を味方につけた東軍に対抗するため、西軍は将軍足利義政と相続で揉めていた足利義視を将軍に担ぎ上げ、さらには奈良の山奥に隠棲していた南朝の末裔を引っ張り出して新帝にし、新たな体制を構築しようとする。

読み進むうちに、吉川英治の「私本太平記」で読んだ南北朝時代の混乱を思い起こした。太平記に興味を持ったのは、NHKの大河ドラマがきっかけだったが、ドラマも吉川英治の描くストーリーも歴史の教科書では到底味わえないような面白さに溢れていた。応仁の乱から遡ること約150年、こちらはまさに天皇家が割れ、貴族、武家などことごとく身内が分裂して骨肉の争いを広げた乱世である。

応仁の乱も、ことの発端の畠山家のみならず、管領職を担う他の大大名である細川家、斯波家も身内が割れ、さらには将軍家の足利家までもが二手に分かれて争うという有様であった。身内の争いは、武力による優位性あるいは跡目約束による手打ち、本人の死去などにより終焉していくのだが、地方の有力一族など思惑の異なるステークホルダーズも多く、争乱はだらだらと続いていく。

これらの有力一族とは守護大名や守護代などであり、本来は公家や寺社が保有する各地の荘園の管理を任された武家に加え、自ら開墾により勢力をつけてきた地場の豪族たちである。後に戦国武将として歴史舞台に登場する上杉、武田、毛利、伊達、織田、長曾我部など多くの大名は、これらの守護大名やその家臣である守護代であった。

さて、前置きはこれくらいにして本題に戻る。足利幕府(室町幕府)の後に戦乱の世を経て次に幕府を開くのは徳川である。幕府を開くにあたり、家康あるいはそのブレーンたちは、足利幕府の失敗を相当学んだと思われる。応仁の乱の発端は有力大大名の畠山家の相続争いであり、争乱に関与した大名も同じようなお家騒動が起きていた。徳川幕府は、世継ぎは嫡男とすることを制度化し、大名家におけるお家騒動を未然に防止する仕組みを作った。

次に、これは意見が分かれるところかもしれないが、有力大名(特に外様大名)や公家、皇族と次々に縁組したことである。応仁の乱では、畠山家をはじめとする各大名家の争いに血縁を理由として少なからぬ大名が関わることになったが、徳川は政略的に縁組を進めることで、徳川に対し弓矢を引けないようにしたと考えられる。ある大名が反旗を翻しても、縁組を結んだ有力大名たちが徳川に味方せざるを得ない状況にしていったのではないか。

また、足利時代の守護大名は、本来は在京を義務付けられていたが、管轄する荘園のマネジメントに精を出して蓄財すべく地方に帰って留まるものが多かった。近隣の新興勢力が荘園を奪おうとするなどの不安材料があったのも一因である。このため、守護大名が地方に留まり、力をつけて戦国大名へと変わっていき、後に戦国大名同士が領地争いを繰り広げる。徳川幕府においては、三代家光の治世に参勤交代を制度化し、1年おきに江戸詰めと地元を繰り返させ、うまくバランスをとるとともに、参勤交代の出費で地方の大名の蓄財をうまく制御した。

さらに、京ではなく江戸に幕府を開き、皇族や公家から距離を置くことで、京でのいざこざによる「延焼」や「類焼」を防いだことも歴史から学んだ予防策ではなかったかと思う。もちろん、豊臣恩顧の大名が多くいる関西から距離を置いたということもあろうが・・。

以上、私見の塊のような考察だが、いつの間にか近畿の大大名に成り下がった足利幕府と、本当の意味で長期に全国的に機能した徳川幕府との違いを思わざるを得ない。「応仁の乱」を読んで、過去に学び同じ轍を踏まないようしっかりと仕組みを作るということが、いかに大切かということを考えさせられた。ハーバードビジネススクールがケーススタディに重きを置いて議論するスタイルをとるのも頷ける。

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