実家暮らしが増えた

日常の出来事

90歳になる母親が腰椎の圧迫骨折で入院した(2回目の圧迫骨折)。入院した当初は全くと言っていいほどベッドの上ですら動くことができず、いよいよ老々介護に突入かと半ば腹をくくった。

約2カ月が経過し、思いのほか順調に回復が進んでベッドの上に腰かけて過ごす時間が長くなり、歩行器や杖がなくてもそろりそろりと歩けるようになった。骨折の場合、病院には短期しか滞在できず、自宅で時間をかけて直していくのが一般的なようだが、ひとり暮らしの高齢者ということで、最長60日の入院が認められ本当に助かった。

何より入院させてもらって良かったのは、午前と午後に30分ほどリハビリをしてもらえたことで、リハビリ施設で理学療法士の指導を受けられたことが奇跡的な回復につながったと思う。

尾張の実家での早朝ウォーキング。昇り始めた太陽の光に飛行機雲が染まる

母親は15年ほど前に今回の場所の一つ下の腰椎を圧迫骨折したことがある。当時は母親も比較的若かったので退院後に自宅復帰したのだが、さすがに今回は危なっかしいので施設に入ってもらうことにして準備を進めた。

介護老人保健施設(老健)、シルバーホーム、ショートステイなど種類がいくつかあるのだが、老健やショートステイの施設に空きがなく、よく理解しないまま空きのあった介護付きシルバーホームに入ってもらうことにした。

日本モンキーパークの前までやってきた。丘の上に立つのは冒頭の写真の「若い太陽の塔」。顔を見て55年前の大阪万博のシンボル「太陽の塔」のパクリじゃないかと思う方もいるかもしれない。実はこちらの塔も同じ岡本太郎の作品だ。詳しい経緯については、https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/211541/『犬山市日本モンキーパークに岡本太郎・若い太陽の塔がある理由とは?』をご一読ください

先日退院し介護付きシルバーホームに移ったのだが、在宅への復帰を目標に心身の機能回復、活動の向上を図る老健の施設と異なり、シルバーホームはお年寄りの終の棲家というような趣の施設で、雰囲気がちょっとイメージと異なった。

よく違いを理解しないままシルバーホームに決めたし、空きの状況で選択肢がなかったのだから仕方ない。母親には慣れてもらうしかない。

折り返し点の継鹿尾山(つがおさん)山頂(273m)の展望台までやってきた。木曽川の蛇行が良く見える。写真中央の左側には「若い太陽の塔」が小さく見えている(木曽川のすぐ手前の丘の中腹)。木曽川の右側は美濃の国で各務原市から岐阜市にかけての街並み、左側が尾張の国で犬山市から一宮市方面の街並み。写真右奥の三角の山が伊吹山、写真左奥の山並みは養老山脈や鈴鹿山脈

介護保険制度との絡みなど現時点でも違いを明確に理解できていない。年寄りの生活を支える制度として、7段階の区分がある。軽い方から要支援1~2があり、その上に要介護1~5までの区分がある。

身体機能の状態や認知度の程度などできめ細かく分かれており、市などの自治体の職員が聞き取り調査にやってきて、その結果をコンピューターに入力すると点数化される。医師などの判断も交えて最終的に区分が決定されるようだ。

継鹿尾山ふもとの寂光院から犬山成田山まで戻ってきた。以前は私の立ち位置のすぐ後ろにある明王門の階段と写真の階段を合わせて365段を上がって本堂でお参りし、本堂の背後から継鹿尾山へ往復していた。現在は暴走族が成田山の駐車場に集まってうるさいので、夕方6時から朝の6時まで入れないようになってしまい、この階段の上りをトレーニングに使えなくなってしまった

区分によって受けられるサービスや費用負担が異なるので、聞き取り調査の時にあえて呆けたふりなどをする方もいるようだが(笑)、普段接している看護師やリハビリ療法士、さらには担当医などにも確認が行われるので、そう簡単には認定結果を意図的に操作できるものではない。

要支援や要介護に関しては、以下のURLのサイトなどに詳細に解説されているので、いざという時のためにご参考まで。
【目安がわかる】要介護度とは?8段階の状態像と受けられる介護サービス

階段右下の手水舎にはアジサイの花が浮かべてあった。ほんの短かい期間だったけど涼しげで心が癒された

母親としては以前のように自宅に戻って生活したいとの希望があるので、2-3ヵ月のシルバーホーム滞在で自活できるレベルまで回復することを願うばかりだ。自宅に復帰する際には、しばらく同居して様子を見るつもり。

この数カ月は引っ越しと母親の入院が重なり、慌ただしい日々だった。そろそろ山にも出かけたいのだがどうなることやら・・・

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