最近見た映画から標題の二本についての感想。『セプテンバー 5』と『名もなき者』、どちらもアメリカ映画で、事実を題材にした映画だ。
映画『セプテンバー 5』(原題:September 5)
ミュンヘン五輪の選手村襲撃事件について
1972年のドイツで開催されたミュンヘンオリンピックにおける選手村の襲撃事件。パレスチナの武装組織「Black September(黒い九月)」8人が、イスラエル選手団の宿舎を襲撃して2人を殺害し、9人を人質にして、イスラエルに拘束されているパレスチナ人の解放を求めた(余談ながら解放を求めた中には、イスラエルのテルアビブ空港で銃乱射事件を起こして収監されていた日本の赤軍派の犯人も含まれていた)。
ドイツ当局が犯人グループとの交渉に当たり、要求を受け入れてヘリを手配し、出国用の飛行機を手配した近くの空軍基地に輸送。そこで銃撃戦に打って出て、犯人グループ全員を射殺した。その際に人質になったイスラエル選手団の9人も犠牲になった。
映画の内容(史実で公の情報ではあるが、映画のネタバレあり)
オリンピック競技の撮影に入っていた米国ABCの取材クルーが、事件の一部始終を追って中継を開始する。ABC本社からはこの手の事件を扱う報道局にバトンタッチするよう指示が出るが、現地のスポーツ担当者らは自らスクープすべく撮影を続ける。
犯人の様子、対応に当たる地元警察の動き、独当局と犯人の交渉の様子など緊迫する映像が流れる。ABCによる米国でのライブ放送であったものの、ABCと提携している各国の放送局でも流され、9億人が視聴したといわれる。ドイツ国内などでは放映されなかったようだが、選手村では各国のチャンネルを見ることができるようになっていたため、犯人グループにも筒抜けに伝わってしまう。
事態が動き、犯人グループが国外脱出するため空軍基地に移送され、飛行機に乗り移る際に銃撃戦になる。ABCの現地クルーはドイツ政府関係者の人質全員救出の言葉を鵜吞みにして、裏を取ることなく「人質解放」と放送してしまう。しかしながら結果は人質全員が犠牲になっていたことが判明し、取材クルーの衝撃と暗澹たる雰囲気で映画は終わる。
感想
当時私は中学生だった。とりわけ関心を寄せたわけではないが、事件のことは覚えている。この手の事件においては、人命第一を優先する日本政府の対応と異なり、毅然としたドイツの対応との彼我の差に驚いたものだ。
このドイツの対応に対して、イスラエルがどのように反応したかは知らない。先の大戦では、ナチスによるユダヤ人虐殺の歴史を共有するドイツとイスラエルだ。この襲撃事件の対応に関して、二国の間にどのようなやり取りがあったのか、気になって調べてみたが残念ながら分からなかった。
今から約50年前のことなので、時代考証というと大げさかもしれないが、細部にわたって当時のファッションや風習、雰囲気をとてもよく出していると感心した。またライブ番組作成の裏側を見るようで、生放送の緊張感やスタッフの慌ただしい動きが、事件の緊迫感や動きとシンクロして見ごたえがあった。
犯人や警察の映像、当局の交渉の様子などの映像は、当時の実写映像を使用したのだろうか? ABCのスポーツジャーナリストのジム・マッケイが状況を伝える映像は本物だろう。その他の昔の画角の映像はどうだろうか。セットを作り状況を再現して撮影した映像もあると思うが、まるですべてが50年ほど前の映像を用いたように思えるほど良くできていた。
Another Story :映画『Munich(ミュンヘン)』
ところで、この映画に先立つこと20年、スピルバーグ監督が2005年に「Black September(黒い九月)」の襲撃に対するイスラエルの報復を題材にした映画『Munich(ミュンヘン)』を製作している。襲撃を行った「黒い九月」の黒幕を次々と暗殺していくのだが、報復にかかわったイスラエル諜報員の苦悩と憔悴、疑心暗鬼を描いた作品だ。
こちらは事実を映画化した『セプテンバー 5』と異なり、実際に起こったオリンピック選手村の襲撃とその後のイスラエルによる報復を題材にして、スピルバーグがイスラエルとパレスチナの二国間に脈々と続く争いを中立的な観点でひもとき、「国家の大義」と「個人の平凡な幸せ」をコントラストにして、映画を見るものに考えさせる内容になっている。スピルバーグが伝えたかったのは、主人公が最後に言うセリフだったのだろう。
ユダヤ系であるスピルバーグは、『Munich(ミュンヘン)』や『Schindler’s List(シンドラーのリスト)』などの映画作りを通して、自らのルーツにまつわる悲劇を冷静かつ客観的に描き世に問い続けている。『セプテンバー 5』に興味を持たれた方は、合わせて『Munch(ミュンヘン)』もご覧になってはいかがだろうか。
さて、今回のハマスによるイスラエル襲撃と人質の連れ去り、それに対するイスラエルによるガザへの侵攻とハマスへの報復は、いつどのような形で終息するのだろうか? 今回の悲惨な出来事をスピルバーグはいつか映画にするのだろうか? もし製作するとしたら、どう描くのだろうか・・
蛇足
『セプテンバー 5』に戻れば、イスラエルとパレスチナの領土問題は根が深い。歴史的にはユダヤ人がエジプトに捉えられ捕虜になったところから始まったと理解している。旧約聖書の「出エジプト記」にあるように、モーゼに率いられエジプトを脱出したユダヤ人が、文字通り紆余曲折の末に故郷の地にたどり着く。
その地は神によりユダヤ人に与えられた「約束の地」であり、地中海とヨルダン川、死海に挟まれた地域一帯、概ね現在のイスラエルとパレスチナ自治区がある地域になる。神により子々孫々に至るまで保有を約束されたその地にエジプトから戻ると、すでにパレスチナ人が住み着いて生活していた。ここからイスラエルとパレスチナの領土問題が発生したわけで、三千年以上前から中東紛争が繰り返されてきたことになる。
映画『名もなき者』(原題:A Complete Unknown)
ボブ・ディランについて
言わずと知れた「フォークの神様」と崇められた米国のシンガーソングライター。メッセージソング、プロテストソングの旗手などとも呼ばれるボブ・ディラン。時代はキューバ危機やベトナム戦争の頃、ヒッピーなどと呼ばれた自由気ままな若者たちが反戦運動を広げた時代に、彗星のごとく現れて一躍注目を浴び人気者となる。今風にいえば、「インフルエンサー」とでも言うと分かりやすいだろうか。フォークの神様はやがてロックの神様に変貌していく。
以来、50年以上にわたって活動し、現在も大きな影響を持つ。2016年には歌手として初めてノーベル文学賞を受賞した。何かに祭り上げられることが苦痛で違和感を覚えてきたボブ・ディランにとっては、青天の霹靂的な受賞だったのではないか。「非常に光栄」と言いつつも「先約のため」として授賞式には出席しなかった。
ボブ・ディランについては、私が下手な概略を語るより、Webで多くの情報が得られるのでそちらをご覧いただいた方が早いだろう。ただし、Wikipediaの経歴などはとても長いのでご覚悟を(笑)
映画の内容(一部ネタバレあり)
1960年ごろ、アコースティック・ギターで弾き語りのように世の中に対してメッセージを発信するフォークが台頭していた。
時代はベトナム戦争に対する反戦ムードが高まり、また長く続いた黒人差別が転機を迎え、キング牧師が有名な「I have a dream」の演説をした頃だ。ギター1本を抱えてニューヨークへやってきた若者(ボブ・ディラン)が、尊敬するウディ・ガスリー(Woody Guthrie)を見舞いに病院を訪れ、病室で歌う。居合わせたピート・シーガー(Pete Seeger)の目に留まり、クラブやカフェのような場所で歌う機会を得て自作した歌を弾き語る。
やがてレコード会社にも注目され、アルバムを出す機会を得て、次第に人気に火が付く。「Blowin’ in the Wind(風に吹かれて)」「Mr. Tambourine Man(ミスター・タンブリン・マン)」「Like A Rolling Stone(ライク・ア・ローリング・ストーン)」などヒットを連発し、「フォークの貴公子」となっていく。やがて「フォーク界のプリンス」とか「若者の代弁者」などと祭り上げられるようになるが、ボブ・ディラン自身はそのようなレッテルに違和感や嫌悪感を抱くようになる。
ピート・シーガーが主催してきたニューポート・フォーク・フェスティバルにも出演し続けてきたボブ・ディランは、開催者側や観客の期待を振り切るようにアコースティック・ギターをエレキ・ギターに持ち替えて舞台に上がり、観客からブーイングを浴びる。映画はボブ・ディランがフォークからロックへと傾斜していくところで終わる。
感想
日本でも若き日の森山良子など、多くのフォークシンガーたちが、ボブ・ディランの曲だけでなく、映画にも出てくるピート・シーガー(Pete Seeger)の「Where have all the flowers gone(花はどこへ行った)」や「We shall overcome(勝利を我等に)」、ジョーン・バエズ(Joan Baez)が歌った「Dona Dona(ドナドナ)」や「The House of the Rising Sun(朝日のあたる家)」、ピーター、ポール&マリー(PP&M)の「Puff, the Magic Dragon(パフ)」や「500 Miles(500マイル)」などの歌をコピーしていた(ピートやバエズ、PP&Mらは自分の曲だけでなく、上記の曲をはじめ色んな曲をカバーし合っている)。
日本ではまさに集団就職で地方から都会へと出てきた団塊の世代が、街角の「歌声喫茶」などで合唱していた曲だ。折しも学園紛争の時代で、ベトナム戦争反対、日米安保反対のデモ行進を日毎繰り返していた時代で、多くの反戦歌や反体制の歌も歌われていた。
私自身は団塊の世代より一回り若い世代で、時代を共有する世代ではないが、有無を言わさず多かれ少なかれ団塊の影響を受けた世代だ。ロックでいえばビートルズやローリングストーンズ、フォークでいえばサイモン&ガーファンクルなどに傾倒した世代だが、ボブ・ディランやジョーン・バエズなどを聞けば懐かしいと感ずる世代でもある。
映画は若き日のボブ・ディランの誕生物語ともいうべき内容で、ボブ・ディランやジョーン・バエズなど、見た目の外見や雰囲気が本人そっくりの俳優をそろえ、しかも口パクかと思うくらい本人のような素晴らしい歌声、歌い方で驚かされた。ギターなどの楽器の技巧も申し分なく、目を閉じているとまるで本人たちの演奏や歌を聴いているような気分になった。ただ、当時のことをリアルタイムで共有した世代ではないので、この映画で初めて知ったことも多く、大変興味深くも鑑賞した。
当日は平日の午前だったので私を含めて観客は10名。ただし、私を除いて全て団塊の世代と思しき高齢者ばかりだった笑(私も65歳を超えているので高齢者なんだが)。この人たちがヘルメットをかぶってデモに参加していたかどうかは分からないが、ボブ・ディランらが曲にした世相を共有していた世代であることには間違いない。その時代の空気感にそれぞれ思い入れがあるだろうから、彼らが映画を観て懐かしいと感じたか、違和感を感じたかは、私には知る由もない。
余談:映画アルゴ(ARGO)
最近は日本の映画やTVドラマでも本人に似た俳優を使って服装からメイクまでそっくりに仕上げるのを見かけるようになったが、ボブ・ディランやジョーン・バエズのそっくりさには本当に感心させられた。
実在の人物と演じた役者がそっくりという点では、十年ちょっと前に観た『アルゴ(ARGO)』という映画を思い出した。イラン革命のさなか、1979年に起きたアメリカ大使館襲撃事件の実話を映画化した作品だ。悪政を続けて糾弾されたイランの前国王がアメリカに逃亡し、イランの過激派が前国王の引き渡しを求めてテヘランの米大使館を襲撃して約50人を人質にした。
混乱の中、6人の職員が逃げ出してカナダ大使公邸へ身を隠す。見つかって処刑される恐れがあり、6人を救出すべくCIAが画策する。プロデューサーや脚本が用意され、SF映画『アルゴ』の企画をでっち上げて記者発表を行い、イランどころかアメリカ国内も欺く。砂漠での撮影のために救出隊が撮影クルーに扮してイランに入国する。
イラン滞在許可の3日間のタイムリミットで、6人を無事に救出した実話だ。カルロス・ゴーンの出国劇も事実は小説よりも奇なりという感じだったが、アルゴの脱出劇も実話かと思うくらい奇想天外だった。
映画のエンディングで、救出された6人を含めた当時者の一人一人と演じた俳優の写真が並べて流れたが、この時も顔立ち、髪型、ファッションなど雰囲気がそっくりなことに感心させられた。
蛇足:ピート・シーガーの後日譚
『名もなき者』の最後では、ニューポート・フォーク・フェスティバルの大トリで舞台に立ったボブ・ディランがエレキギターで歌って観客の不評を買う。長くフォーク・フェスティバルを主催してきたピート・シーガーが怒って、スピーカーなどのコードを引き抜く姿が描かれる。
アコースティック・ギターによるフォークにこだわるピート・シーガーや観客と、そのような「既成概念」をエレキギターでぶっ壊そうとするボブ・ディランの対立で終わるのだが、事実はどうだったのか? 興味のある方は以下のサイトの記事をご覧ください。
『ピート・シーガーは、ボブ・ディランを裏切り者だなんて、言ってない』 by 大江田信 ☜ クリック
もう一つ蛇足:
このブログのタイトルを「風に吹かれて」にしたかったのだが、あまりにも有名すぎて重すぎるので、タイトル負けしてしまうのは明らか。それに「風に吹かれて」では、検索サイトにはボブディラン関連のサイトばかりがヒットし、私のブログサイトは検索リストに出てこなくなってしまう。というわけで、「野風に吹かれて」にした次第(笑)
そしてURLの「walking-in-the-wind」も、最初は「walking-with-the-wind」を考えていたのだが、こちらも「Gone with the wind」(映画の名作「風と共に去りぬ」の原題)のパクリとなるのでやめた次第
コメント入力欄