塩野七海の「ギリシャ人の物語」(新潮社)を読んだ。といっても、全3巻の第1巻と第2巻である。全巻出揃ってからにしようかと思ったのだが、この方は年1巻の執筆ペースなので、第3巻は半年くらい先にならないと出てこない。というわけで、読み始めてしまった。
読み始めると、塩野ワールドというか独特の世界にすぐに引きずり込まれる。ローマ人の物語(全15巻、ただし文庫本で読んだので全45冊)、ローマ亡き後の地中海世界(全2巻)、十字軍物語(全3巻)と読み継いできたが、いつもながら綿密な調査をもとに、その国や周辺諸国の時代背景やうねりのようなもの、登場人物の生い立ちや人間性などが描かれ、歴史の教科書では到底味わえない面白さに溢れている。
財政破たんに陥っている昨今のギリシャはさておき、スパルタやアテネに代表されるいくつもの都市国家が存在した紀元前600年から紀元前400年くらいのギリシャが舞台である。当初からスパルタと並んで2大都市国家と言われながらも、海運国のコリント、最強の陸の戦士国家スパルタに比較して、軍事面も商業面も突出していたわけではないアテネであったが、奴隷制を禁止したソロンに始まり、クレイステネスなどの為政者により、いち早く民主制を確立していく。
スパルタ教育という言葉が象徴する戦士育成プログラムにより、スパルタ市民の全男性に課せられた過酷なまでの日常的なトレーニング。日本の江戸時代でいう士農工商でいえば、士のみが市民の権利を持つ一方で、重装歩兵としての兵役義務を負う。農工商の従事者は市民権が与えられず、その代わり日常的な兵役は免除される(ただし、有事には軽装歩兵として従軍はさせられる)。世襲制の二つの王家から二人の王を選出し、エファロスと呼ばれる5人の監督官が王の暴走による独裁を監視する仕組みを持つ。一国平和主義を国是とし、専守防衛を基本として、スパルタは自国中心の国体を強化させていく。
一方のアテネは、超富裕層による第1階級から農民の第4階級まで階級制度があるものの、誰もが市民としての権利を与えられ、応分の義務も負う。市民により毎年選挙が行われ、10の地区からストラテゴス(執政官のようなもの)が一人ずつ選出され政治を行う。有事になれば、10人のストラテゴスの中から選出された数名が軍を率いて戦いに出る。富裕層である第1・第2階級が重装歩兵になり、第3・第4階級は軽装歩兵として従軍する。テミストクレスの先見性により陸の重装歩兵よりもガレー船の建造による海軍の創設、強化に乗り出し、食の輸入や商業の発展のために周辺国家との関係構築に乗り出す。ソクラテスやプラトンなどの哲学者やフィディアス、ミロンなどの彫刻家、アイスキュロス、エウリピデス、アリストファーネスなどの悲劇・喜劇作家が活躍したのもこの時代である。また、荘厳なパルテノン神殿もこの時期に建立された。
この2大都市国家において、王政をとり一握りの特権階級のみが市民権を持つ武闘国家として進むスパルタにとって、農民や手工業者にも市民権を与え商業国家として勢力を拡大するアテネは、スパルタの国体やシステムを揺るがしかねない目障りな存在となっていく。アテネが突出した海軍力を持つに至り、2国間の緊張は高まる。そのとき起きたのがペルシャによる西への進出である。
エーゲ海を挟んで現在の中東一帯の国家はペルシャに従属し、陸と海から西を目指してくるペルシャ進軍はギリシャにとって一大危機であり、スパルタとアテネは手を組み、圧倒的な軍事力を誇るペルシャに立ち向かう。マラトンの戦い(アテネ)、サラミスの海戦(アテネ)、プラタイアの戦い(スパルタ)などを戦い抜き、陸海両面でペルシャに対し、奇跡的な大勝利を収める。以降、ペルシャは西への進出を停止し、エーゲ海周辺国家はアテネの同盟国家(デロス同盟)になる。一方のスパルタはペロポネソス半島の都市国家を集め、ペロポネソス同盟を形成する。
危機が去ると、スパルタとアテネには再び争いが起こり始める。直接的ないざこざよりも、同盟国がらみのもめごとから双方の盟主が出ざるを得ず、衝突するケースが多い。圧倒的な脅威の前では一致団結できても、脅威がなくなれば近隣国同士の争いが再燃する。また圧倒的な海軍力でペルシャの危機や海賊を追い払ったアテネは、エーゲ海周辺の同盟国に戦争への従軍を求めたり、軍事費用を負担させたりする。従軍頻度や費用負担の要求が増大すると、不満を抱く同盟国が現れ、同盟離脱などの不協和音がでてくる。相手方陣営にとっては付け入る隙が生まれることになる。
やがてスパルタも海軍の重要性に気づき、船団を持ち始める。アテネの絶対的優位であった海軍力の優位性が薄れ、海軍同士の衝突も始まる。アテネ市民はペルシャ戦での圧倒的な成功体験から自国の海軍に過剰な期待を寄せて海軍の増強を支持し、財政的負担にも耐える。アテネが無謀に海外進出したイタリアのシラクサでは、スパルタが海軍を援軍としてシラクサに送り、派遣したアテネ海軍が壊滅状態になるような、これまでに経験したことのない負け方をする。
それでもその後のスパルタ海軍との衝突は、依然アテネの勝利で終わるのだが、鮮やかな勝ち方でないとアテネ市民からケチがつき始める。デマゴーグと呼ばれる扇動者が現れ、何だかんだと揚げ足取りをする。これに市民が乗せられ、優秀な指揮官を次々と更迭したり、有能とは言えない指揮官を送り出すなど、衆愚政治と呼ばれる民主制の悪いスパイラルに陥っていく。やがて、実戦で力をつけてきたスパルタに海戦で負け、陸においても圧倒的な強さを誇るスパルタに完膚なきまでに叩きのめされてしまう。
この結果、同じギリシャ人同士ながら、スパルタによって男はみな殺され、女子供は奴隷に売られ、アテネの町は破壊されて、民主制国家アテネは消滅する。アテネやエーゲ海の島々が築き、後のヘレニズム文化につながる文化などとはほとんど無縁で、軍事の強化に専念した武骨なスパルタが国家として生き残ることになる。
さて、長々と歴史を書き連ねてしまったが、個人的にはアテネの滅亡に心が痛む。現代の民主制と比較しても、市民が主権を持つという意味においては理想的な国体を構築し、建築、文学、哲学など様々な文化に燦然と輝く功績を残したアテネには生き残ってほしかった。滅亡の詳細なプロセスについては、ぜひ「ギリシャ人の物語」を手に取っていただければと思う。
このアテネの歴史に改めて接し、最近の国際情勢にも通ずるものがあるように思う。陸と海のような違いはないが、米ソの突出した総合軍事力をもとに第2次大戦以降続いた西と東の同盟体制。ソビエトが崩壊し冷戦は終わったかにみえ、東側諸国の多くが呪縛から解き放たれ、自由主義陣営の優位が見えてきたかに思えた。
しかしながら中国という新たな勢力が台頭し、軍事力でも経済力でも一大パワーになりつつある。ソビエトの崩壊後、ロシアは国体を維持し、経済力や軍事力においても復活しつつある。さらに、北朝鮮のような新たな脅威も生まれつつある。一方、西側の盟主たる米国においては、アテネがデマゴーグに扇動され、リーダーを失ったことや資質を疑われるリーダーに国政を取らせたことなど、衰退過程のアテネの状況に似ていないといえるだろうか。
盟主としての矜持は消えてしまったかのように、自国優先が目立ち始め、同盟国に軍事的な費用の負担増も求め、移民の流入制限も強化されつつある。経済や安全保障の観点から、保護主義的な政策には一定の理解はするとしても、自由の象徴である米国が、その国の生い立ちも良さも脇に追いやって進んでいるように思えてならない。
一方で軍事力や経済力を増大させる国が増え、核の脅威は残念ながら拡散しつつある。国家が力をつけることほど国民を勇気づけるものはない。しかし、それが軍事力となると話は違う。また、厳しい情報統制により、自政府を批判するデマゴーグを押さえつける国も少なくない。デマゴーグの抑止ならよいのだが、健全で自由な意見を不当に押さえつけたり、政府自らが情報操作してデマゴーグ化するのは何とも危うい状況だ。
国民は自由に情報にアクセスし、状況を正しく理解し、見識をもって将来につながる判断を下さなくてはならない。このような仕組みの担保なくして民主制は成り立たない。国民全員が選挙権を持つ国ならば、国民一人ひとりが内外の情勢に目を向け、デマゴーグに乗せられることなく、子孫のためにそして地球のために禍根を残さない判断を下していかなければならない。
翻って、日本の民主制は盤石だろうか。戦後に構築され、これまで続いてきた仕組みで今後も対応できるのだろうか。何を変え、何を変えてはいけないのか、しっかりとした議論がされているだろうか。マスコミはそのような議論の一助となるべく正しく機能しているだろうか。政策の立案において与党内の議論は尽くされているのだろうか。野党は多面的にチェック機構として機能しているだろうか。
古代アテネの繁栄と滅亡を見るにつけ、民主制の良さを機能させ続けることがいかに大切かを思い知らされる。日本も世界も怪しい方向に進んでいるように思えてならない。還暦ジジイの取り越し苦労であればよいと願っている。
さて、来年早々の発刊が期待される第3巻、若きアレキサンダー大王の東征をどう蘇らせるのか今から楽しみだ。
<後記(2021年8月)>
本ブログは4年前の夏に発信したのだが、その後、興味深い閲覧履歴を示している。毎年、定期的に同じ時期に閲覧数が上がるのだ
推測の域を出ないが、どこかの大学の授業かゼミのレポートなどで、古代ギリシャの民主制に関する宿題が出ているのではないかと思われる。今どきの面倒くさがり屋な学生さんが、ネットで検索して閲覧しているのではないかと推察すると、定期的な同じ時期の閲覧数の上昇に合点する
元々、塩野七海の『ギリシャ人の物語』を読んで、思うところをブログにしたもので、とてもレポートに引用できるクオリティで民主制を論じたものではない。これまで手を抜いて私のブログを参考にした学生さんは散々な評価だっただろう。コピペした人は単位を落としたのではないかと心配する
そんなわけで学生さんが悲劇を繰り返さないよう、民主制、民主主義を正しく学ぶために適切な書とし以下の本を紹介したい
『民主主義とは何か』 宇野重規 著、講談社現代新書
普段「民主主義」という言葉を実に便利かつ広義に何気なく使っているが、タイトルのごとく「民主主義とは何か」と問われると答えに窮してしまう。西側諸国を括って「民主主義陣営」などと標榜するが、民主主義国家にも様々なレベルがあり、世の中には民主主義と呼ぶにはちょっと怪しい国もある
本書は、古代ギリシャにおける民主主義の誕生から、近代ヨーロッパ、アメリカへの継承、自由主義と民主主義の違い、日本の民主主義、今後の民主主義の課題など、非常に分かりやすくまとめられている。300頁にも満たない文庫で、平易に書かれた文章なので、気合を入れなくても興味深く読み通せる
全体を通して「参加と責任のシステム」を基軸として民主主義を解説しており、私なりに大雑把に要約すると、個人のレベルでは一人ひとりがすべてのことに主体的に当事者意識をもって議論に参加し、投票などの行動をとること、「自らが可能な範囲で公共の任務に携わり、責任を分かち持つこと」、代議制政治においては、為政のプロセスや結果をウォッチングし、為政者の説明責任を追及すること、ということだろうか
ネタバレ的な野暮な解説はしないので、ぜひ面倒くさがらずに手に取って読んでいただければと思う