熊野古道 小辺路編②。町石道:九度山から高野山へ(2020/02/18)

山の記録

2020.02.26 01:15

小辺路編②の山行概要(町石道:九度山~高野山)

九度山の慈尊院(女人高野山)から高野山までの参詣道。弘法大師こと空海が作ったとされ、一町(109m)ごとに石塔が立つので、町石道という名前がついている。全部で180の石塔があり、順番に数が減っていくので、行程管理の目安になる。

この日は雪が少し積もっており気温も低かったので、総じて歩きやすかった。ところどころ陽が当たるところで霜や雪が融けてぬかるんでいた。スパッツ推奨。特に危険個所はない。

冒頭の写真は、この日に高野山で宿泊した金剛三昧院。翌朝出発前に撮影した。前々日に降った雪のおかげで、初めての高野山訪問ながら、狙い通り雪化粧の高野山を楽しむことができた。

1日目の山行(九度山~高野山)

歩行ルート図と標高グラフ

合計距離: 28303 m
最高点の標高: 853 m
最低点の標高: 69 m
累積標高(上り): 1510 m
累積標高(下り): -762 m

山行の詳細

まずは出発地点の九度山駅。前泊地の最寄駅から始発で駅に到着。朝の5時半。六文銭の垂れ幕がかかっている。九度山は関が原の戦い後に真田幸村・昌幸親子が蟄居させられた場所。記念館などもあるが、こんな時間にはオープンしていないし、オープンしていても立ち寄っている余裕はない。ヘッデンを点けて真っ暗な道を慈尊院まで進む

女人高野山の慈尊院まできたが、まだ夜明け前で暗い

朝6時からの勤行が始まったところだった。母乳が出るように願う絵馬がいかにも女人高野山

境内にある多宝塔。フラッシュが届かず真っ暗。この左横を抜けて背後の急な階段を上がっていくと、丹生官符神社がある。そこに町石道の出発点の看板があった

大分標高上げ九度山の町が下の方に見えるようになってきた。山の斜面にはみかん畑。紀州だね

参道にはこのような卒塔婆(そとうば)と呼ばれる石塔が立っている。古いものは風化した草書体のため字が読みづらい。昔の人はこの草書体をみんな読めたんだろうな。新しいものは楷書体で私にも読める

六本杉の分岐まで来た。町石道は左方向に進むが、私は右手の丹生都比売(にゅうつひめ)神社へ寄り道する迂回路へと進んだ

標高を200mほど下げて丹生都比売神社。駐車場にあったトイレは暖か便座のウォシュレットで、きれいなトイレだった

社は4つ建っていた。このスタイルは熊野大社も同じ。雪が降ってきたので背後の樹林が少々白んで映っている

丹生都比売神社から急登を上がってきた。二ツ鳥居で町石道に復帰した

しばらく町石道を進むと、ひょっこり紀伊高原CCの13番ティーに出た。池越えのPar 4。しばらく右手にゴルフコースを見ながら歩くが、ちょっとシュールな感じだな

町石道参詣道の由来の案内板。詳細はお読みください

町石道にも雪が出てきた。これは雪化粧の高野山を期待できそう

ずっと山道を来たが、矢立で一般道とクロスする。正面のお店の前のベンチでお昼ご飯にした。定休日だったので、昨夜コンビニで買っておいたサンドイッチで済ます

矢立の茶屋の横から再び山道に入ってさらに標高を上げると、雪が次第に増えてきた

町石道の最後の急な階段を登りきると、突然大門の前に出る。なかなかドラマチックなゴール設定。弘法大師も演出がうまい

右側に立つのが阿形(あぎょう)像でその高さは546.0cm、京都の仏師・康意が造立

左側に立つのが吽形(うんぎょう)像で高さ558.0cm、京都の仏師・運長が造立。二つ合わせて「阿吽(あうん)の呼吸」の語源となる仁王像(金剛力士像)。高野山大門の仁王像は、日本国内で奈良の東大寺の仁王像に次いで2番目の大きさを誇るとか

大門を通り抜けて振り返る。狙い通りの雪化粧。最近の暖冬で、雪の高野山はなかなか見られないそうなので、本当に運がいい

中門まで来た。雪かきをしていた寺男のおじさんが「そのリュックは何キロくらいあるのか、どこへ行くのか」と話しかけてきた。答えると呆れかえっていた

中門の奥には金堂。高野山の総本堂

金堂の右横には根本大塔。出発点の慈尊院にあったのも同じ形だった。中へ入りたいのだが、登山靴を脱いだり履いたりがとても面倒なので諦めた

さらに右手方向に進む。10センチくらい積雪していたが、本当にきれいだ

観光客の皆さんは雪かきされた道をそろそろ歩いていたが、私は雪の深いところも平気でずんずん進む。町石道のぬかるみでちょっと汚れた靴もあっという間にきれいになる(笑)

金剛峯寺に着いた。時間は押していたが、ここだけは中を拝観することにした

「襖絵の模写・撮影禁止」とあったので、襖絵ではなく内部の雰囲気を撮影しました(屁理屈か)

雪化粧の枯山水

金剛峯寺の渡り廊下をぐるぐる歩いて回ったが本当に良い日に訪れることができた

金剛峯寺の寺紋の由来。読んでください。「三頭右巴」の丹生都比売神社は寄り道してきた神社で、「五三の桐」の青巌寺は現在金剛峯寺の一部になっている。青巌寺は秀吉が建立したので秀吉の家紋と同じ

本日お世話になる宿坊の金剛三昧院の多宝塔。国宝である。高野山で最も古い建築物。北条政子が建立させた塔

宿坊にチェックイン後に空身で高野山の奥の院へ向かう。重いザックから解放されて足取りが軽い

日本中の名立たる戦国大名家や第二次大戦の戦没者、企業関係の供養塔などが並ぶ。これは加賀の前田家の墓所

この橋の先が奥の院。撮影はここまで。弘法大師が今も祈祷を続けているという聖域に進む。この日はこれにて終了。宿坊に戻り、お風呂で体を温め、部屋でいただく精進料理に舌鼓を打ちながら、途中のコンビニで調達したアルコールを飲んだ。高野山を散策したぐらいでは煩悩は消えず、というところか・・・

①プロローグに戻る ☜ クリック
③小辺路に進む ☜ クリック

なお、本山行の詳細については、以下の記録を参照されたし

憧れの高野山から熊野三山へ。町石道→熊野古道(小辺路→中辺路)☜ ヤマレコの記録

タイトルとURLをコピーしました