映画「オッペンハイマー」で思うこと

レビュー

米国における原爆開発を主導したオッペンハイマー。彼を取り巻く当時の状況を、ノーラン監督が時期や視点などで解体して映画として再構築したのが映画「オッペンハイマー」だ。オッペンハイマーと対立した側のストーリーを並行して展開することで、映画が重層的にかつ年代が行ったり来たりして進むので、初見で内容を把握するのはかなり難易度が高い。

40年くらい前になるが、モーツアルトを描いた「アマデウス」という映画を見た。数々の名楽曲を生み出すモーツアルトの天性の才能を妬む音楽家のサリエリが、モーツアルトを破滅させようと策略した過去を告白する形でモーツアルトの人生を描いた作品だ。この映画もサリエリとモーツアルトの物語が重層的に絡みながら、かつサリエリが当時を回顧する形で映画が展開するので、年代が行ったり来たりする構成だった。描かれたモーツアルトの天真爛漫さや生活面でのだらしなさを見て、それまで抱いていたモーツアルトの印象やイメージが大きく揺らいだことを懐かしく思い出した。

映画「オッペンハイマー」も似たような手法を取り入れた複雑な構成の映画になっているので、ある程度の概略を事前に頭に仕込んでおいて見た方が理解しやすいのではないかと思う。予備知識を持ってより深く本映画を鑑賞したい方は、多少ネタバレにはなるものの以下のサイトがストーリーの背景を理解する上で参考になるのではないかと思う(まっさらで映画を見たい方はスキップしてください)。

オッペンハイマー 特集: 【ネタバレ解説・考察】尋問の目的は?あのキャラは誰?これを読めば物語がもっと“わかる” (3) - 映画.com
オッペンハイマーの必見、注目特集。特集ではインタビューや編集部独自の視点で映画のみどころを紹介。3ページ目

原爆開発の経緯、プロジェクトで主導的な役割を果たしたオッペンハイマーの研究者としての歩み、その後の苦悩などを知りたいのであれば、実際の映像を用いたNHKのドキュメンタリー、『映像の世紀 バタフライエフェクト「マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪」』(2024年2月19日放送)を見るのが手っ取り早くて分かりやすい。45分にすっきりとまとめられているので、こちらを見た上で映画を見るのも十分にありだと思う。NHKオンデマンドで220円/単品で見ることができる(2025年2月16日まで)。こちらには映画で用いられなかったことに対して一部で不満や落胆の声が上がっている被爆地の惨状の映像も含まれている。

映像の世紀バタフライエフェクト マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪 −NHKオンデマンド
月額990円(税込)でNHKの名作見放題!「我は死、世界の破壊者」。アメリカの原爆開発を指揮したオッペンハイマーは人類初の核実験を振り返りこう言った。今なお賞賛と呪いの両方を浴び続ける天才科学者の記録。

作品

抑制の効いたバランスの取れた映画という印象。アメリカ映画にありがちな善悪/白黒のはっきりした映画ではなく、原爆開発の是非、開発者の功罪、共産主義との関りなどを、製作側は最後までニュートラルな立ち位置を貫き、見るものに考えさせる映画に仕上げている。原爆開発を主導したオッペンハイマーに関連する事柄を、私生活も含めて網羅することで3時間を超える作品になっているが、時間を感じさせない作品だ。

一方で、不倫相手との性的な描写を入れたことにより、日本のR15指定など視聴制限されることになったのは残念だ。性的な映像がなくても不倫を描くことは十分に可能だったと思うし、このことにより若い世代の視聴機会が奪われたのは悔やまれる。10代前半の世代にもこの映画を通じて色々と考えてもらいたかったと思う。

キャスト

オッペンハイマーをはじめ、物理学者のローレンスやアインシュタイン、大統領のトルーマンなど、実物に非常によく似たキャスティングがされている。実際の映像を用いたNHKの映像の世紀 バタフライエフェクト「マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪」と比べてもほとんど違和感がない。

オッペンハイマーの人物描写

映画の主題はオッペンハイマーの人生であり、研究者としての軌跡、不倫などを含めた私生活、共産主義への関与の疑い、原爆開発プロジェクトの成功、その後の水爆開発をめぐる原子力委員会(特に委員長)との確執などが描かれている。

科学者としての探求心、成功への野心から、大量殺りく兵器のもたらす惨劇を認識しながらもマンハッタン計画に邁進していく。心に迷いがないわけではない。しかしユダヤ人としてのアイデンティティーからナチスによる同胞への迫害を座視できず、また米国市民としての愛国心から敵国であるドイツや日本よりも先に原爆を開発して自国民を守るという「大義」を優先した。

原爆の完成間近になり戦局は変わってドイツが降伏し、日本も東京大空襲で首都は壊滅的な状況となり降伏は時間の問題となる。「大義」が消滅するなかで完成した二発の原爆が使用され、机上での想定を上回る惨状を生じさせたことに悔恨の念を抱き始める。

戦争終結後もソビエトを意識して、より破壊力のある核兵器の開発へと突き進む政府と原子力委員会に疑問を持ち、水爆開発に反対する。推進派からは邪魔者扱いされ、彼らによって過去の共産主義との関係の疑いを利用され、重要秘密事項へのアクセスに必要なセキュリティ・クリアランスに関する執拗な聴聞会にかけられる。その結果、共産主義とのつながりの疑いは晴れず、最終的に原子力関係の業務につけなくなり、プリンストン高等研究所長を辞める(公職追放)。

余談だが、公職追放された6年後の1960年には来日し、湯川秀樹や朝永振一郎などと座談会を行っている。東京、大阪を訪問したが、広島や長崎に行くことはなかった。当時はまだFBIに監視された状況にあって被災地の訪問に難色を示したのか、自身の良心の呵責のようなもので行かなかったのか、日本人の感情が訪問を許す雰囲気になかったのかは分からない。おそらくすべてだったのだろうと思う。

1963年には、1954年に下された公職追放の処分は誤りだったと米政府が認め、名誉回復している。映画の最後においてオッペンハイマーが名誉回復したセレモニーのシーンが描かれる。かつて聴聞会においてオッペンハイマーに不利な「証言」をして、原子力委員会委員長のルイス・ストローズと共にオッペンハイマーの追い落としに動いたエドワード・テラー(マンハッタン計画の仲間であり、その後の水爆開発の成功により「水爆の父」とよばれる物理学者)も出席した。テラーがオッペンハイマーに祝福の手を差し伸べると、オッペンハイマーは握手を交わすが、気丈な妻キティーはテラーとの握手を拒む。これもおそらく史実なのだろう。

オッペンハイマーの人生の描写はこのセレモニーで終わる。その後のオッペンハイマーの精神的な衰弱については描かれていないし、1967年に喉頭癌で死亡(62歳)したことも描かれていない。

核兵器開発の賛否

国家の威信をかけた主導権争いという点で、米国のマンハッタン計画とアポロ計画は似たところがある。マンハッタン計画はドイツや日本との競争ではあったが、背景には原爆開発によりソビエトとの戦後の主導権争いを優位にしようという狙いがあっただろう。当時の米ソの対立構図は、今や中ロと欧米の対立、独裁体制と民主体制の対立へと広がり、さらにグローバルサウスの台頭や北朝鮮などの我が道を行く国家もプレーヤーに加わって、国連は機能不全に陥り、事態の収拾ができなくなってきている。

マンハッタン計画の成果として実施された原爆投下から約80年(1945年8月投下)が経過した現在においても、原爆投下の是非の議論は続いている。オッペンハイマーが主張した国際協調による核のコントロールは、米ソ冷戦の終焉とともに一時は核軍縮の方向に進み始めたものの、ロシアのプーチン政権により再び逆行してしまったし、それどころか最近では核の使用をちらつかせる「恫喝」まで行われる事態になっている。

さらに、核保有国は増えつつあり、核兵器不拡散条約(NPT)で核保有を認められている国連常任理事国の5か国(米、英、仏、露、中)に加え、現時点ではインド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮の9か国に広がっている。イランなど核開発を進める国は今後も増加することが予想され、核を取り巻く状況は混沌さを増している。

オッペンハイマーが願った国際協調による核の管理は画餅となり、緊張は日増しに高まっている。まさにオッペンハイマーが名誉回復セレモニーで語った「自分たちが核の軍拡競争という連鎖反応を起こしてしまった」という事態に陥っている。残念ながら核の傘に頼る国を含めれば、核攻撃の抑止力としての核保有はますます「市民権」を得つつあるように思える。

秘密部隊の暗躍

戦時下の日本においても「赤狩り」は恐ろしいものであったと聞くが、アメリカにおいても同様であったことに驚いた。映画「オッペンハイマー」でも共産主義に対する過剰なまでの捜査や弾圧が描写されている。当時のアメリカが、いかに共産主義思想を警戒していたかが窺い知れる。上述したように、水爆開発に強硬に反対したオッペンハイマーが、過去に共産主義思想の集会に参加したり、身内に共産主義者がいたことから共産主義者ではないかと疑われ、それを対立側に利用された。聴聞会の結果、原子力関連の重要機密情報へのアクセス資格を取り消されて公職追放されてしまい、その後もFBIの監視下に置かれる。

戦後に連合軍(実質的に米国)の占領下にあった日本においても、共産主義に対する米国の警戒は過敏なほど強く、日本を反共の砦にしようと動いていたようだ。当時の国鉄の下山総裁が列車による轢死体で見つかった下山事件もその一例かもしれない。アメリカの諜報機関CICや、アメリカの反共工作部隊のZ機関(通称キャノン機関)の関与が疑がわれるという驚きの内容が、つい先日のNHKスペシャル「シリーズ未解決事件 File.10 下山事件」で取り上げられていた。

当時の下山総裁は、米国や日本政府の圧力で60万人の国鉄職員のうち10万人のリストラを迫られていた。日頃から国鉄労働者に理解を示す下山が、自分のやり方で任せてほしいと譲らなかったことなどから、米国に共産主義とのつながりを疑われた。さらに、日本各地の駐留米軍と武器を朝鮮戦争へ送るために国鉄の輸送力を利用しようとした米国の要請に対し、下山が積極的に協力しようとしなかったため、共産主義者ではないかとの疑念を強めた米国機関が暗殺に関与したという疑惑だ。NHKスペシャル下山事件の第2部において、それを裏付ける資料が提示されている。第1部、第2部ともNHKオンデマンドで視聴可能(各220円。2025年3月27日まで)。

NHKスペシャル 未解決事件
新たなスクープをもとにドキュメンタリーと実録ドラマで真相に迫る、シリーズ「未解決事件」。第10弾は「下山事件」。2024年3月30日放送。

体制に影響を及ぼすリスクのある思想や活動に対する弾圧や工作は、民主主義であろうと共産主義であろうと変わらない。自らの政治体制の保全のために、互いに相手を牽制して自国の政治体制の正当性を主張し、情報戦や諜報活動などにより相手の政治システムを弱体化しようとする。さらに昨今は、AIによる巧妙なフェイク情報による世論操作や選挙への介入なども行われ始めており、サイバーセキュリティが大きな課題になっている。

近年は共産党の独裁国家である中国の存在が、経済面でも軍事面でもサイバー面でも大きくなってきている。一帯一路による経済圏の構築や太平洋島嶼国の取り込み、さらには中南米にも触手を伸ばす中国に対抗するため、米国は日本や韓国、インド、フィリピン、オーストラリアなどを同盟国として持ち上げ、アライアンスの強化に動いている。防衛網の構築のみならず、経済のデリスキングやTikTokの禁止など表立った政策の裏で、戦時中や終戦直後の対ソと変わらぬ米国の一貫した「反共工作」のようなものがうごめいているように思えてくる。

日本の原爆批判の「矛盾」

当時の量子物理学の最先端にあったドイツのハイゼンベルク研究室には、オッペンハイマーなど精鋭たちが集っていた。日本の仁科芳雄もその一人だ。後に、ハイゼンベルクがドイツで、オッペンハイマーが米国で、仁科が日本で原爆開発を主導する。ハイゼンベルクも仁科も軍の強い要請に対し、意図的に開発をゆっくり進めたという説もあるが、真実のところは分からない。

映画の中でもオッペンハイマーが、ドイツや日本が先に開発する前に自分たちが完成させなければならないと述べるシーンが出てくる。歴史に「もし」はないが、日本が開発に成功していたら、日本は原爆をどうしただろうか? 研究を依頼した陸軍は間違いなく使用しただろう。同じように原爆を開発していた日本が、先に開発に成功した米国の原爆投下を批判できる立場にあるだろうか?

確かに日本は戦争における唯一の被爆国だ。広島や長崎の惨状は絶対に繰り返されてはならない。そのためにも、日本は原爆被害の恐ろしさを世界に発信して伝えていかなければならない。しかしながら、その一方で忘れてはならないことがあると思う。

まず第一に、原爆を使用した側を一方的に非難せず、そのような事態に至らしめた自らの歴史的な非にもしっかりと向き合い反省し、教育の場においても次世代にも正しく伝え、決して同じ過ちを繰り返さないと継続して表明すること。日本の原爆批判は往々にして開発や使用に対して向けられ、バランスを欠いていると懸念する。内に対する批判と外に対する批判が両輪でなければ国際社会において多くの理解は得られない。

第二に、批判するからには批判と整合性ある行動、態度を示すこと。原爆を批判し廃絶を訴えるならば、核兵器禁止条約を率先して批准すべきだ。条約内で「hibakusha」という言葉が正式にそのまま用いられているのに、被爆者を抱える日本が条約の批准どころか賛成もしていないのでは、原爆批判の本気度が疑われる。被災地を中心に原爆反対活動が行われているにすぎず、被爆国の日本の総意として核兵器に反対しているのではないと受け取られかねない。

第三に、核廃止に向けて選挙で明確な民意を示すこと。米国の核の傘を是としながら原爆批判することは矛盾以外の何物でもないと受け取られても仕方なく、国際社会に対する説得力も何もない。日本国民が本当に核廃絶を望み、核のない世界を訴求するなら、なし崩し的に非核三原則を蔑ろにし、核の傘による防御を進めようとする政党に政権を持たせるべきではない。ましてや、国民を巻き込んだ議論どころか、国会での議論もせずに簡単に敵基地先制攻撃を閣議決定したり、核兵器禁止条約にも向き合わないような国のトップに政権を任せていては、世界は日本の声に耳を傾けないだろう。そのトップが被爆地の選挙区による選出となればなおさらだ。

広島・長崎の映像

製作者の意図は知りえないが、映画「オッペンハイマー」に関する限り、個人的には広島・長崎の映像は不要だと思う。むしろ映像が無くて幸いだったと思っている。先にも述べたように、原爆投下の是非については今も議論が続いており、見方は分かれている。映画でも賛否を示唆することはなく、見る側に判断を委ねているように思う。

戦時中に日本が行った愚かしい侵略行為や戦闘行為で被害を受け、今も深く傷つき日本に対して憤りを感じている人々は少なくない。映画の中で原爆投下の映像が出てくれば、多くの日本人が一瞬にして犠牲になったシーンに胸の内で快哉を上げることになった人々がいたのではないだろうか。たとえ理性では核兵器使用に反対であるとしても・・。映像が映画で用いられることで、広島や長崎で犠牲となった人々が、日本に向けられる憎悪を一身に背負わされるようなことにならなかったことに、私はむしろほっとしている。

オッペンハイマーの成したことは、科学の進歩において特異的なことではないと思う。新たな発見や発明が、意図してか意図せずかにかかわらず、人類にとって脅威となるような使い方をされることは、これからも後を絶たないだろう。原爆や水爆は明らかに大量殺戮を目的とした兵器だ。オッペンハイマーは国際協調による核のコントロールを訴えたが、オッペンハイマー自身が悔恨したように、結果として核の軍拡競争という連鎖反応が起きてしまった。

ではAIはどうだろうか? 私たちはまだ答えを知らない。AIにより人類の生活がより便利になり良くなっていくのか、AIにより職を失い恵まれない人生を送る人が増えるのか、さらにAIが軍事やフェイクに悪用されて恐ろしい世の中になってしまうのか、私たちはAIを適切に使いこなせるのか確信を持てない。ひょっとするとSFで描かれるようにAIが暴走するかもしれない。

ES細胞、iPS細胞、mRNAなどはどうだろうか? 抗生物質や化学肥料はどうだろう? 日常的に便利に使われているプラスチックはどうだろう? 長い時間軸で将来にわたり地球環境や人体に致命的な悪影響を及ぼすことはない、あるいは悪用されることはないと確信を持って言えるだろうか?

新たな発見や発明に邁進するのは科学者の性。科学者の探求心により人類は新たな知見を得て進歩してきた。一方で、為政者や資本家によって科学の成果が予期しなかった政治的な駆け引きや金儲けにも利用されてきた。オッペンハイマーの苦悩はこれからもいろんなところで続くのだろう。

NHKのドキュメンタリー 『映像の世紀 バタフライエフェクト「マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪」』は、死の2年前にアメリカの番組によって行われた以下のインタビューのやりとりで締めくくられる(日本語訳は私が一部加筆変更)。オッペンハイマーは問いに対し、ゆっくりと絞り出すように答えている。

インタビュアー:
あなたやあなたのような多くの科学者は、生み出した原爆が投下されたことで今も良心の呵責に苦しんでいるように見えます。

オッペンハイマー:
私たちにはそうすることの大義があったと信じています。
だからと言って私たちの心はすっかり楽になってはいけないと思うのです。
自然について研究してその真実を学ぶことから逸脱し、人類の歴史の流れを変えてしまったのですから。
私は今になっても、あの時もっと良い道があったといえる自信がありません。
私には良い答えがないのです。

核兵器が開発されるべきものでなかったことに疑問の余地はない。一刻も早く国連の統治機能を回復し、核の一斉排除に向けて仕切り直す人類の英知と良心と勇気に期待するばかりだ。

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