新田次郎の山岳小説

レビュー

「山岳小説」というと、初登頂に挑戦する登山物語のように思われる方も少なくないだろう。ちなみにAIに「山岳小説とは?」と質問すると、以下のような回答が返ってくる(ChatGPTの場合)

山岳小説とは、山を主な舞台とし、登山や自然との関わりを通して、人間の生き方や心理を描く文学作品のことです。

山岳小説には、次のような特徴があります。
登山そのものが物語の中心
登頂への挑戦、遭難、救助、未踏峰への挑戦などが描かれます。

山岳自然の描写
四季の移ろい、天候の急変、高山植物、岩壁や雪渓など、山の厳しさと美しさが細やかに表現されます。

人間ドラマ
極限状態での友情、葛藤、恐怖、勇気、生と死といったテーマが深く掘り下げられます。

登山経験に基づくリアリティ
著者自身が登山家であったり、豊富な取材をもとに書かれたりした作品が多いのも特徴です。

(中 略)

日本では特に昭和期に人気を博し、新田次郎、井上靖、深田久弥らの作品によって、単なる冒険譚ではなく、自然と向き合う人間の精神や生き方を描く文学ジャンルとして確立されました。

チャッピーが列挙した作家以外にも、「山岳小説」を書いた作家には、笹本 稜平や夢枕 獏、沢木 耕太郎、真保 裕一らがいる。これらの作家は山岳小説を専門としたわけではなく、他のジャンルの作品も多く手掛けている。また「バリ山行」で芥川賞を受賞した松永K三蔵も記憶に新しい

さらにノンフィクションまで広げれば、小説家以外にも植村 直己や山野井 泰史など登山家自身が自らの登山を著したものもあれば、佐瀬 稔のようなノンフィクション作家や評論家などの作品もある

本題の新田次郎の作品に入ろう。中央気象台に勤務していた時に書いた『強力伝』で直木賞を受賞し、その後、専業作家になり次々と山岳小説を発表した。気象台勤務時代には、厳冬期に富士山に何度も登っているし、気象観測のため富士山頂の観測所で越冬した経験も持っている

そのような経験から、深い専門知識をもとにした気象などの「山岳自然の描写」については抜きんでている。しかしながらそれ以上に優れているのが「人間ドラマ」の深堀りだ。描かれた偉業への挑戦、悲惨な事故などの背景にあるドラマを見事に書き上げている。それ故に、映画やTVドラマとして作品化されたものも少なくない

以下に、最近まとめて手にした作品について感想めいたものを書いた。ネタバレにならないよう内容についてはできるだけ触れないようにし、Amazonや文庫本カバーなどの紹介文を引用するに極力とどめた

孤高の人

「昭和初期、ヒマラヤ征服の夢を秘め、限られた裕福な人々だけのものであった登山界に、社会人登山家としての道を開拓しながら日本アルプスの山々を、ひとり疾風のように踏破していった“単独行の加藤文太郎”。その強烈な意志と個性により、仕事においても独力で道を切り開き、高等小学校卒業の学歴で造船技師にまで昇格した加藤文太郎の、交錯する愛と孤独の青春を描く長編」(文庫上巻カバーより)

「いかなる場合でも脱出路を計算に入れた周到な計画のもとに単独行動する文太郎が初めてパーティを組んだのは昭和11年の厳冬であった。家庭をもって山行きをやめようとしていた彼は友人の願いを入れるが、無謀な計画にひきずられ、吹雪の北鎌尾根に消息を断つ。日本登山界に不滅の足跡を遺した文太郎の生涯を通じ“なぜ山に登るのか”の問いに鋭く迫った山岳小説屈指の力作である」(文庫下巻カバーより)

いかにも技術者らしく、山の道具や衣服、食材などを試しながら独自の工夫を凝らしていく。山岳会に入ることもなく、案内人を雇うわけでもなく、自分のスタイルでソロ登山を極めていく登山家だった。挨拶や会話などが苦手で、コミュニケーション手段は不器用な笑み。山岳会からは誤解や批判を受けて異端児扱いされてながらも、厳冬期の北アルプスの縦走を次々と成し遂げていく

登山家にはこのようなタイプの人がいる。佐瀬 稔が『狼は帰らず』で描いた森田 勝もこのような一匹狼のアルピニストだった。女性と縁遠いタイプの武骨な山男が、やっと家庭を持って幸せな暮らしを始めながら帰らぬ人となるところもよく似ている

強力伝・孤島

「50貫(約187キロ)もの巨石を背負って白馬岳山頂に挑む山男を描いた処女作『強力(ごうりき)伝』(直木賞受賞)。富士山頂観測所の建設に生涯を捧げた一技師の物語『凍傷』。太平洋上の離島で孤独に耐えながら気象観測に励む人びとを描く『孤島』。明治35年1月、青森歩兵第五連隊の210名の兵が遭難した悲劇的雪中行軍を描く『八甲田山』。ほかに『おとし穴』『山犬物語』など全6編。“山”を知り“雪”を“風”を知っている著者の傑作短編集」(Amazonより)

いくつかの短編は実話を元にして書かれたもので、『凍傷』はのちに『芙蓉の人』に、『八甲田山』は『八甲田山死の彷徨』に書き直される原作ともいうべき作品だ。作家として駆け出しのころに書かれた作品なので、短編らしく主題に焦点を絞って簡潔に書き上げている。次第に人間ドラマに多くの焦点を当てるようになっていくのだが、作家としての原点のようなものを感じさせる短編集だ

劔岳 <点の記>

「日露戦争の直後、前人未踏といわれ、また、決して登ってはいけない山とおそれられた北アルプスの劔岳。測量官・柴崎芳太郎はその山頂に三角点埋設の至上命令を受ける。山岳信仰から剱岳を畏怖する地元住民の反発、ガレ場だらけの切り立った尾根と悪天候・雪崩などの厳しい自然環境、日本山岳会との登頂争い、未発達な測量技術と登山装備などさまざまな困難と戦いながら山頂に挑んだ柴崎一行の苦闘の姿をえがく、新田次郎「山岳小説」の白眉」(Amazonより)

2009年に木村大作監督による映画が公開された。測量隊の隊長役に浅野忠信、その先輩役に役所広司、測量隊の隊員には松田龍平らが、日本山岳会の登山隊リーダーには仲村トオル、測量隊の案内役の宇治長次郎の役には香川照之がキャスティングされ、日本アカデミー賞を受賞した

映画には、高山植物が咲き誇る斜面、紅色や黄色などに埋め尽くされる錦秋の山肌、早月尾根や別山尾根や八ツ峰などの岩稜、深い雪に閉ざされる白銀の世界など、まさに「岩と雪の殿堂」と呼ばれる剱岳の険しくも美しいシーンが次々と出てくる

その美しい光景とは対極のような日本帝国陸軍のつまらぬ威信に振り回されながらも、困難を乗り越えて使命を果たそうとする測量隊の「ひたむきさ」に心打たれる。なお、映画はよりドラマチックな展開になるよう原作から逸脱した部分もあるが、立山・剱岳に行かれたことがない方は、映画の美しい映像を瞼に焼き付けて原作を読むのもありだと思う

槍ヶ岳開山

「文化10年、富山の百姓一揆にまきこまれ、過って妻のおはまを刺殺してしまった岩松は、国を捨てて出家した。罪の償いに厳しい修行をみずから求めた彼を絶え間なく襲うのは、おはまへの未練と煩悩であった。妻殺しの呵責に苦しみつつ、未踏の岩峰・槍ヶ岳初登攀に成功した修行僧・播隆の生きざまを雄渾に描く、長篇伝記小説」(文庫本カバーより)

江戸時代の槍ヶ岳の開山というより播隆上人の生きざまを描いた伝記のような小説だ。天を突くような槍の穂先の形をした槍ヶ岳は、その特異的な姿ゆえに麓からも遠くの山からも容易に視認できるし、岳人にとっては憧れの頂なのだが、穂先と呼ばれる山頂部分を除けば、見た目ほど難しい山ではない。典型的な山岳小説を期待して手に取ると、ちょっと期待外れとなるかもしれない

銀嶺の人

「女医をめざす、勝気な“泣かない子”であった駒井淑子は、冬の八ヶ岳で単独行を試みて遭難しかかった時、若林美佐子と出会う。鎌倉彫の新鋭彫刻家として注目されていた美佐子は、無口ですぐに“涙ぐむ子”であった。死を覚悟した二人を事もなげに助け出した三人の男性登攀家(クライマー)に魅入られて、彼女たちは、ついに初の女性隊によるマッターホルン北壁登攀への挑戦を試みる……」(文庫上巻カバーより)

「マッターホルン、アイガー、グランドジョラスと、女性で初めてヨーロッパ三大北壁に挑む淑子、新婚山行をドリュー西壁に試みる美佐子……医師と彫刻家、それぞれに仕事を持った二人だが、ますます岩壁登攀に情熱を注いでいく。対照的な二人の女性登山家の姿を通して描かれる、山とは何か、山になぜ登るのかという問い、『孤高の人』、『栄光の岩壁』より続く、三部作の掉尾を飾る山岳小説』(文庫下巻カバーより)

二人の実在人物(今井通子、若山美子)をモデルに描いた長編。今井通子は東京女子医大卒で医師として働きながら登山を続けた登山家。一方、若山美子は鎌倉彫の彫刻家として活動しつつ登山に打ち込んだ登山家だ

活動的でアウトゴーイングな性格の淑子に対し、内気ながら芯の強さやひたむきさを秘めた美子。二人がアルパインクライミング(ロッククライミング)のパートナーを組み、谷川岳の一の倉沢やヨーロッパアルプスの岩壁に挑み、輝かしい実績を積み重ねていく姿を描いている

作者の新田次郎があとがきに「今井通子さんも若山美子さんもこの小説のモデルではあるが、『銀嶺の人』に登場する人物そのものではない。現実と虚構の世界は全く別なものである。他の登場人物もすべてこのように考えていただきたい」と書いているように、この山岳小説は実話をもとにしたフィクションだ。このことは、実話をもとにしながらも、あくまで小説として「人間ドラマ」を描く新田文学の多くの作品に共通することである

この小説を世に出した時には、登場人物の多くの方が健在であったので(今井通子さんは現在も健在)、本人たちに迷惑がかかったり、あらぬ憶測がなされないようにするために注意喚起しておく必要があったと想像する。一方で、小説として劇的な展開による面白みを生み出すために、実話とは異なる設定を虚構として用いるための釈明のような意味もあったとも想像する

芙蓉の人

「日々の暮らしに欠かせない天気予報。明治期に、この予測をより正確なものにするべく命を懸けた夫妻がいた。野中到(いたる)・千代子夫妻——到は私財を投じて富士山頂に気象観測所をたて、前人未到の冬期観測を実施。「一人であれば、夫は必ず死ぬであろう」と考えた千代子は、夫を支えるため後を追って山頂に登るが……」(Amazonより)

日本の天気予報や気象学の未来のために初めて富士山頂での冬期気象観測に挑んだ実在の夫婦の物語。 2014年にはNHK総合で連続ドラマ「芙蓉の人~富士山頂の妻~」(全6話)として放送された(松下奈緒 、佐藤隆太主演) 。 遡って1982年にもNHK総合でドラマ化されている(全2話。藤真利子、滝田栄主演)

上述したように、新田次郎はこの実話をもとに『凍傷』という短編小説を書き上げている。また、小説やノンフィクションとして、他の作家の作品もいくつか世に出ていた。しかしながら、健在であった当事者の野中 到氏がどの作品にも満足していないことを耳にする

再度取り組んだ作品で、私財を投げ打って挑んだ野中夫妻をどのように描くか考えた末に、妻の千代子を中心にして人間ドラマを掘り下げることに思い至る。千代子を真ん中に据えたことで、当時の家制度的な風習やしきたり、男性社会の弊害、官庁の傲慢さなどがくっきりと浮かび上がり、その中で夫婦の葛藤や絆をより鮮明に描くことに成功している

今回ぶっ通して読んだ9作品の中で、唯一涙を流して読んだ本となった

八甲田山死の彷徨

「日露戦争前夜、厳寒の八甲田山中で過酷な人体実験が強いられた。神田大尉が率いる青森5聯隊は雪中で進退を協議しているとき、大隊長が突然“前進”の命令を下し、指揮系統の混乱から、ついには199名の死者を出す。徳島大尉が率いる少数精鋭の弘前31聯隊は210余キロ、11日間にわたる全行程を完全に踏破する。2隊を対比して、組織とリーダーのあり方を問い、自然と人間の闘いを描いた名作」(文庫カバーより)

1977年に映画化され(主要キャスト:高倉健、北大路欣也、加山雄三、丹波哲郎など)、翌年の1978年にはTVドラマ化された(全6話。主要キャスト:中山仁、村野武範、高橋幸治、岡田英次など)

上述したように、最初に『八甲田山』という短編として書き上げられた。暴風雪の八甲田山で進退窮まって遭難した青森5聯隊にフォーカスした小説だ。この部分だけ切り取っても、この悲惨な遭難事故は真相を語れない

全貌をつまびらかにするために本作を書き上げたのだろう。雪中行軍で競わされた青森第5聯隊と弘前第31聯隊の両方の行軍を描くことで、軍という権威主義的な組織の理不尽さ、横暴さ、愚かさを淡々と見事に浮き彫りにしている

このような貴重な事故の教訓を生かすことなく、野中幾次郎らの『失敗の本質』にて取り上げられた第二次大戦におけるインパール作戦など無謀な作戦を繰り返した日本帝国陸軍を思うにつれて、軍という組織の”メンツ”を重んじる文化を忌むばかりだ

聖職の碑 

「大正2年8月26日、中箕輪(なかみのわ)尋常高等小学校生徒ら37名が修学旅行で伊那駒ケ岳に向かった。しかし天候が急変、嵐に巻き込まれ11名の死者を出した。信濃教育界の白樺派理想主義教育と実践主義教育との軋轢、そして山の稜線上に立つ碑は、なぜ「慰霊碑」ではなく「遭難記念碑」なのか。悲劇の全体像を真摯に描き出す」(文庫カバーより)

木曽駒ヶ岳(2,956m)で発生した遭難事故をもとにした作品。今で言えば、「韋駄天台風」ともいうべき急速に発達して足早に進む台風だったのだが、当時の気象予報の技術では台風とさえ認識することが難しかった

不運は重なり、たどり着いた避難小屋はひどく損壊しており、先にある山小屋へは暴風雨で進むこともできない。やむなく避難小屋をにわか修理するも、濡れた衣服のままで夜を過ごすうちに、生徒の一人が息絶えて集団パニックに陥る。全員が真っ暗な風雨の中、下山を開始するがさらに10名が犠牲になる

この事故を乗り越え、集団登山は再開されて現在も続いている。再開にこぎつけるまでの様々な労苦は想像に難くない。小説の後に作者のあとがきとして、77頁におよぶ『取材記・筆を執るまで』の中に、後日譚として書かれている

蛇足ながら、このルートは昔から学校の集団登山に使われていて「クラシックルート」と呼ばれている。私の好きなルートの一つだ。天候さえよければ、木曽駒ヶ岳に続く尾根の中で一番美しいといわれる稜線歩きが楽しめる。途中の将棋頭山の山頂直下には、事故後に頑丈な石室が建てられており、私も3月の積雪期に利用したことがある。その時の小屋の中は、霜が塊になってついている昔の冷凍庫のような有様だった。現在は石室の横には立派な山小屋が建てられ、登山シーズン中は快適に利用できる

アラスカ物語

「明治元年、宮城県石巻町に生れた安田恭輔は15歳で両親を失う。外国航路の見習船員となり、やがてアラスカのポイントバローに留まった彼はエスキモーの女性と結婚してアラスカ社会に融けこんでいく。食糧不足や疫病の流行で滅亡に瀕したエスキモーの一族を救出して、アラスカのモーゼと仰がれ、90歳で生涯を閉じるまで日本に帰ることのなかったフランク安田の波瀾の生涯を描いた感動の長編」(文庫カバーより)

こちらは山岳小説ではないが、アラスカの平原や山脈を越えて新天地を探す旅に出る描写は、山岳小説に通ずるものがある。フランク安田こと安田恭輔という日本人の実話をもとにした人間ドラマだ

『極夜行』という本がある。冒険家の角幡唯介が著した本だ。太陽が沈まない白夜とは反対に、一日中太陽が出ない真っ暗な極夜が続く季節に、星を頼りに犬一匹と橇を引いてアラスカの平原を旅する記録なのだが、新田次郎の白夜や極夜などの描写を読んでいてふと思い出した

紹介した9作品は2026年5月から6月にかけて読んだ文庫本で、読んだ順に列記した。新田次郎の作品を初めて読んだのは高校一年の夏休みだった。発刊されて間もない『栄光の岩壁』を本屋で偶然手にして単行本を買った

あまりに面白かったので、その数年前に出た『孤高の人』も買って立て続けに読んだ。こちらの単行本上下2冊も読み始めたら止まらなかった。リュックに石を詰めて早歩きで会社に通ったり、六甲山系を歩き回るトレーニング山行を重ね、厳冬期の北アルプス縦走を次々と単独行で成し遂げていく加藤文太郎の物語に驚いた

それから50年以上、新田次郎の本を手にしたことはなかったが、いつか加藤文太郎がトレーニングしていた六甲山系を歩いてみたいと思っていた。いつの間にか70歳手前になってしまい、やるなら今のうちかなと思い、本年4月下旬に六甲全山縦走にでかけた。1泊2日で45㎞を歩いたのだが、加藤文太郎は1日で歩き通して、下山後に会社に出勤している

下山後、長男の本棚に『孤高の人』の文庫本があることを思い出し、再び手に取って読み直した。細部は忘れてしまっていたので、初めて読むような新鮮さで読み返したのだが、やはり面白い。自分の足で歩いてきたばかりの六甲山系の光景が、本を読み進むにつれてありありと目に浮かんだ

そして北アルプスの稜線をほとんど歩き尽くした今、自分の脳裏の記憶と合わさって、新田次郎の描く北アルプスを歩く加藤文太郎の姿が映像を見るように浮かんだ。『孤高の人』を読み終えてすぐ、本棚にあったもう一冊の『強力伝・孤島』の短編集も手に取った

六甲山縦走の約1カ月後の5月末には、2009年に映画化された新田次郎の『劔岳 <点の記>』を見て以来、ずっと気になっていた雪渓ルートに出かけた。測量隊が初登頂に使ったルートで、俗に「点の記ルート」と呼ばれるルートだ。天候と雪のコンディションに助けられ、無事に三ノ沢(現在の長次郎谷)の雪渓を登り詰めて剱岳の頂に立つことができた。下山後に、早速『劔岳 <点の記>』の文庫本を取り寄せて読み、活字を辿りながら余韻に浸った

こうなると、もう止まらない(笑)。6月は新田次郎月間と化し、『槍ヶ岳開山』から『アラスカ物語』まで立て続けに6作を読んだ。何作かまだ読みたい本があるのだが、7月3日には村上春樹の『夏帆』とワンピースの第115巻が発売されるので、新田次郎月間は6月末で一旦終了。残りの気になっている本は、そのうち読みたいと思っている

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